「ダイエットや筋トレでいい結果を生めない絶対的な理由」の仮説の生い立ち
何事にも「道理」と「原理原則」がある
道理と原理原則を元に考えると色々な真実が見えてくる。
体の構造、進化の歴史、野性の証明、社会動物としての原理原則、人間も単なる哺乳類の一種であること、細菌との共生なとなど。
なぜそれが成り立っているのか。
なぜそうなったのか。
どういう理由と流れで進化または退化してきたのか。
こんなことを考えると、人間のカラダは必然性に満ちていることがよくわかる。
ダイエットに先立ってそんなことを考えることからはじめてみた。
カラダを原理原則的に考えてみる
生命の究極的な大前提は子孫繁栄。
いわゆる三大欲求(食欲、性欲、睡眠欲)はそのためにある。
子孫繁栄のためにはまず生き残らなければならない。
生き残るためには強い体を維持しなければならない。
強い体を維持するためにはまず栄養を摂らなければならない。
栄養は限られた食物から、最大限吸収しなければならない。
より多くの栄養素を吸収するためには、効率良く栄養を取り込める体にする必要がある。
こうした観点から、効率良く栄養を吸収できる体質の方が望ましいし、強いカラダであると言える。
そうすることで限られた食物が、少量でも体内に投入されたときに、できるだけ多くの栄養素を摂りこみ、エネルギーを貯蔵することができる。
そのうえ、できるだけエネルギーを消耗しないで済む、高度なエネルギーマネージメントを身に付ければ、生命体としては申し分ない。
効率の良い吸収体質。
エネルギーを使わない省エネ体質。
栄養素とエネルギーを貯蔵しやすい体質。
この3点が人間、いや生命体の根本的な「原理原則」だと言える。
人類は進化中も含めて飢餓との戦いであった
人類歴、数百万年のうち飽食時代はわずか1%にも満たない。
Wikipediaによるとヒト属が生まれたのは200万年前で、ホモ・サピエンスは40〜25万年前となっている。
一方飽食の時代はいわゆる戦後の50年といったところだろうか。
でもそれはボクたちが住む、いわゆる先進国類の話だ。
ここではあまり正確な年数は必要ないのでざっくりと考えてみた。
ヒト属が生まれてから195万9950年が飢餓状態との戦いで、飢餓状態から解放されたのが50年。
たった50年。
0.0025%。
「200万年も我慢してきたけど、ここ50年を見る限りもう飢餓の心配はなさそうだから採りすぎたエネルギーは、貯めずにそのまま排泄しよう」とはならない。
あまりにも長すぎた飢餓時代。
それに今後飢餓状態が訪れないという保証はないし、世界にはいまだに飢餓と戦っている人たちもいる。
だから人類は飢餓の恐怖を忘れるはずがない。
飢餓状態を回避するプログラムは強固なのだ。
人間のカラダは飽食に対してなんの進化もしていないのだ。
生命はとにかく生き残ろうと一生懸命だ。
摂取した栄養は一滴残らず体に吸収しようとがっつくわけだ。
そして、その時使えなかった栄養分はどうにかして体に溜め込もうとする。
なぜなら次の栄養摂取がいつになるか、なんの保証も計画もないからだ。
余剰エネルギーは体内に蓄積されるように設計されているのだ。
ところが現代人にとってやっかいなのは、蓄積のしくみは消費されることが前提に設計されている、ということ。
ときには備蓄が空っぽになることだって珍しくはない。
だから現代のように溜まり続けた脂肪をどうするか、という解決策をカラダは持っていない。
個体差はもちろんあるが、たまり過ぎた脂肪は想定外の障害を引き起こすことがある。
本来生きるために溜め込んだ脂肪が逆に死ぬ方向へ働く、なんてこと創造主は考えていなかっただろう。
でもひとたびそっちのベクトルに動き出した身体を、脂肪過多の状態のまま健康な方へ引き戻す方法を人体は知らないのだから、困ったもんだ。
しかし方法というか、解決策はある。
人間が独自にもつ、思考によって健康になる方法を見つけ出し、そちらへ強制的に引っ張り込む。
ボクたちにできることはこれしかない。
要は頭を使って健康体を取り戻す、ということだ。
人間の体にダイエットなどという仕組みは元来ない
体重が減るのは食べるものがないか、病気の時だけだ。
健康なのになぜ体重を減らす必要があるのか、そうカラダは考えているはずだ。
ダイエットの必要性を感じているのは本能ではなく脳の前頭前野だ。
つまり、人間の思考だ。
本能では「ダイエットなんてとんでもない」と考え
思考は「このまま脂肪体質が続くと死亡するぞ」と考えて
ダイエットを敢行する。
すると潜在意識が本能的に抵抗を始める。
最初はスルッと体重は下がる。
しかし本能は、突然危機感に目覚め、危機モードのスイッチを入れ省エネモードに変更。
更に高効率モードになってエネルギーを効率よく蓄積していくようになる。
前頭前野がダイエットを強行すれば、その分潜在意識は強力に抵抗する。
極端な食事制限は、カラダにとっては飢餓の到来以外の何ものでもない。
これは私たちが持つ生きるための基本的な本能で、絶対に必要なものなのだが。
困ったことに、ひとたび危機モードが発令されるとその解除は簡単ではない。
思考による強行的な食事制限は、潜在意識を意固地にするだけだ。
だから私たちは、潜在意識を騙し騙し食事の制限をしていくことを考えた。
例えば野菜をたくさん食べる、油を多めに摂る。
すると、「たくさん食料が摂れている」「カロリーもたくさん摂れている」と、脳は思うのだ。
この手は一時的にはうまくいくのだが、潜在意識もバカじゃない。
すぐに騙されたと気づく。
そうでなくても、前頭前野が飽きてしまったり、挫折してしまったりして反動食いに突入することは珍しくない。
そうなると本能は自身のカラダを、痩せにくい体質にモード変更してしまう。
そして前頭前野が少しでも油断しようものなら、あっという間に脂肪を増やすのだ。
恐怖の「リバウンド大魔王」のお出ましだ。
こうなると次が大変だ。
ダイエットはやり方を間違えると脂肪と同時に筋肉まで落ちてしまう。
その状態でリバウンド大王を迎えてしまうとどうなるだろうか。
ダイエットと称して食事制限をしても、いずれリバウンド大魔王に倍返しされることになるのだ!
そもそも人間は我慢なんて長続きしないようにできている。
少なくともボクはそうだ。
食事を我慢するなんてプログラムされていないのだ!
結局のところ、食事制限は多かれ少なかれストレスを生み、反動喰いに走る大きな要因になる。
ということで前頭前野による意識的な食事制限は無駄、というのがボクの結論。
もう1つの常套手段「運動」
身体を動かしてカロリーを消耗するというやつ。
確かに理論上は摂取カロリーより消費カロリーが大きければ、差し引きで脂肪は減る理屈だ。
それはわかる。
しかし潜在意識に伝家の宝刀「飢餓モード」のスイッチを入れられようものならそんな理論はなんの役にも立たない。
ハードに身体を動かしてカロリーを消費しても、本能は腹減りスイッチをオンにして、より多くの食料を摂取するよう命ずる。
そして結果的に、使った分より多いエネルギーを摂取する羽目になる。
で、体は飢餓モード真っ最中につき大量備蓄サービスと相なる。
どう転んでも前頭前野=顕在意識は潜在意識には勝てない、のだ。
つまり正常な人間はダイエットなんてできなくて、一度太り出せばただ体重が増えていくに任せるしかないのだ。
原理原則で考えるとこうなる
しつこいぐらいにネガティブなことを書いてきたが、大事なことは、この原理原則をまず理解し受け入れるということ。
最初にこれをしなければ始まらない。
そして自分の生活環境、性格、住環境、生い立ち、幼児体験なども良く理解して、自分に合った方法で潜在意識を攻めなければ、効果は見込めない。
私たちの体は、たった1つの理論やメソッドでどうにかなるほど単純ではないはずだ。
だからなんとかダイエットなんて本がたくさん出ているが、万人に効果があるはずがない。
まずは自分の興味あるダイエット方法からリサーチしてみる。
興味があるというのは、なんらかの因果があるということかもしれない。
そしていくつかのメソッドを研究して、組み合わせながら徐々にやるのがいい。
トレーナーや専門家についてもらったとしても、彼らは目に見える効果が欲しいので、短期間で結果を出そうとする。
短期間で結果を求めるのはいろいろ問題があると思っている。
これについては、改めてにするが、いずれにしても中途半端で終わると、あっという間にリバウンド大魔王にしてやられることになるから要注意だ。
究極のダイエットは「一切食わずダイエット」
ずっと食わなきゃそりゃ痩せるわ。
でも病気になる覚悟が必要。
死ぬ覚悟も必要になる。
逆にいうと、ダイエットとはそれほど大変であるということだ。
体にとっては、それこそ死活問題なのだから、気軽に始めるべきではない。
一度飢餓モードのスイッチが入るとなかなか解除されないのだということを忘れてはいけないよ。っと。
気持ちだけではない「サポート」、ありがとうございます。