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「ひきこもりなのにケータイをもっているのはおかしい」と責められた話

僕が外に出始めたころ、あるひきこもり当事者の男性と仲良くなった。名前は山田(仮名)さんといい、聡明な人だった。

次第に二人で出掛けるようになったのはいいけれど、ちょっと気になることがあった。彼の持ち物チェックが厳しくて、まるでピーコにファッションチェックをされているような気分になった。

ある日、「何でお前はケータイを持っているんだ? ひきこもりなのにケータイを持っているのはおかしいだろ」と詰問する山田さん。


いずれバイトや派遣をするにしてもケータイは必要になるし、人間関係を継続する上で必要だと言っても納得してくれず、散々責め立てられた。

その山田さんは一年後にケータイを持つようになった。僕は何も言わなかった。

またある日、山田さんと遠出をするとき、記念に写真を撮ろうと思い、デジカメを持っていったところ、「なぜデジカメを持っているんだ?」としつこく問いただされた。

そのデジカメは姉に借りたものだけど、それを説明するのも面倒なのでだまっていた。しかし、彼の追及が止むことはなく結局吐かされた。

そのまたある日、山田さんと電車に乗っているとき、彼が僕の腕時計をまじまじと見つめて「その腕時計、いくらするんだ。何でそんなものを持っているんだ?」と質問してきた。

その腕時計は母がクリスマスにプレゼントしてくれたものだけど、それを言うのも気恥ずかしい。値段も何となくわかっていたけれど、それを言うのも野暮だと思ってだまっていた。しかし、結局ずっと質問責めにあった。そのときは吐かなかったけれど。

彼はしばらくして車を買って乗り回すようになった。僕は何も言わなかった。

人が何をしようが何をもっていようが、自分の人生に関係ないのにと思っていたけれど、どうもそうではないらしい。人の行動や所有物一つ取っても感情が揺れ動かされる。これはひきこもり界隈にかぎらず、社会全般でもそういうものだということを学んだ。

山田さんとは10年以上会っていないし、これからも会うことはないだろう。もしかしたら彼が僕にとっての最初の社会だったのかもしれない。まともに人と関わったことがない僕にとって、人の感情の複雑さを学んだ貴重な経験だった。

やがて、自分の中にも複雑な感情があることに気づき、苦しめられることをあとになって知ることになった。

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