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【自己紹介】このブログを始めようと思ったきっかけ③

こんにちは。ぶらぶら人です。自信が患った「うつ病」のエピソードについて振り返りと今後に向けて上手に付き合っていくため、また読者の方にもこのような経験をしてほしくない思いから、思い出しながらではありますが綴ります。

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寛解して2年後、2015年に本社への異動事例が発令されました。この時は調子も良く以前のことなど忘れてバリバリ働いていた時期です。
内示も喜んで引き受けました。ただ単身赴任どなることだけ氣になっておりましたが。

新天地での仕事は主にお客様との折衝や営業、現場での施工調整などです。和多志にはとてもやりがいがあり、完成した喜びを施主とともに感じられた、とてもやりがいある仕事でした。

単身赴任生活中は仕事が忙しくなかなか帰省できなく、年に3回程度しか帰れませんでしたが、その代わりに家族がやってくる状況であり、楽しく過ごしていました。

異動から3年程がたち、ようやく和多志も地元(九州)に帰省の話がでてきたところ、ここで水を刺されることが発覚します。
「このまま継続で本社企画をやらないか」
この話には乗り気ではありませんでした。というのもそこの上長は社内でも有名な「パワハラ上長」であり、実際に和多志の先輩も途中リタイアしてしまったところです。
「なぜ和多志なのでしょうか」→特に話せる理由はない。頑張って❤️。これが上長の答えでした。

正直言って、和多志は企画系の仕事が大嫌いです。
だからと言って異動を断り退職する勇気もなく渋々引き受けました。
これがうつを再発させることになるとはこの時はおもいもしませんでしたが。。

パワハラ上長のもと、慣れない資料作り(パワポ職人)や数字の分析、経営幹部の説明や支店に対する説明会、研修など任されましたがいかんせん慣れていない(そもそも大嫌いな仕事)こともあり上長からの罵詈雑言叱責を受けながら毎晩終電で帰る生活を送ります。社宅に帰ればストゼロ2本と唐揚げが毎晩の夕食です。とても健康的な生活ではなかったのですが、仕事の辛さを酒で紛らすしかなかったのです。

3ヶ月程経ったとき、体が重く出勤できなくなり「これは前にもあった症状だ。やばい」と感じ、その日は年休を申請し、とりあえずどこでも良かったので予約が取れる心療内科を探し通院しました。結果は再発。ついに恐れていた2回目の再発を発症しました。
初診でしたがすぐに診断書を発行していただき、休職することとなりました。

単身赴任中でのうつ休職は何もすることができず、部屋は散らかり放題、風呂には入れないでほんとうに心底ボロボロの状態でした。電車にも乗れない、空港までいく気力も体力もなく、自宅に帰省すらできない、何もできない自分が、生ゴミのように思え「もうこのまま消え去りたい。皆の記憶からも消え去りたい」とばかり考えていました。

実は和多志が赴任先でうつになる前、仲良くしていただいた先輩が自○しました。先輩は直前までそのような気配は一切見せず、前々日に一緒に飲みに行って、「明日はゴルフなんであまり飲み過ぎんようにな」なんて陽気に会話したのを覚えています。
ゴルフの翌日、体調が悪いのであと1日年休取る旨の連絡を受け、これが最後の会話となりました。
原因はわかりませんでしたが、先輩も単身赴任の身でしたので、もしかすると酔った勢いでやってしまったのではないかと推測しました。
また、別の話ですが和多志が行った研修の参加者の一人が出席せず、そのままでも帰らぬ人となっておられたこともありました。どちらも強烈な印象として記憶に残っています。

話は飛びましたが、静養は基本、「所属する勤務先の近くでなければならない」とのことでしたので、帰省して静養はできなかったことも辛い思い出としてあります。(管轄の産業医が都内にあるため)
ですので休職期間中にお正月を迎えましたが赴任先の社宅でモヤモヤと過ごしました。

さしより今回はここまで。
長文乱文失礼しました。

ここまで読んで下さいましてありがとうございました。




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