2-1.落ちやすく這い上がりたくない穴(前半 適切な自己評価を欠く事)

(『1.君に俳優を志すのをやめさせたい』の続きですが単独でも完結しています)
 人には生まれ持った資質があります。(見た目の話は俳優なら避けられないでしょうが、今はそういう話ではありません)自分の子を含め小さな子達と触れ合うと、しみじみ思います。「なんだ、新しいうちは、みんなただの天才じゃないか」と。
 想像していたより、生まれてすぐ不思議に嗜好がはっきりしています。得意、不得意も。(顔でさえ、女子は化粧してないからか大人より圧倒的にいろんな顔をしているように感じます)そんな生まれ持った自分を生涯引きずりながら行かねばならない。良くも悪くも離れられない。あらゆる環境、数々の出来事を体験しながら与えられた自分を発見したり、変身させたりしていく。
 そうして目指す先が本当に俳優なのか、そこが問題です。

 俳優には弁護士のように難しい試験があるわけでもなく、スポーツ選手のように体力テストがあるわけでもありません。俳優不合格!と言われる事もなければ(この役には不適切!はありますね。でも日本はオーディションの数も少ないですね)事務所からクビと言われる事も稀。業界トップクラスは常に華やかにきらめき、他の職種より圧倒時に日常目に入ります。さらに、日本で売れている人の演技が本当にその地位(知名度)相応かと問うと、そうでもない人もたくさんいます。演技は少しの努力をすれば、できるように見えてしまう。ある程度の人望と器用さがあれば、あまり努力を伴わずに細々と別の仕事をしながらでも、いつか「売れる」と思いこめる環境があります。
 ここ数年の間、「ひっぱりだこの俳優」を目指して30年以上頑張って来た年配のお二人と別々の場所でお芝居を作る機会がありました。お二人ともNHKの朝ドラ出演や役者としてのレギュラー出演経験もあります。男性は講師の仕事、女性は結婚を経て細く、長く続けてこられたようです。お一人は有名人もいる中堅の事務所の方でした。全く違う環境のお二人ですが、共通点がありましたので挙げてみます。

・演技の質
・発声と姿勢が美しい
・若い頃は外見が魅力的だった面影がある
・若い役者に対する態度
・これまで売れなかったのは、チャンスがなかったから、チャンスさえあれば、いつか売れると考えている。

 ここまで書いて、当然ありうる私への反論を威勢いい英語翻訳風セリフにしてみます。
 中年男性(55)が勢いよく立ち上がる。
 男性「脚本書いて自主制作作ってる?(大笑い)そんな分際で。どんな神経してやがる。馬鹿だから気づいてないようだなあ。教えてやるよ、あんた、他人の人生を馬鹿にして、気持ちいいんだよ。自分を棚に上げて言いたい事を言う。恥ずかしくないのか? 誰に迷惑かけたんじゃない、地道にコツコツやってきた、そんな人達を、俺は立派だと思う。周りは出世して、子育てして、前に進んでるように見える。自分はいつまでも売れない。苦しかったと思う。迷わないわけないだろう。それでも自分が選んだ道を貫いてるんだ。俺は美しいと思う。あんたに彼らの人生をジャッジする権利はない。彼らの人生が成功だったかどうかは彼らが決める。そうだろ? あんたは……可哀想な人だよ」

 自分を責めるのはこれくらいにしておきます。自分はカスだな、と思う時もあります。でも全部が全部カスじゃないので言います。それくらいの現実があります。
 お二人が30年以上の「キャリア」がありながら売れない理由は、運でなかった、と思います。30年間まるごと運が悪いなんて、それこそどんな確率の低さでしょう。万が一、事務所の権力が莫大で、この30年間のうちにアカデミー賞作品賞級の素晴らしい役がきていたとします。それでも今、彼らは同じ場所におられると思います。理由は一つです。上等な演技ができないからです。上等な演技ができれば、必ず、どんなに運が悪くても30年の間に誰かが発見してくれていたはずです。あるいは、もし「有名」になっていなくとも、自分が成してきた仕事に対し真に誇りを持っていたはずです。
 
 なぜ、実力不足に気が付かないまま30年以上も捧げてしまうのか。

 世間と近い自己評価ができない事は真っ先に思いつきます。「正しい」自己評価を下すにはセンスが必要です。センスがなくとも勇気があれば、周りの信頼できる人物に手伝ってもらう事が出来ます。自分に足りない部分や量が適格に自覚できれば、熱意によっては努力し続ける事も、諦めて他の道に「進む」事もできます。
 さて。ここで静かに大問題が発生しています。「評価を手伝ってくれる信頼できる人物」がものすごく少なそうです。指導者だけでなく演出家、マネージャー、俳優仲間、相当な人数がいるのに、です。
 私が自分の演技の実験場でかかわっていた役者さんのうち、3人は事務所の名前が知れた若者でした。そのうちの1人の事務所に、昔は演技とも言えない演技をしていたのに、ここ数年で驚くほど成長され、売れっ子になった役者さんがいたので、その飛躍の事情を同じ事務所の彼は知っているか聞いてみました。「わからないですけど……僕も時々やってもらうんですが、〇〇(事務所の重要人物)が“気功”のような事をやってくれるんで、そのおかげだと思います」と真顔で言いました。大手の事務所の3人ともが演技を適切に鍛錬できる場を持っていないようでした。いつか、長いキャリアの中で数少ない演技が評価できる人物(指導者だけでなく演出家、マネージャーなど)に出会う時が来るかもしれません。でもその頃には「キャリア」が邪魔をして適切な厳しい評価を素直に受け止められなくなっている可能性もあります。そのような意味でもできるだけ早く自分の評価ができる手段を見つけてほしいのに、それが難しいのです。また、例え適切な評価を得られても、本番以外で技術を磨くための場所は意識していなければほとんど見つけられないかもしれません。

 すっきりしない気持ちになった事もありました。有名人はいますが、大手ではない事務所の例です。事務所関係者と繋がりがある文化人が「この子を私に任せてほしい、文化的に育てる」と定期的に「かわいい顔」の新人を演劇や食事に連れて行きます。その人物の恋愛対象の性別の子です。それを聞いていた私の顔が引きつったのか、事務所の知人が「長年つきあいのある、信頼できる人なので」と付け加えました。

 しばらくして事務所のHPから新人は消えました。こうなると「文化人」の(「下心」は疑いないですが)「下心優勢」を勘繰りたくなります。若者にとって普段見る事のない新しい世界を知る事は大切です。文化的経験にはお金もかかります。需要と供給が釣り合っていた、と言えるかもしれません。いかなる理由があっても本人が成人で承諾してる限り問題ないはず。ただ、順番が気になります。まだ二十歳前後で、演技の基礎もない、無垢そのものの若者でした。もっとやるべき事があったのではないか、と。その事務所は珍しくプロによる演技指導も実施されていました。実際、「(事務所のレッスンが)ドンピシャにはまりました」と言ってそこそこ結果を出していた女優さんもいました。……なんだか、よけいすっきりしません。

 長くなってしまったので、前後半に分けます。後半は自己評価を手伝う他者からの評価の危うさについてです。

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