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「あの人は華がある」とはどういうことか、数学的に解説してみる。


「あの人は華がある」という表現。

よく聞きます。よく言います。

でも、この「華がある」とはいったいどういうことなのだろう。

みんなふんわり使っているように思えてならない。

自分も含めて。


数学の人間は、こういうものに対してある種の気持ち悪さを感じる。

厳密じゃない。

定義されていない。

明確に言語化されていない。

こういうものをモデル化して論理的に説明したい。

そういう生き物です(笑)。


そこで、この「華がある」とはいったい何なのか。

ビジネス数学教育家の視点で論じることにする。


A=華のある人

B=華のない人

(AーB)の結果が、「華」の正体である。



AもBも人間である。

人間を構成する要素は2つに分類される。

「姿」「心」

小学生でも理解できる内容にするため、極めて単純な分類にした。

表面と内面と解釈してもいいだろう。


A=(華のある人の姿)+(華のある人の心)
B=(華のない人の姿)+(華のない人の心)


ここからは著者の主観的な要素も入る。

皆さんは皆さんなりに論理を構築してみても面白いだろう。


(華のある人の姿)には主張がある。

高価なスーツを着ているとかブランド物とかそういうことではない。

派手なメイクや派手な色の服を着ているということでもない。

わざわざ口で説明しなくても、

「私はこういう人です」と主張するものが姿で表現されているのだ。


例えば就活生。

みんな同じ服装をしている。

服装だけなら、主張はない。

つまり「華」はない。

しかし、みんな同じ服装をしているのに、

明らかに「華」のある学生とそうでない学生がいる。

表情や佇まい。

そういうものから滲み出る主張だ。

なぜそれは滲み出るのか。

「私はこういう人です」と自信を持って言えるメンタリティが備わっているからだ。

“滲み出る”という表現を使うのは、それが身体の中にあるからだ。


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では(華のある人の心)とはなんだろうか。

華のある人は目立つ。

雑草の中に一輪のタンポポが咲いていれば、嫌でもそこに目に留まる。

なぜそこに目が留まるのか。

「色が違うから」ではないように思う。

草ばかりの場所にたった一輪でそこにいる「異質さ」が、

目を向けさせる本質的な理由ではないだろうか。

私は「異質」であることは「勇気」だと思っている。

一般論として、人は同じである方が楽だ。

例えば仲間のほとんどが「左」と主張するのを

そこであえて「右」と主張するのはとても勇気がいる。

「異質」であることは「勇気」。

そして「異質」だから目立つ。

つまり、「華」とは「勇気」なのだ。

ではなぜその人は「勇気」があるのか。

「私はこういう人です」と自信を持って言えるメンタリティが備わっているからだ。


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再び就活生の例。

みんな同じ服装をしている。

服装だけなら、主張はない。

つまり「華」はない。

しかし、みんな同じ服装をしているのに、

明らかに「華」のある学生とそうでない学生がいる。

何が違うか。

美人とかブサイクとかそういうことではない。

みんなが「左」とばかり言う局面で、「右」と自信を持って言えることだ。

主張できるメンタリティがあることの証左。



A=(華のある人の姿)+(華のある人の心)
B=(華のない人の姿)+(華のない人の心)



A=(主張がある姿)+(主張できる心)
B=(主張がない姿)+(主張できない心



A=(自信がある)+(自信がある)
B=(自信がない)+(自信がない


(AーB)= 自信

つまり、

華 = 自信

である。


なんともシンプルな結論。

しかし、何も努力していない人が、自信を持てるわけがない。

結果を出していない人が、自信を持てるわけがない。

自信とは、何か裏付けがあるから持てるもの。

単なるおバカさんが思い込みで持ったニセモノの自信は、

決して身体の内側から滲み出ることはない。

だから、やはり本物の華のある人は誰よりも何かで努力をし、

そして結果を出している人なのだ。


一方、もしかしたらこんな反論をいただくかもしれない。


「でも実際は華のある人ってみんな美人じゃん」


そうですかね?

百歩譲ってそうだとして、ではなぜその人は華があるのか。

美しくいることに誰よりも努力している。

そして結果を出している。

だから自信がある。

美人であることで生まれるやっかみや中傷をものともしないメンタリティ、

嫌われる勇気がある。

そういうことじゃないのかと。

ほら、やっぱり同じ結論になる。



華のある人は、正しく自信を持てている人なのだ。



以上、証明おわり。



余談。

先日、ある人と「華の正体」について対話をすることがあった。

その人は、「自信」じゃないかと答えた。

50%はなるほどと思い、50%は「?」だった。

半信半疑。

しかし、この作業を通じて私はそれが100%になった。

納得した。

だからこの記事を書いている。


人はこのように納得を作りたい時に数学的思考を使う。

私が一貫して言い続けていること。

数学とは、人が納得するためのツールなのだ。



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