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「好きなことを仕事にすればいい」の本当の意味

非正規労働者のうち、年収200万円未満が75%という報道がされた。この数字だけみればショッキングではあるけれど、この非正規のうち扶養の範囲内や年金受給世代で働いている人がどれだけいるかがわからなかった。

だから、単純に75%という数字に引っ張られたくないはないが、それでも希望がない数字だとは思う。中高年ひきこもりでかりに働き出す人がいたとしてもこの年収200万未満になる確率は高いと思う。つまり、就労として、働いて希望をもつことは難しい。

橘玲さんがこのようなツイートをしていた。

解雇規制を緩和せず、既得権を守りながら、生まれた時代が悪かっただけの世代を自己責任というのが当たり前のように世の中に蔓延している。給与が高い=生産性が高いという理解にいつのまにかなっていたし、そう思っている人がいる。

そもそも、自分が生産性が高いという自信があるのならば会社を辞めて再度フリーランスとして会社と契約して仕事をもらえばいい。生産性が高い人間ならば問題なく仕事をもらえるはずだ。なぜ、それをしないんだ?

「好きなことを仕事にすれば良い」と落合洋一やホリエモンなどは言う。ほかにも意識が高い人はそう言う。僕もそう思う。ただし、彼らとちがうのは普通に働いても年収200万円未満の未来しか待っていないから。そのうち年収150万円未満の時代もやってくるから。

だったら、好きなことをしたほうがいい。未来がない人間こそ好きなことをしたほうがいい。10人に1人は年収200万円以上稼げるかもしれない。30人に1人は年収で中央値を超えるくらい稼げるかもしれない。10人中9人は福祉の世話になるだろうが、1人が成功すればトータルではプラスになる。

もし、日本に技術革新が生まれるとしたら劣悪な労働環境の職場で働くことを拒否することでその産業を延命させないこと。そして、追いつめられて好きなことをやったら、よくわかんないけど成功しちゃった人を1人でも生み出すこと。

優秀な人が大企業か国家公務員か医者を目指すような保守的な国民性であれば、こうしないと日本版GAFAは生まれない。優秀な人間は、優秀であるがゆえにリスクを回避する。結果として国全体が低迷する。これこそが合成の誤謬だ。


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