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【今日コレ受けvol.031】親が死んでも、恋人に振られても。

朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。

その後も街のいたるところに公衆電話を見つけるようになった。いわゆるカラーバス効果と言われるものだろう。赤を気にすると赤いものに関する情報が集まってくる。

オレたちに公衆電話は見えるか【さとゆみの今日もコレカラ/036】|CORECOLOR


務めていた編集プロダクションが突然倒産して3年。誰にも頼れないフリーランスライターになって、「良く、善く書いていきたい」と強く思った。

私は「書く力」で家族を養わなければならない。
そのための力をつけなければ、という焦りもあった。

すると、「書く」ための講座がたくさん目に飛び込んできた。こんなにあったのか…。
とにかく、気になったものはがむしゃらに受講して、「どうすればうまく書けるのか」を考える1年だったと思う。


そのなかのひとつ、朝日新聞の編集委員であり、『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾』の著書である近藤康太郎さんが開催した「『三行で撃つ』ためのライター講座」を受講したときに、とても印象に残った言葉がある。

補講で、私の質問に答えていただいた言葉だ。

Q. ⽂章の上達を⽬指して「毎⽇トレーニングのために書く」と考えた場合、「何⽂字くらい、どんな⽂章を書く」のが効果的だと思われますか。

A.新聞記者の若い教え⼦には「毎⽇1時間。しかし、何があっても1時間。恋⼈に振られても親が死んでも1時間」と教えています。


親が死んでも、恋人に振られても1時間。

その言葉が、この毎日noteの支えになっている。(いや正確には、毎日書けていないけれど)
そして、「今日コレ受け」に誘ってくれた仲間と、その元となる「今日もコレカラ」を毎日書いていらっしゃるさとゆみさんも。


毎日書くことは思った以上に苦しい。
今日はもういいかな、、と思ったときに、いつもこの言葉に背中をぺシンと叩かれるのだ。

親が死んでも、恋人に振られても1時間。


そうだった。『巨人の星』の星飛雄馬のように、毎日素振りをする。そのことは、絶対になんらかの力をもたらしてくれるはずだ、と。

そして、温かい布団を引きはがし、パソコンの前に座る。
なにを書くべきか、高速で頭をめぐらす。



今日でちょうど一ヶ月。
矛盾するようだが、続けていて気づいたのは、
毎日書くことは、「書く力をつけているワケではない」ということだ。

考える力をつけているのだ、と思う。
そして、それを誰かに伝わるように表現する力を鍛錬しているのだ。


でも、いつまで? 
どれくらい書いたらその力がつくのだろう。

昨日、営業コンサルタントで作家である和田裕美さんと、さとゆみさんが行った「人の心を動かす文章の書き方」というオンライントークイベントに参加した。

そのなかでお二人が「一年noteを書いても、世界は変わらない。さざ波が立つくらいだよね」とおっしゃっていた。


あああ。
無意識に、「1年くらい書いたら終わっていいのかな」と思っていた自分を見透かされたような気持ちになった。本当にスミマセン。


2年、3年、4年。
続けたら私の文章は、どこか変わっているのだろうか。

その答えを、誰よりも知りたいのは自分自身だ。
その探究心で今日もバットを握りなおし、パソコンという打席に座っている。

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