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<無為フェス#4>BUoYに訪れたことがある人には伝わるかもしれない話

初めまして。しおと、ひかりといいます。

22歳、滋賀県在住です。ノラというユニット名で演劇をしています。
脚本を書いたり演出をしたり役者をしたり、学童保育の先生をしたり、劇場で働いたり、本を読んだり、山を歩いたり、猫と戯れたりしています。


空間で夢想するのが好きだと、BUoYに来て自覚しました。
優しく冷たい床と壁と天井と、そこに内包されている空気が静かに呼吸していて、私も静かに鼓動していて、誰からも傷つけられることなく空間というものに優しく見守られながら過ごす時間が堪らなく素敵に存在していたから、私は「嬉しい」と思いながらニコニコしていました。
人間と関わりあうことは自分に多くのものを与えてくれるし大切なことですが、それと同じくらいに、人間以外と関わることは大切ですね。

ボイラー室側の電気だけをつけて、上手側にあるお風呂の中で、寝っ転がってぼーっとしました。
ぼーっとしながら、タイルを見て、その延長で瓦礫や埃を見て、そしたらお風呂から出て、お風呂の床に立ちました。
天井を見て、照明の配線に劇場を感じて、右に視線を移したら鏡がありました。
鏡の前に謎に置かれた雑誌の訳を私は理解しませんでしたが、分からなくても愛しくなって、愛しくなったら楽しくなって、鏡に映る私の足を見ていました。
恩田陸さんの「私と踊って」という書籍の中に、足元の小窓から差し込む月明かりの上で踊る女の子の描写があった気がします。
だから私は照明を背負いながら、イギリスの昔話に出てくる小人妖精みたいに踊りました。鏡の中で、足だけで踊りました。
振り返ったら蛇口の残骸があって、なんだか大災害の後のように這う這うの体で立っていて、興味が湧いたので近寄ってじっくり見ていました。
蛇口が抱える一つ一つの瓦礫も傷も汚れも、足元に散らばるコンクリートの欠片達も、別に何を言うわけでも無いんです。タイルの一つ一つだって、色付いた壁だって、床の黄色と黒のマーブル汚れだって、照明の角度だって弛んだ配線だって、水垢で曇った鏡だって。
みんな静かで、私も何も言わなくて。だって無理に何かを感じる必要はないし、何かを得る必要もない無為な時間なので。
だから私たちはみんなで静かにして、私は一つ一つの存在をじっくり見たり、感覚で見たりして、そしたら段々言葉を発する欲求が生まれました。
しかしながらこの静寂を崩すことに抵抗もあったので、すごく小さく恐る恐る「あ、」と言いました。

「あ、」は、しゅわしゅわと空間に溶けて、その吸収は実に穏やかで、私は安心してマクベスの冒頭とペトラルカのソネットを口にしました。
綺麗な言葉はBUoYに溶けて、水紋のように暗闇に馴染んで、私から出る音をできるだけ柔らかく丁寧に、誰のためでもなく遊んでみたら、少しずつ自分が浄化されていく気がします。
余談ですが、ペトラルカのソネットは104番が一番好きです。以下に紹介しておきますね。


僕は平和を失ったが それでも争いたくはない
いま 恐れながらも 希望を抱き
心は燃えながらも 氷のようで
空を飛びながら 地面に這いつくばり
何ひとつ持っていないようで
あなたといると 世界の全てを抱いてるみたいだ

あなたは僕を監獄に閉じ込めた
鍵もかけなければ 開放することもない
僕のことを 自分のものだと言って欲しい
さもなくば どうか この縄をほどいて
とどめを刺す気がないなら
せめて この手錠を外して欲しい

目がなくとも見つめ 舌がなくとも叫び
死にたいと願いながら 命乞いをして
自分を憎みながらも 僕は人を愛している

苦しみを食らい 泣きながら笑い
生きることも 死ぬことも
いまでは ひとしく 愛おしい

誰がこんなにも 僕を変えてしまったのか
それは奥様 あなたなのです



美しい時間に心が満たされたら、影に目がいきました。
一灯の明かりといくつかの柱、無機物、そして私自身から生まれる影。その中で唯一動きを持った、私の影。を、伸ばしたり縮めたり、くるっと回ってみたり、他の影と交錯させてみたり。
踊るのは好きじゃないと思っていたので、私の体はなかなか動き出してくれなかったけど、ここには私を否定するものは何もいないんだから、自分の拙さを暫し忘れて、踊っていました。
踊り自体は好きです。美しいものも好きです。じゃあなぜ踊ることに抵抗があると思っていたかと言うと、授業で撮ったダンス動画の中の自分が全然美しくなくて、それが嫌だったからです。
でも踊ってみたら、やっぱり好きでした。私の踊りは美しくないかもしれないけれど、だからと言って踊りが好きな私の体に蓋をしてしまうのは寂しいよね、と踊りました。
頭の中で、森山未來さんの「談ス」が連想されていました。本編を見たわけじゃなくて、森山未來さんの踊る阿保というドキュメンタリーの中にチラッと出てきたシーンを想像していました。
観測者のいないダンスは、誰からもジャッジされなくて、発信者である私の視点だけでできていて、だから奇跡的に美しさを生み出せました。観測者が発生した瞬間、この美しさはぼろぼろと崩れたことでしょう。
香油のようなダンスが済んだ(!)ら、見守ってくれたBUoYにお返しがしたくなったので、声を拾うことにしました。
BUoYの空気を胸に込め、私のフィルターで濾過して言葉にしました。何も考えずにただこの空間のことだけを想って言ったので、何を口にしたかは覚えていません。でもきっと、BUoYが銭湯だった頃とか、劇場として色んな作品を経験した中で見た景色や生じた時間について話したような気がします。この場所はきっと、多くの人に愛されたんだなぁと想像して、私もその一員になりました。
BUoYを好きになっちゃったので、ここで作品が作りたいなと思っています。お客さんと一緒に、BUoYを素材から味わえるような時間を作りたいなぁ。何も味付けされていない劇場に、お客さんと作り手とのみんなで集って、きた人みんながBUoYを好きになっちゃうような作品。

BUoYのスタッフさん、一緒にやりませんか。


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※ BUoYスタッフより※
「無為フェス」詳細については以下の記事をご参照下さい。


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