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ダイエットや筋トレでいい結果を残せない絶対的な理由がやっとわかった

絶対的な理由をカラダの原理原則から考えてみた

現在55才。ダイエットやエクササイズ歴は長い。キャリアは30年を超える。その時々に流行った多くのメソッドを実践した。スポーツジムに初めて通ったのは1980年代後半。神宮前にあったエグザスというジム(久しぶりにエグザスという文字を入力したら一発でカタカナ変換されない。時代を感じる)。

それから続く「ダイエットやエクササイズがうまくいかない」人生。なぜだろうなぜだろうと考え続け、ときには見ない振りをして最近やっと全貌が見えてきた。

ダイエットが失敗する原因?それの理由は簡単なことだった。
それは「続かない」こと。
ということは、継続できれば成功する、ということになる。逆説的になるが。
考えなければならないのは、なぜ続かないのだろう、ということだ。

でも絶対的な理由をみつけた。
結論からいうと「人間のカラダはダイエットに抵抗するようにできている」から。
そしてそのことをしっかり受け入れ、理解していないから間違った方法でダイエットに走り、終いにはリバウンド大魔王の逆襲をくらってしまうことになる。

世の中数多くのダイエットメソッドが雨後の筍のようにポコポコ状態だが、カラダの基本がわかっていないのに飛びついてもいい結果が出るはずはなかった、のだ。
中には「なんとかだけダイエット」みたいな単品だけ摂ってダイエットするような、メソッドと呼んでいいのか疑問な本もたくさんある。さすがにこの手のメソッドは試したことはない。

原理原則的にいうとそれだけ商売になるということは願望的なニーズはたくさんあるということで、それにのせられてはいけない。そういうのは、無視。
しかし皮肉なことに、様々なメソッドが出現していえるという事実が、ほとんどのヒトがうまくいっていないということの裏付けにもなっている。

ぼくは長年ダイエットとリバウンドを繰り返し、筋トレも一時的にガッとやるのだが一回やらなくなるともう熱が冷めてそれで終わり。
まるで瞬間湯沸かし器のようにやったりやらなかったり。
今思うと今までやってきた筋トレは単なるマイブームだったな、と強く思う。

で、おじさんになってからやっと自分が間違った考え方というか心構えで臨んでいたことに気がついた。
そこに気づいてぼくがどうしたか、そしてその結果どうなったかを残しておこう。なにかの偶然でこの記録を目にしたヒトの参考になるかもしれない。
そうなればそれが一番嬉しいことかもしれない。

「原理原則」を追求していくと見えてくるカラダの本音。
この本音を理解していればダイエットだけじゃなく筋トレやリハビリなんかにも応用できるのではないかと思っている。

魔の「一念発起」

ダイエットを始めるときのきっかけ的なものに「一念発起」がある。
まるで付属品のようにダイエットにくっついている「一念発起」。

しかし、ダイエットに「一念発起」なんかしてもまず成功しないもの、というのは多くのダイエッターが経験しているはずだし、自分でも経験済みだ。
こんなのその時の単なる自己満足でしかない。

せっかく「一念発起」しても、挙げ句の果てにはリバウンド大魔王の餌食になるのが毎度の結末。
その度に筋肉は落ちるは贅肉は増えるは。

そして次の夏が視界に入ってくると懲りずにまた「一念発起」。
で、またリバウンド大魔王にやっつけられる
この繰り返し。一生のうちに何回一念発起すれば結果が出るのやら。
一念がかけ算できるのならのう三十念ぐらいになっていて強力なはずなんだが。

毎年お中元のように「一念発起」と「リバウンド大魔王」、それに「自己嫌悪」がセットでやってくるのがお決りの年間行事。

この30年以上もの長きにわたるダイエット&リバウンドの繰り返しから導き出した最終兵器、というか究極のダイエット成功法則

それは「続ける」こと。
結局のところ、これしかなかった。
最終兵器とは大袈裟だがそれだけ難しいという意味でもある。
世の中で続けることほど難しいことはない、と実感している。

じゃあ、そんな続けることの難しさを少しでも緩和させるための方法はないか。

それはなんと言うか、あるにはある。

ダイエットの最終兵器

最終兵器なんてたいそうな言い方をするが、ここで記すのはメソッドではなく「考え方」。
この「考え方」を元に、世の中に数多あるメソッドから自分に合ったものを選べぶべきだと思っている。
そもそも千差万別の人体。性格。育ち。万人に合うメソッドなんてあるわけがない。
だからどのメソッドがいいなんてヒトにおススメすることは難しいしおススメされることも難しい。自己責任で選ぶしかない。
だからここに記すのはどちらかというとメソッドの選び方基準になるのかもしれない。

そもそも同じ理論が万人に通用すると考えるのがおかしい。ということから考えてみる。
体質、生活習慣、考え方、育ち、幼児体験、生活環境、すべてが違うのに同じ方法でいいわけがない。

世の中に出回っているダイエット法が間違っているとは言うつもりは少しもない。
そんな立場でもないし。

そこでとりあえずやってみたのは、ダイエットや筋トレについてちょっと考え方を変えてみること。

でも自分自身にパラダイムシフトをおこすぐらいインパクトを持たせるものでなきゃ効果は望めない。

だから「自分自身にパラダイムシフトを起こす」んだ、という覚悟で望まない限り、この緩い世の中でダイエットに成功するのは至難の業だ。と、そういう気概を持って臨んだ。

カラダの原理原則を知る

なにせダイエットはカラダにとっては生命を脅かす行為以外の何モノでもない。だってそもそもダイエットなんて人類にとっては未知の体験なんだということから考えはじめた。
今まで数百万年の人類歴の中で、経験もなければそもそも必要がなかったことのひとつがダイエットなのだ。

飢餓との戦いを制してきた人類が、ここへきて真逆の目的を持って戦いをしなければならなくなったのだ。
まさに未知との遭遇。

だからダイエットはそんなに甘いものじゃない、ということを肝に銘じなきゃ進まない、そう思った。
本来、減量を考える前にまず体のことを考えるべきなのだが、そんなことを唱える人はあまりいない。

ダイエットも強靭でしなやかな筋肉も一日にして成らず」だ。

では何をどうしたのか。
ダイエット実行の前にダイエットを徹底的に考えた。
ダイエットを考える前にカラダのことを考えた。
こうしてまずは自分のカラダを知ることから始めていった

そして、自分のカラダがわかってきたら、ダイエットを開始する前にカラダを正常に戻すことから始めた。

まずはカラダの動きをきちんと制御することから。
カラダがちゃんと動かなきゃダイエットしても意味がないし、リバウンド大魔王に隙を与えることにもなる。

なので最初に「道理」と「原理原則」を元にカラダの原点を探っていくことから始めた。
そうすればおのずと正しい方法が見えてくるはずだ、と思ったのだ。

まずは自分のカラダを知る

まず自分のカラダを知ることから始める、と考えたのだが、何もダイエットだけのためだけに始めたわけではない。
自分のカラダを知ることは、未病など色々役に立つだろうと考えた。

どんどん自分を「見える化」していくと自身の強みや弱みも見えてくるはずだ。
強みは長所としてどんどん伸ばし、弱みは否定せずに短所としてカバーしていく。
このあたりは社会人としての処世術と一緒だ。

ダイエットに限らず、カラダを整えることは簡単ではない。
整っているかいないのかを判断するはもっと難しい。

カラダは問題が生じたら、限界まで自己調整しようとする。
ときには抵抗したり、悪あがきをしたり、を繰り返し、限界を越えると突然不調を訴えたりする。

食事にこだわってカラダにいいものしか摂取しないような人でも、間違ってガンになったりする。

カラダの調整力はものすごい。
本人でも気づかないくらい繊細な微調整を日々刻々行っているのだ。
自分で自分のカラダを知るのは本当に難しい、と実感する。

フィジカル面だけでなく、健康診断や血液検査などもしてみてバイタル面からの「見える化」も進めていった。

まずはフィジカル的にカラダを知ることを考えてみたが、もっと根源的な原理原則についても考えてみた。

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工藤工
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