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私にとってのプルーストのマドレーヌ②「炙りチャーシューと夏祭り」

炙りチャーシューを食べたとき、こんがりと鼻に抜けるスモーキーな香りが、昔懐かしい夏祭りへと私を連れ出した。

完全なる、屋台の香りだったのだ。
ヨーヨーを片手に提げて、お小遣いで味わうちょっとした贅沢。
焼き鳥か、焼きとうもろこしか。

焼き鳥と女の子

焼き鳥といえば、友達と一緒に買いに行った時のエピソードがある。
その友達は身長が高くて可愛くて、焼き鳥のおじさんに「一本おまけしてあげるね」とおまけをつけてもらっていた。
それを見ていた私はちょっと期待していたのだけれど、もちろんおまけをもらえることはなかった。

1本80円の焼き鳥。小学生にとっての80円は、結構大きい。うまい棒が8本買えちゃうのだから。
そんな一本をおまけしてもらえるなんて、可愛いってなんてお得なのだろうか。
子供心にそんなことを思った気がする。

焼きとうもろこしと熱中症

焼きとうもろこしの思い出は、熱中症の思い出。
友達が焼きとうもろこしにかぶりついていたが、私は全く食欲が湧かなかった。
暑い中屋台を見て回って、なんとなく頭がボーッとして、ただただ友達の食べる姿を見守っていた。

立ち上がった瞬間、目の前が青いもやもやに包まれ、いそいで日陰に行って座り込んだ。
結局大事には至らなかったが、後日テレビで、あれは熱中症の症状であったことを知る。
まあ大丈夫だろうと平気なふりをしていたけれど、結構ヤバイ段階まで行っていたらしい。

あれ、夏祭りって楽しいものじゃなかったっけ。
焼き鳥と焼きとうもろこしに関しては苦い思い出が続いてしまった。

金魚すくいと人間のエゴ

見つけると必ずやっていた金魚すくい。
フナくらいの大きさまで育てるぞ!と言うことで「ナフ」と命名して育てていたっけ。ナフを初代として、どんどん仲間を増やして、多い時は15匹くらいいた。

ナフは5年くらいは飼って、結構大きくなって、何回か卵も産んだ。
だけど、「水槽を洗わなくても大丈夫!」という石を買って入れたら、一気に環境が変わったせいか、それで全滅してしまった。
人間の勝手な都合で、人間にとっての便利を押し付けてしまって、彼らの環境のことなど考えてもいなかった。楽をしたいばかりに、昨日まで元気に泳いでいた金魚たちの命を奪ってしまったことを、とても後悔した。

あれ、これも苦い思い出につながってしまった。

くるくる水飴

水飴を割り箸で練って、それをパリパリの最中みたいなので挟んだやつが好きだった。
練るとだんだん白く変化していく感じとか、程よく甘いところとか、子供が好きな要素が詰まっている。
「絶対他の人につけないでね!」と注意されながら、今でいう歩きスマホみたいに、目の前の水飴を練ることに熱中しながら歩いていた。

だけど強面にいちゃんにつけちゃって絡まれた......という苦い思い出のオチはない。
くるくるするのが好きで、パリパリ最中がおいしかっただけの話。
水飴に関しては家でも食べたくて、わざわざ割り箸でくるくるしながらおやつの時間に食べていたという、微笑ましい思い出。

***

炙りチャーシューの香りだけで蘇ってきた、夏祭りの記憶。
無意識の中に隠されている記憶は、意識的記憶よりも鮮明にイメージが湧き上がってくる。

今回思ったのは、脳は正の記憶よりも負の記憶の方が強く刻印されているのだろうかということ。
焼き鳥や焼きとうもろこしに関するいい思い出もあるだろうに、真っ先に思い浮かんだのは、負の記憶だった。

正よりも負の方が衝撃的で、脳に刻印されやすいのかもしれない。
というよりそれは、負の体験に揺さぶられやすい、私の感受性の問題なのかもしれない。

これでおいしいものを食べます🍴 ありがとうございます!