パート1 脚本をすごく解釈したくなる為に(カレーライス脚本解釈術3)

 引き続き、脚本解釈について改めて解説したい3つの理由、理由は続けて残り2つ。

 理由2 やらない人が多すぎるから。重要性が共有されていないから。

 「ホンが読めない」言われている人の中には「ホンを読まない」人だっています。必要だという認識がないから。アメリカのキャスティング・ディレクターが書かれた『俳優のためのオーディションハンドブック』の中で興味深いいくつかの事柄がありました。

・オーディションで脚本全体を送ってほしい、と頼みましょう、自分に割り当てられたシーンの台本しか読まない俳優が多い。

・脇役のキャスティングのオーディションで脚本全体を読んでいない俳優が2割もいてショックを受けた

 アメリカで2割、では日本ではどれくらいでしょうか。脚本を全部読んでなければ演技が「できない」事はどれほど考えられているでしょう。このようなオーディションでは役者の顔や声、雰囲気を見る事が出来ますが、脚本解釈の力を見る事はできません。制作側もそれほど重要視していない事がわかります。どちらにとっても惜しい現実だと感じます。

 もちろん制作側の問題で守秘義務が関わっており、脚本全部を出せない場合の方が多いかもしれません。それでも、部分で演技をするのは不可能、という意識を全体で共有しておけばオーディションする側も配慮が必要だとわかりますし、それは役者にも伝わります。

 ホンの解釈をしない事をカレーライスで言えば、自分の分のライスを持っていかない人だと思います。必須なのに、持って行かない。ライスだから完成品になれば準備しなかった事は目立たない。知らないうちに自分担当のライスを持っていなかない人続出です。

 あなたが準備していかなかったライスは他の人が準備してます。それは現場から人の時間やパワーを奪った事になります。その分クリエイティブな作業は削られます。そしてそれは作品全体の質を落とします。悪循環です。もしかしたら可愛い顔した「真面目な」誰かがやらかしているかもしれない。こんな悪態を知らずにやってしまう人を減らしたい。

理由3 出番の役少ない役は実は最難関という事実。

 前回の記事中、円グラフでそれぞれの作業の重要度をイメージしてみましたが、今度は作業量で見てみます。個人間のやり方、量はそれぞれですので一例です。

 個人作業量だけを(皆でリハーサル、本読みを始める前までのB,C部分)100m走に例えてみます。解釈完了(B)で10m地点まで進みます、書籍で解説がたくさんある演技の構成(C)を作ってみて10メートル地点から100m地点ゴール、晴れてリハーサルにすすむ、と考えてみます。

 この10m地点から多くの演技の本が対応しています。この本で解説したいのは、その10m地点まで、演技の本の表紙に進むまでの作業をと思っているのですが、ゼロ地点から10m地点の解説ではたりない人達がいます。それは主要人物か、それとも出番の少ない役者かどちらかわかりますか。

 早速皆さんにやってほしい事があります。音声脚本「僕はおとうさん」は読んでくれましたか。読んでない方は読んで戻ってきてください。

 おかえりなさい。読みましたか。

 皆さんは冒頭の「警察官1」をどうやって作りますか。言い回しが男性ぽいですが女性も多少セリフを変えて考えてみてください。ごく普段の自分がするように演技を作ってみてください。どうせ作ってみたのなら、空気感だけでも動画を撮って残して置く事をお勧めします。そして、自分がどういう手順で作業したか、改めてメモしてください。私がそうだったように、自分でも思いがけない作業をしているかもしれません。

 ここで、この提案をまともに受け止めてくれる人はどれほどいるかわかりません。でも、ここでまともに受けて立ってくれる人はこの先の本への主体性が比較できないほど強まります。一度ここで先に進むことを休止して、自分の為にやってみてください。ここで自らのやり方を真剣に振り返るほど後に得る物も大きいと思います。「あそこでもっと真剣に作っておけばよかったなあ」程になるかは私のこれからの内容次第ですが。少なくとも失う物はありません。誰の為でもないです。いってらっしゃい。

 おかえりなさい。 作ってみて、いかがでしたか。簡単でしたか。難しかったですか。

 あなたが作った警察官1はどんな人ですか。「感じのいい人」ですか「感じの悪い人」ですか。その選択をした理由はなんですか。メモに残して置いてください。

 皆さんの中にイメージがあるかわかりませんが、出番の少ない役は主要人物の演技を作るよりも解釈の部分でずっと難しく作業量が多いのです。と、言われて、もう一度見直してみようと思った方は、是非、もう一度ここで考えてみてください。

 現状、出番の少ない役を演じるのは実力と経験が少ない人達が多いですね。名のある人が出番の少ない役をやる時は「友情出演」「特別出演」など特別な名前が付く事からも「出番が少ない役は大物じゃない役者がやる」という認識されているのが分かります。

 けれど、その作品のテーマを伝える為に虚構の世界にリアリティを持って存在する、という側面だけで捕えれば、どんな**出番の少ない役も主要人物同等レベルの仕事を求められています**。ギャラの違いは役者としての価値などと考えず、仕事量の違いと考えればいいのです。

 それどころか出番の少ない役の求められる仕事内容は主役について創作する時よりも脚本解釈に対する知恵が必要です。その歪みの為、ここを突破していく事は役者業の最難関のうちの一つだと思います。逆に言えば、少ない出番でいい仕事ができれば、その後の修業は効率は良いはずです。

 ああ、一つ、テレビ番組制作会社時代のおもしろい事件を思い出しました。私の勤めていた制作会社は中規模でドキュメンタリーや旅番組が主でした。バラエティーは時々。ただ、もはや死語かもしれませんが、ゴールデンタイムの仕事がほとんでした。ある日「地味な番組もやってみたい」とばかりに、当時全盛期だった芸人さん達と普段バラエティの仕事をしているディレクターがおかかえのADを連れてやってきました。なぜ、来たのか。意図としては疲れをいやす為に「簡単な番組」をやってみたかったそうなのです。

 結果、夜逃げしました。現場慣れしていない普通の人やなんでもないお店を番組にするには専門の知恵が必要です。作家の企画力で芸能ある「おもしろい人達」を写していれば番組になる現場ディレクターはそのおもしろさを自分の実力と勘違いしていたんですね。私が所属していた制作会社の人達は普通の人達でネタを構成する番組を「ディレクター養成番組」と位置付けていました。硬ができれば軟もできる、という考え方です。ちょっと主要人物と出番の少ない役者と通じるものがありませんか。

 話を戻します。なぜ出番の少ない役の方が解釈が難しいのか、具体的に見て見ます。

 演技を作る時、様々方法はありますが、基本のうちの一つで考えます。役の目的と障害を設定し、その役の「背骨」になる、人生の目的も必要です。情報があれば、演技を組み立てられます。主要人物の場合、組み立てに必要な事実やセリフなどヒントがたくさん入っているので、周りの認識と誤差の少ない解釈と調整ができます。そこから創作を始めるのがプロの仕事です。

 一方で出番の少ない役はどうでしょう。「僕はおとうさん」から考えます。

 主要人物、宗太郎、義兵、ハムの目的、障害、直前の出来事、事実(出来事)などあらゆる情報がホンの中に探せます。一方、警察官1はどうですか。

 ありませんよね。主要な役以外は、演技に必要な最低限の情報が揃っていないのです。

 先に挙げた100M走に例えれば、主要人物は情報量という意味でゼロ地点に立っているけれど、出番の少ない役はさらにマイナス10メートル地点からの出発と言ってもいい。そしてゼロまでは自分で組み立てる必要があります。

 情報がないなら思うぞんぶん尖ったキャラを立ててやるぜ! はもちろんダメです。ホンのテーマから計算して作ります。その役が本物に見える事が何よりも作品を助ける事です。

 ちなみに警察官2はどうでしょう。二言です。それでも基本部分を組み立てなくてはいけません。簡単じゃないですね。でももし、こんな少しの出番の役までも活き活きと生きる事ができいたら、本当に幸せな事だと単純に思うのですが。

 出番の少ない役について、大きな誤解をしている人がいます。「出番の少ない役は目立ってはいけない」と。主役に譲るのが仕事だ、という意味でしょうか。それは見た目だけ見れば無難に収まるのかもしれませんが、思考は完全にトンチンカンです。映像世界がリアルにみえる事と目立たないようにしている人がいる事は意味が違います。

 誤解の結果だと思う事態に遭遇した事があります。中年の役者さんがあまりにも節回しだけで演技するので、どうして全然演技しないんですか、と聞きました。「お前は時間を使うなって言われてきたんです」と悲壮感たっぷりに訴えます。まるで出会ってきた演出家が悪者みたいな言いようですが、自分の事は振り返らなかったんでしょうか。余分に時間を使っているように見えてしまっていたからそう言われてきただけです。節回しだけの演技で「格好いい」間をとっても、間違いなくその「間」は要らないんですよ、と言われます。

つづく


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