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仲卸は悪者なのか

食べ物が私たちのもとに届くまで、多くの人を媒介している。
生産者→市場→仲卸→スーパー→消費者のように。中学校くらいから、生産者と消費者の間にいる人々を悪者扱いするような教育を受けてきたのは私だけだろうか。
つまり、中に人が入ると中間マージンをとられ、生産者が手にする利益が少なくなってしまうとか。トレーサビリティが確立されないとか。

だから、生産者→消費者へ直接届ければ利益はすべて生産者のものだし、顔が見えて安心だし、中間にいる人を排除すればいいのだということを言われてきた。
そして私もずっとそう思ってきた。生産者の顔が見えればフードロスも減るだろうし、よりおいしく感じるだろうし、生産者からしてみても消費者の顔が見えることはやる気につながる

でも、仲卸は本当に悪者なのだろうか。

私がこのように考え始めたのは、魚の価値を最大限に引き出す出荷の方法をしている仲卸の人と出会ったからだ。それは、株式会社ダイスイの大森圭さん。水産業を盛り上げるフィッシャーマンジャパンの一員で、生産者と消費者の架け橋となっているような存在であった。

1.石巻から発送にかかる時間を逆算して魚を梱包する
石巻から東京なら○時間かかるので、お昼を過ぎてから発送すれば明日の朝には着くな…というように、魚が届く時間から発送時間を決め、梱包作業にうつる。なんでもかんでも一気に出荷するのではないところにこだわりを感じる。魚の鮮度を保つには必要なことだ。

2.お客さんに合わせた梱包方法
ここから発送したものが築地などの市場に並ぶこともあれば、直接個人宛にお届けすることもある。市場用と個人用では梱包方法が異なり、さらには個人用でも相手がどんな魚を欲しがっているかを見極めてそれぞれに工夫を凝らす。大森さんはこれを「感性のすり合わせ」とよび、相手との信頼関係のもと成り立つものだという。
3.神経〆
神経〆というものを行うことがある。なるべく死後硬直を遅らせ、新鮮な身を保つための工夫だ。これを行うのは全体の1~2割程度だが、やるのとやらないのとでは手間のかかり具合がまったく違う。要は、魚一匹一匹と向き合う作業。

生産者と消費者の直接やりとりにおいて必要とされるのは、商品の詳細など、そのものの価値を伝えることだ。おいしいのはもちろんのこと、価値が伝わらなければおそらく買ってもらえない。
仲卸はその価値の伝達が抜けているのが問題なのだろう。価値をきちんと発信するのであれば、仲卸という存在も必要だと思う。

なんせ、生産者が自分で箱詰めして伝票を作って…という作業はなかなか大変だ。朝早くから漁に出て、帰ってきて出荷して…の日々をくり返すのはかなりきつい。

「漁師の想いを一緒に届けられるのは楽しい」「今日より明日、また進歩。一生勉強だ」「卸先の飲食店には食べに行くようにしている」

…こんな素敵な仲卸の人もいるんだよ、ということを知ってもらいたい。一概に悪者扱いすることはできないのだ。

これでおいしいものを食べます🍴 ありがとうございます!