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全身で、生きている。

わたしはずっと、自分はつまらない人間だと思って生きてきた。

良くも悪くも、「偏りがない」から。


すっごく嫌いなこともないし、大抵のことはそれなりにできる

でも、

すっごく好きなこともないし、めちゃめちゃ秀でたものがあるわけでもない


わたしにとっての「面白い」は、突き抜けていることだったから、

そんな偏りのない自分を、

なんの取り柄もない、つまらない人間だと思っていた。


中途半端な自分を変えたいと思って、

何か突き抜けたものを持ちたくて、

何かを身につけようと必死になってきた人生だったな、と思う。



そうやって生きていたころ

自分はなーんにも持ってない気がして

人生を楽しむっていうことが理解できなくて

なんとなくいつもスカスカに生きているような感覚だった。


でもあるとき、いつのまにかそうじゃなくなってたことに気づいた。

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自分の「好き」「心地よい」の感覚をキャッチするようにして

自分の感覚や感情にOKを出して

自分のことを表す言葉を集めて、分析して

わたしと向き合ってくれる大切な友人たちと語り合って、お互いのことを言語化しあって

お互いをジャッジせず、違いを比べることによって、さらに自分を知って

身体を整えることをして

身体の様子にも日々向き合うようにして

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ひたすら自分のことを知ろうとし、整えようとする日々を繰り返すなかで、

むしろ中途半端さこそ、わたしの技になってくれるものだと、わたしの武器なんだと、気づけた。


いろんな要素を持ってるからこそ、いろんな人に共感できる部分がある

いろんな要素をもっているからこそ、いろんな人から共感してもらえる


わたしにとって、人とわかりあうこと・共感することは、すごく大切なこと。

同じ想いを共有している感覚は、その人とわたしとの距離を縮めてくれて、いっしょにいてほっとする瞬間をもたらしてくれるから。


わたしは、ほっとする瞬間がすき。

自分がほっとするのもそうだけど、相手がほっとしている様子を感じ取れると、自分もあったかい気持ちになれて、幸せになれる。


そうやって考えてみると

わたしの中途半端さは、これまでもずっと、わたしに幸せを運んできてくれてたんだな、って思う。



以前、のどから手が出るほど欲しかった、


「好きなものがあって、それを楽しめる生活」

「人生を充実して生きている実感」


その両方を、手に入れることができた。


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日々、新しい発見に感謝できて、その瞬間を慈しむことができる。


心の中が、

ワクワクとうきうきと

言葉にはならないけど、あったかくてきらきらした感情で満たされている

そんな瞬間を、じっくりじんわり、好きなだけ味わうことができる。あたたかさに包まれていられる。



自分の人生を、全身で生きている。

今のわたしは、そう言える。


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