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【わたしのnoteのつきあいかた】 手紙

ベタちゃん、お手紙も似顔絵もいただけて嬉しいです。絵を用意して待ってくれていたことを思うと、あなたの表現者としてエンターテインする能力を再認識するとともに、感謝の気持ちが込み上げてきました。

良い機会なのでわたしがnoteとどのようにつきあっているか、そしてお手紙の中で書かれていたいくつかのクリオネ像の考察に答える形でnoteにしたいとおもいます。

後半にベタちゃんへのお手紙があります。


わたしの音楽

箇条書きみたいな文体でごめんね。あまり自分の思うことを書き慣れてないから下手な文章。

音楽の話が出てきました。わたしは何を聴いているのか。

休日に部屋にいる時間の多くはハワイアンをランダムに流しています。ギャビー・パヒヌイさんというギター奏者はとても好きです。血の送り出されるような独特なリズムがあります。

Eric Alexanderさんのジャズもランダムに流して聴きます。スリリングな展開はあまりありませんが、一日中落ち着いて聴いていられます。

ジャンルやアーティストではなく一曲を選んで聴く。それはとても真剣なものです。一曲を選ぶとわたしはずっとそれを流し続けるからです。

日曜日はボブ・マーリーのCould you be lovedを聴いていました。ほぼ一日中です。各楽器の織りなす音が聴いていてとても楽しい曲です。ひとつの曲にいろんな人がいることを感じます。このnoteを書いている間はマイルス・デイビスのSketches of Spainを通して聴いています。このnoteの語り口はその影響を受けているのでとてもゆっくりで興奮度が低めです。

最近オートリピートによく選ばれる曲をあげていきます。時期によって変わります。新しいものも古いものも聴きます。

Chemical brothers    Wide open
創作の衝動のようなものや、わたしの孤独(孤高とも言えるかもw)を肯定してくれます。

Smashing pumpkins   Stand inside your love
何度も繰り返して聴いているとビリーのボーカルが耳につかなくなってきます。そうなるととても心地の良いまとまった音になってきます。

Rihanna   We found love
リアーナって歌ってる内容が演歌的な印象。アグレッシブな演奏に乗せると変な感じだけれど、不思議とケンカしない面白さがあります。

でも大好きなのは中森明菜さん。明菜様と呼ばせてもらうね。

好きな曲をあげるよ

十戒

初っ端から愚図呼ばわり!

Desire -情熱-

代表曲であり最強曲。歌詞も好き。この曲を聴くと流石だなって思います。

ジプシー・クイーン

これは中毒性があります。

Fin

延々とリピートして部屋に雪がゆっくりと積もっていくような曲。

Tango noir

カラオケで歌うと歌唱力の絶対的な埋められない差を感じさせてくれる名曲。しかも20kg以上の衣装を着ながら踊って生歌生放送という心折れそうな状況を微塵も感じさせない明菜様。

Tattoo

一度悪夢をみたことがあります。わたしがテレビに出ることになってこの衣装でステージで踊ってくださいって依頼。笑いにもっていくことでしか逃げ道がないな、そう思いました。明菜様の実力を持って初めて成し得る名曲。

I missed “The Shock”

この頃の明菜様となると、歌唱力というよりも表現力の世界。繰り返される音のループの中に表現者としての魅力が溢れています。

愛撫

小室哲哉プロデュースの作品。俗に言う小室系ですが、カラオケで歌うとひどい目に合います。

音楽については別のnoteにもっと書きたいな!


クリオネ、友達がいない

2年ほど前から人と会うことを避けています。会うと心が乱れます。それはとても辛いことです。友達のような関係だった人たち、いつからか少しずつ変わってきました。わたしの何かが変わったのかもしれないし、それはよくわからないけれど、今はあまり会うべき時ではないと思っています。今日も母と電話している時にわたしの友達の話になりました。ほんまに友達に会ったりせんよねって言われました。

中学生の頃の知り合いは特に会いたくないって思います。思考回路が村社会全開なので会えば心がとても乱れます。

たまに会うのは仕事始めてから出会った人が多いです。

クリオネはよく泣いているのか

よく泣いてます。部屋で泣いていますが立ち直りはとても早いです。時々道を歩きながら涙を流すこともあります。ことあるごとに1人で泣いていますが涙は飾りじゃないので見せません。

仕事の話

仕事の話ね。この騒動の始まりから働いている会社の経営がよくなく、わたしならなんだかんだで何とかしてくれるだろう、小規模な会社でそんな理由でこの間まで良いポジションにいました。このことがストレスになった時期があって、noteも少し離れていたのです。今は会社もやや回復傾向にあって、わたしはそのポジションを退きました。わたしが上にいることが一部の人の倦怠につながっていることもありましたし、いろいろ考えた上での決断でした。あまり長い間いるべきポジションではなかったのだと思います。わたしの采配した人事などは結果的にいい方向へ向かったのですが、世の中には悪い人もいるもので、いかにも自分の手柄かのように振る舞う人がいるものです。それを鵜呑みにする経営者もいるものです。言葉は悪いですが、おアホの背中の流しっこをせられているみたいです。楽しい話があまり出てこない、そんな職場です。セクハラの話は幾度か出てきましたけど。セクハラは多かったです。今も時々そのような発言があります。

過去の話をあまり書かない

これについては面白い話は書くことがあるけれど、辛い話は日常のnoteには書かないことにしています。始めて少し経った頃に昔の辛い話を書いたことがあるのですが、消しました。辛い話は結構あるのだと思います。受けた暴言も、暴力も、おそらくですが多いと思います。

でもまれに文章にすることがあります。時に文字は涙のように、もしくは天使の羽のように落ちてきます。以前ある企画で書いたことがあるのですが、自身で律することのできない言葉は投稿しないと決めているので投稿しないのです。下書きに残っている記事はものすごくたくさんあります。投稿せずとも書くことで心の中のモヤモヤを整理できることがあります。

笑い話に転換することができる時がくればこのような下書きは形を変えて作品になるかもしれない。そう思っています。

性についてもあまり書かない

これはわたしの創作活動において前面に出す必要がない、そう思っています。MTFのクリオネさんである必要がない。交流を持つのであれば一応知っておいて欲しいとは思うけれど。補足をすると、例えば刺激に弱い方とかはユーザー名に自身のいま付き合っている症状を書くことは大事なことかと思います。それによって避けられるネガティブなものは多々あると思います。でもわたしのこの性についてはわたしにとって前に出す必要があまり見当たらない。イメージとしてつくのならそれよりも京成電鉄が好きなクリオネさんの方がいいし、コメント欄が楽しいクリオネさんの方がわたしらしい。自身の性のことは創作活動の上で優先順位が低いです。

生活の上で性に対してネガティブなことは多々起こります。でもそれを書くこともそんなにないと思います。もしわたしがそれを書いて、同じような境遇の子がそれに同調して辛い気持ちに焦点を当てて1日を過ごしてしまったら?それを想像することはわたしにとって辛い経験。そのようなものは望んでいません。これは主義であり意地の部分でもあります。

と言いつつもnoteを始める大きな動機となったのですが、性の話とかを講演などでしたらどうですか?もしくはいろんな人に伝えることをされるとどうでしょう?そんなことを言われたことがあります。不思議な話です。

考えました。話をするにせよどのように表現しよう。

わたしより早くに生まれた方たちが今よっぽど強い風を受けて生きてきた、その中で開かれた道の上で得ることのできている自由は存在しているはずです。なので辛いことを書き綴る、それはわたしのやるべきことではないと思っています。時計の針を戻すより、わたしのnoteを読んでくれた誰かがご機嫌に針を進めるようなものを書きたい。

時々このような感じで書くこともあります。知り合いから性についてのカミングアウトを受けても。正直言ってどう接していいかわからないことがあるはずです。でも一つの事例としてわたしを通してみた世界を体験してくれていれば驚いたりせずに自然に受け入れてもらえることもあると思いますので、ごくたまに書きます。MTFのクリオネではなく、1人の人間から見た視線から。

上記のnote。タイトルだけを読んでどんな印象を受けるでしょう。このnoteは過去の作品のリライトで、その時のタイトルは【トランスジェンダー女性と差別について】でした。新しい記事にアップデートしましたので現在は削除しています。新しいタイトルからは差別という言葉をのぞきました。差別されるものなんだって無意識のうちに擦り込んでしまう気がしたのです。

性的マイノリティを表す単語には何かしらの辛いこと、差別、そんなものがチラチラ映ります。このタイトルにもきっとそんなものがあるはず。これが現状です。何十年後かわからないけれど、個人がもっと尊重される世界になりますように。

いやらしくない

性欲は強くないと思います。下ネタは距離を置きがちですが、ライトなものは平気です。ですが書くと後で罪悪感に苛まれることもあります。強烈なものは相性が良くないようです。

家族の話

これもあまり書きませんが、母と姉は強烈です。

これなんかは親族のお話。

この前の項目の性の話にリンクしますが、家族は性的マイノリティなどに比較的寛容です。マイノリティの方がけっこうたくさんいる気がする。家系自体があまり気にしないのでみんな自然体で生きやすいのか。よくわからないけれど結構いる。

ここから先は少し母の話を。

実家は帰ると母はわたしを職場に連れて行きたがります。〇〇さん会ったことあったっけ?じゃあ△△さんは?とにかく職場で会ったことのない人を見つけてはわたしを職場に連れて行きます。ご機嫌にうちの子連れてきたで!と言って紹介してまわります。

実家のある場所はそんなに大きな街ではないです。噂話などもあると思います。なのでわたしとしてはなんとなく帰りづらい。駅に向かうバスに乗るだけでも注目を浴びます。マダムたちがコソコソ何かを話してるのも聞こえます。あそこの子ちょっと変わってる、そんなことを耳にすることもあるのかも。なので実家に帰りづらい。自分の実家なのに、両親に会いにいくだけなのにそんな不要な気がかりがついてきます。

母の行動はそんな噂話への彼女なりの意思なのかもしれない。ただ自慢の子供なのかもしれない。そこは母のみぞ知るところ。でもきっと私を思ってのことであることは変わりない。ありがとう、お母さん。

書きません書きませんばかり!じゃあいったい何を書いているのか!?

書きません、そんな縛りが多いです。実はこれには訳があります。むふふ。これは結構恥ずかしい理由!

わたしは自分はどちらかと言えばフィクションを書くのが得意だと思っていて、あまりプライベートのイメージをつけたくないなと思うのです(売れてもいないのに!はずかしい!)。

昔の作家さんっておそらく秘密のベールみたいなものがあったと思うんです。でもいまは、例えばこのnoteならプライベートの話を書きながら作品を発表できる。いろんなスタイルがあると思う。わたしは少し謎でいたいタイプ。プライベートでもそんなに自分の話をしないし。こんな性格なんだと思う。

それでもクリオネのことをもっと知りたい!そんな皆様に


電車に映る脚を激写時のもの!風の強い日でホームで踏ん張っていました!

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は?電車に映った脚とかそんなの求めてない!

写真滅多に撮らないから恥ずかしかったのですが!

好きなもの

ワイン

あまり量は飲めませんが好きです。そこそこいいものを飲んだ経験もあります。ある程度安くても上質のものもあれば、高いのに質の伴わないものもあったり、ワイン選びはとても面白いです。普段はスパークリングか白を選ぶことが多いです。

お散歩

これはとても好き。道で出会う小鳥を見るのも好き。小鳥を好きになると人生がとても輝きに満ちる気がしてます。なんせ結構な確率で毎日出逢いますから。ふらっとお散歩、カフェでひと休み。そんな休日。オシャレー!

ネット断食

実は金土日の週末の中で1日はネット断ち気味に過ごします。だいたい土曜日を選びがち。とてもゆっくりできます。


じゃあもう少しnoteのつきあいかたを!

クリオネの交流範囲

とても警戒心が強いです。フォローしていただいてもすぐには警戒が解けません。言葉にしづらいですが、特に男性的な荒さの感じ取れる方は苦手です。こわいって気持ちが勝ってしまいます。

note上でわたしが交流を取れる方は、お互いの距離感の取れる方が多い。あと、交流に格を求めてきそうな方とは積極的には絡みません。

穏やかな作風の方を好みます。

プライベートでも同じで、お互いに心地いい距離感を保ってくれることがとても重要。

クリオネはなぜコンテストや企画に参加するのか?

単純に興味のあるテーマに寄せて書いてみたい場合、もしくは好きな方の企画で盛り上げたい場合。またはその両方。賞金は欲しいですが大きな動機にはなりません。もちろん賞金は欲しいです。

少し毒のある部分を晒します。

参加するつもりはなくても参加をすることがあります。大きな企画ほど投稿作品を目にする機会は増えるので、閲覧履歴おすすめなどでいろんな方の作品を読む機会があります。場の流れがおかしいな、そんなことを感じることがあります。ニュートラルな位置から見てこれはよくないって思うことがあります。そんな時にも参加したりします。そのような動機で参加するのは主催者の方に失礼かと思いますが、居ても立っても居られない時があります。気持ちとしては、わたしが相手だ、かかってきなさい、そんな気持ちです。なのでしっかりと作品として。

が、クリオネ自体があまり知名度がないので気づかれないというオチがついてきます。

クリオネだから

もしわたしの中に書かないと決めたこと以外に意地のようなものが他にもあるとしたら、それはこのクリオネだからというレッテルとの戦いかもしれない。

わたしはアグレッシブな人間ではないのであまり刺激の強いものや断言するものを書きません。もし言いたいことがあってもそれを明確に文字にすることはあまりしない。でもフィクション作品として出すことは多々あります。よく読んでもらえるといったい何が言いたかったのかが伝わればいいなって気持ちで書いています。

またふざけたもの書いてるんでしょう?そんなことを思う方も多いかと思います。確かにその通り。ふざけた部分はありますがわたしはベタちゃんの言う通りエンターテイナーです。飛行機の入国審査の紙の職業欄にも何度か書いています。わたしは自分のことをエンターテイナーだと思ってます。

わたしの書くものは笑いの要素を含みます。これはわたし自身が自分に貼ったレッテル。笑いの成分が多いと作品としての評価は低くなりがちな傾向。でもわたしは頑なにこれを大事にしているよ。これは両親から受け継いだ大事なもの。人それぞれ自分の信じる部分で勝負していけばいい。

やさしさとは

優しさ、それはいろんな形で存在していていて、わかりやすいものもあれば後になって身にしみる、いろいろあります。

同時に優しさの捉え方も人それぞれ。じゃあなにが優しさなの?そんなことを考えます。

例えば相手の立場を想像して考えること。大事なことは、相手のことを思いやる自分に酔わない、答えを優しい自分目線でださない。特に困っている人やその状況で弱い立場にある人に対して。わたしは常にそう考えています。

【優しさ】と【優しさからとる行動】この二つは似ているようで違います。【優しさ】は受け取られやすいです。【優しさからとる行動】は受けてによっていろいろ。これは分けて考えるべきだけど混合されがち。だから形によっては勘違いもされる。

ベタちゃんへの手紙。ベタちゃんは優しくない?

ベタちゃんへ

わたしがベタちゃんから受ける優しさの印象。それは提言の形をしているとも言えるかもしれません。

提言。そう書くと上から目線な言葉のように思えます。ですが一度立ち止まって言葉の意味を考えてみます。手に持っていたものを捧げるように差し出す言葉、手をつなぎ、ともに導くような言葉、それが提言です。それは同情とは違います。自身も傷つく可能性を併せ持った優しさです。あなたが優しさをみせるとき、相手は深いところでもがいていて、それはそんな光景を何度も体験していないと感知できないことなのかもしれない。そんなことも思います。

このあたりはベタちゃんにだけ伝わればいいなって思って書いてます。

おぼえているかわからないけど、わたしたちがコメントのやり取りをし始めた最初の頃、わたしはベタちゃんと似た部分がある、そんなコメントをしました。わたしはあなたの作品の中にそんな優しさを見つけたからです。

音楽を聴いてもらえばそれはよりわかりやすくなるかもしれない、そうも思います。あなたの声と音は優しく包むような世界の中で響きます(だからヘッドホンで聴いてね!)。わたしが心穏やかな時にまだ聴けていない曲を楽しもうと思ってます。

まだわたしがnoteで何を書いてもあまりスキもつかないころにあなたはわたしのnoteをマガジンに入れてくれました。読んでくれた人がいるんだ。そんな喜びを感じました。

ベタちゃんの2つのマガジン


これほど平等なマガジンはあまりないかもしれない。作者の知名度を問わず優れた作品が詰まっています。

才能はいろんな形で現れます。本人が才能と気付くことなく美しく磨かれずに磨耗していくことがほとんどだと思います。そう考えるとこのマガジンに救われた才能はどれだけあるでしょう(クリオネという偉大な才能を含む)。そしてこのマガジンに説得力を与える本人の積み重ねてきたもの、それを思うとあなたはとても優しさに溢れた人だとわたしは思います。自分が輝くだけでなく、その光を他の誰かにも。

けれどあなたはやさしさを纏うことをしない。だからこそ美しい。そうも思います。

ステキなお手紙に似顔絵、ありがとう。自転車の運転気をつけてくださいね。もし痛いところが出てきたらすぐにお医者さんに。

じゃあ、きょうも可愛くがんばろうね!

お互いの創作を楽しんで、たまにこうやって乾杯しようね!

かしこ







本日も【スナック・クリオネ】にお越しいただいき、ありがとうございます。 席料、乾き物、氷、水道水、全て有料でございます(うふふッ) またのご来店、お待ちしております。