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<無為フェス#1> ただ居る記・BUoY note編

2022年4月2日、北千住BUoYの地下に、ただ居させてもらいました。

 私は劇作家をしていて、少し前から――2018年の6月くらいから、「ただ居る」ということを、こちらのBUoYのカフェにてやらせてもらっていた。

 ただ居るとは何かというと、ほんとうに、ただ居る。
 セミ・パブリックな空間に、「居るよ」と告知して、それで現地にいたら「居ます」という看板を出し、そして、居る、ということを、私はとりあえず「ただ居る」というように呼称した。
 なんでこんなことをしようかと思ったのかという、いま、何かしようとか、できないなあと思い、でも何かできることはないかと考えて、「ただ居る」事だけだったらまだできるのかもしれない。そう思い、それで、こういう事をし始めました。

 が、コロナになってから、ただ居ることすらもできなくなった。

 セミ・パブリックな空間に、特に用事もなく、対面で人とぎりぎり接するようことは、控えるべきだと考えたからだ。やる気なく人と対面で出会うことは、社会的にも、そして自分の倫理的価値観であっても否定されるべきだ。だから、私は社会で、人と出会ってはいけない。社会と、自分がそれを許さない。もともとやる気はないし、人と会う気もないのだから、よかった。これでよかった。これで大正解だ。私は人と出会ってはいけない。私がただ居て、生きていることは、迷惑をかけてしまうのだから。

コロナ以前は、そうしたやる気のなさ、無為さ、どうしようもなさを抱えながら、それでも人と人は対面ですれ違わざるを得ないという感じの作品を、演劇として作っていたこともあった。こちらのBUoYの地下空間で劇を上演したこともある。無為さと、やる気の持てなささと、でも仕方なく人は会うそのどうしようもなさ。それを、おもしろいことだ、よいことだと、私は思っていた。

 それを、疫病がまん延する社会になったことごときで、自分が「あ、できない。やめよう」と思ってしまっている。それだけ、僕の思っていたそうした面白さというものは、弱いものだったのかもしれない。疫病の中だからこそ、人を励ましたり、生きる希望を! みたいな強い気持ちには全然なれなかった。

 できることが分からなくなり、わからないなあと思っているうちに、社会の側で「まん延を防止したほうがいい」というお触れが解除され、ようやく、なし崩し的に、まあ、ただ居ることならできるのかもなあということで、非常に弱い気持ちで、何もできないまま、でもBUoYから「地下が開いてるんですよ」という呼びかけもあり、それで、なんか、居ました。

 前置きが長くなりました。
 以下はその時の記録です。

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 4/2。12時ごろ。

地下に来た私に、職員の方が暖房をつけてくださる。ありがたい。机といすを適当に起き、「居ます」と書いた紙を作り、そして、玄関口にそれを張る。
 「下にいます」。

 それで、私は居た。ツイッターにも「居ます」とつぶやき、ただ居ることにした。
 次、もし演劇の脚本を書くのなら、占いを題材にしたいなあと思っていたので、しばらく一人でタロット占いで吉凶を占った後、パソコンで書き物をして、本を読んでいると、ふらりと人が来た。

 人が来ても、私はしばらく、ただ居てしまった。

広いBUoYの空間の、壁際に私は居て、入口からここまで来るのに、数十歩必要になる。

私の知らない人っぽかった。知らない人が、ゆらり、ふらりくる。

地下の中央の巨大柱を超えた付近で、私はようやく、首をチョィっとやり、社会的行動をした。会釈である。すると、人も、会釈というか。なにか反応をした。

別におたがい名乗らない。なんかぼんやりした後、「あ、ただ居るんですよ」と私はいった。いるんですか、と返してもらい、ちょうど何か占っていると聞いて、みたいな話から、知らない二人は、話をし始めた。

タロット占いもする。「正義」のカードが出た。これは先ほど自分を占うときにも出てきたカードだ。
「裁きを受けることになります」
「なんですか」
「逆位置なので、自分の原罪が裁かれる瞬間が近々くるっぽいです。」
みたいな予言をする。私は占い師であり予言者なのだ。原罪、と無意識に言ってたっぽい。原罪ってなんだ。

 それで人は去った。結局どこの、誰なのかわからない。相手も私のことを知らなかったようで、「あ、一応ジエン社という劇団をやってました者です」と名乗った。最後まで他者として、一時間くらい話をした。

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その後、何もせずぼんやりしていたら、知り合いが来た。知り合いと話すのは実に5年ぶりくらいだと思った。当時知り合いは学生で、いまは社会人だった。

 話した。話の中でまた占いをしたら、やはり「正義」が出てきた。
「原罪ってなんだろうなあ」と、ふと話す。

「罪を償うって俺、やったことないんだけど、どうすれば罪って償えるんだろうなあ」
と聞くと、知り合いは「てんちむという人のユーチューブにハマっていて」と話し出した。

 なんでもてんちむという人は、少し前から人気者であり、しかしその人気絶頂の時、人の信頼を損なう商売に加担してしまった。それで、被害者に全額を返金し、多額の借金を背負い、その借金をひたすら返すために仕事をし、その様子を逐一ユーチューブで報告をする、ということをしていたらしい。

 知り合いはその動画のファンで、「てんちむさんが少しづつ更生して、よくなっていくのが分かって、応援したくなるんです」という。それがきっかけでてんちむさんのやっているパフォーマンスを見に行ったこともあるとのこと。

「ちゃんと謝罪してるって感じがしたんですよ」。その謝罪の物語に、自分もパフォーマンスを見に行くということで、課金して応援し、助ける楽しみもあった、と。

 それでこの間ようやく、借金が返済し終わって、謝罪が終わったそうだ。

「これからどうするんだろうね」
「なんか、新しく海外編がはじまりました」

 海外かあ。謝罪が終わると、海外編が始まるのかあ。
「でもてんちむさん本人も、これから何をユーチューブしていこうか、わかんないって言ってましたよ」

 謝罪が終わったあとにも人生があって、生活があって、表現もあるのか。
 ただ居る私とは大違いに、いろいろと忙しいんだなあ。

 その知り合いとは一時間半話して、それで帰った。

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 私はただ居た。ただ居て、たまたま来た他者と、知り合いと、予言したり、話をしたりした。
 それだけだった。
 何か人を励ましたり、元気づけたり、表現のすばらしさを何か、あれするとか。何もしてない。

4/2。表現のためにあるBUoYの地下にて、私はこんな感じで、ただ居ました。
もし今後、人が人と、現実世界で特に理由もなくすれ違ったり、話しかけられたりしていいと、社会も自分ももう少し許せるようになったら、たとえばBUoYカフェにただ居させてもらえる機会があったらうれしいなあと思います。

 セミパブリックな空間に、ただ居ること、ただ生きていることを、自分も他人も、もっと許せたら、いいなあと思っています。

山本健介

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※ BUoYスタッフより※
「無為フェス」詳細については以下の記事をご参照下さい。


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