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中学のころに特殊学級に通っていたことがある

中学のころ、特殊学級に通っていたことがある。いまで言う、特別支援学級のことだ。不登校だった僕の受け入れ先がなかったのでそこに通うことになった。あすなろ学級という名前で1年生から3年生までいた。

あすなろ学級では、不登校、知的障害、身体障害などの子どもたちが集まっており、個々の学力に応じて勉強を教わっていた。そして、できそうな科目だけ普通学級で授業を受けていた。

僕は英語の授業だけ普通学級でうけていた。当時、進研ゼミで勉強もしていたし、公文にも通っていたので一気に学力があがった。学校の授業はやはり進研ゼミや公文に比べるとレベルが低い。あっという間に遅れていた学力を取り戻した。

でも、問題は勉強ができちゃうと普通学級に送り込まれてしまうことだった。ある女の子がそんなことになって泣きながらあすなろ学級に戻ってきた。学校の方針が、普通学級同化政策だった。僕も徐々にそのプレッシャーを受けていた。

障害児の親が、子どもを普通学級に入れたいという話はよく聞く。ときおり、それでトラブルになりニュースにもなる。だけど、僕は特殊学級が好きだった。なぜなら、そこには政治的な駆け引きなんて必要がないから。たまに死人が出るバトル・ロワイアルなんてないから。

ある日、普通学級の授業が終わったあと、女子二人が僕の目の前でこんな会話を始めた。

「あの人、誰?」
「ああ、あすなろ(学級)の人ね」
「なんでいるの。あすなろって気持ち悪い人多いじゃん」

たぶん、僕のことを知的障害者だと思ったのだろう。人間の残酷さを間近でみてしまったが、僕は女子たちの話の内容が理解できないふりをした。

そのとき、僕は心のなかで「あすなろの連中と一緒にするな!」と思ってしまった。差別された人間が、さらに差別するという構造だった。それに気がつき、僕はさらにショックをうけた。

2年に進学したとき、あすなろ学級に僕の席がなかった。普通学級同化政策のため、2年生から中学も不登校になった。結局、1年しか中学校に行けなかった。ただ、特殊学級にいた1年は自分の人生にとって大きかった。

以前、スーパーで知的障害者と働いている人に「学さんは、彼らの言動に戸惑わないんですね」と言われたことがある。たぶん、中学のときに彼らと過ごした時期があったからだと思う。たまに知的障害の子に訳もなく体当たりを食らわされ、反射的に殴り返し、僕だけ先生に怒られたことがあった。理不尽だったけど、いまとなってはいい経験だったと思える。あいつ、いまどうしているだろう。

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