見出し画像

無意識のストレス~疲労の原因が分からない~

無意識のストレス~疲労の原因が分からない~

先日、常連さんとこんな会話を交わしました。いつも朗らかで、お会いするとホッとする方です。特段、疲れているようにも見えず、いつも通りの時間です。

都市での生活が大変そう。何ができることはありますかねぇ。
 僕:う~ん。でも僕らもなんだかわからないですが疲れますよね。
そうは見えないけど…実は私も疲れてるの。なんなんだろうね。
 僕:「無意識のストレス」のような感じなんですよね。
「無意識のストレス」か…なんだかしっくりくるわね。
 僕:まあ、無理せず無理せずですよね。

マスクをつけ始めて1年以上

マスクをつけ始めて1年以上が経過し、且ついまだに収束の目処はたたず。メディアからシャワーのように流れてくる感染者情報。ほぼほぼ普通に、普段通りに生活を送れているように思えるローカルや、マイクロコミュニティにおいても「無意識のストレス」に身体を包み込まれているような気がします。でも、そんな感覚をどなたかと共有できることで、ホッとする瞬間があります。

辛いとか疲れたと言えるコミュニティ

辛い時は辛いと言えるコミュニティは強いんじゃないかと。弱音を吐けるコミュニティやチームの方が強いんじゃないかと。弱さを言葉にできる、弱さを声で表現できる居場所がある。そんなコミュニティの中で暮らしていきたいものです。失敗や弱み、悲しみの共有と成功や強み、喜びの共有は等価だと思います。

疲労して当たり前の世界を生きているということに自覚的でありたいです。

コミュニティの心理的安全性

「無意識のストレス」の話とはズレるとは思いますが。高さ10センチの丸太の上を歩く。落ちても大丈夫という心理的安全性があるから、チャレンジできます。ところが高さ100メートルの丸太の上だとどうでしょう。怖くてチャレンジできませんよね?やろうとしていることは同じなのですが。

失敗が許されない社会やコミュニティしかないとしたら、誰もチャレンジしない退屈な世の中になってしまうでしょう。失敗が許されているからこそ、人はチャレンジできるのだと思います。

そりゃ。カッコいいんですけどね、失敗が許されない中でも戦えるって言えるのは。それに、やっぱりノーリスクで何かアクションを起こすというのは、そもそもそれはチャレンジとは言えません

カッコ悪いチャレンジがそこかしこでポコポコ行われているコミュニティっていいよねってトレンドというか世界が来るのかもしれません。

トレンドの変化は若者から

先日、面白い記事を見つけました。

https://cerealtalk.jp/p/vol-10

「ミレニアルピンク」時代の終わりという内容です。

もしかしたら世界の若者達は次の世界をデザインし始めているのかもしれません。オーセンティックで、カジュアルで、汚いルックス。

かつて日本にもそんな時代があったような気もします。最近若い人たちのnoteを読んでいると、時代やトレンドが確実に変わっていることか感じられます。

日高の来訪者トレンドも激変しています。トレンドやニーズは重層的かつ多様化しています。昨年6月くらいから「あれ?」って感じがして、すぐに農家さん達に伝えました。

今はオープン当初とはだいぶ違った店舗になっていると思います。お店を見て、がっかりされているお客さまももいらっしゃるのかなとも思うのですが、拍手をしてくれる方もいらっしゃいます。

僕たちは、生き残っていかなければなりません。お店の変化は商売の醍醐味、とも言えなくもありませんが、そんな余裕は全くないというのが正直なところです。

昨日の雨とは裏腹に今日は快晴の新冠です。今朝も農家さんと、よもやま話を。無理せず生を楽しみましょうね!

とにかく、よく笑ってバカなこと言って。そんな時間が1日に沢山あれば、大丈夫じゃないかなって思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?