【今日コレ受けvol.031】親が死んでも、恋人に振られても。
朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。
務めていた編集プロダクションが突然倒産して3年。誰にも頼れないフリーランスライターになって、「良く、善く書いていきたい」と強く思った。
私は「書く力」で家族を養わなければならない。
そのための力をつけなければ、という焦りもあった。
すると、「書く」ための講座がたくさん目に飛び込んできた。こんなにあったのか…。
とにかく、気になったものはがむしゃらに受講して、「どうすればうまく書けるのか」を考える1年だったと思う。
そのなかのひとつ、朝日新聞の編集委員であり、『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾』の著書である近藤康太郎さんが開催した「『三行で撃つ』ためのライター講座」を受講したときに、とても印象に残った言葉がある。
補講で、私の質問に答えていただいた言葉だ。
親が死んでも、恋人に振られても1時間。
その言葉が、この毎日noteの支えになっている。(いや正確には、毎日書けていないけれど)
そして、「今日コレ受け」に誘ってくれた仲間と、その元となる「今日もコレカラ」を毎日書いていらっしゃるさとゆみさんも。
毎日書くことは思った以上に苦しい。
今日はもういいかな、、と思ったときに、いつもこの言葉に背中をぺシンと叩かれるのだ。
親が死んでも、恋人に振られても1時間。
そうだった。『巨人の星』の星飛雄馬のように、毎日素振りをする。そのことは、絶対になんらかの力をもたらしてくれるはずだ、と。
そして、温かい布団を引きはがし、パソコンの前に座る。
なにを書くべきか、高速で頭をめぐらす。
今日でちょうど一ヶ月。
矛盾するようだが、続けていて気づいたのは、
毎日書くことは、「書く力をつけているワケではない」ということだ。
考える力をつけているのだ、と思う。
そして、それを誰かに伝わるように表現する力を鍛錬しているのだ。
でも、いつまで?
どれくらい書いたらその力がつくのだろう。
昨日、営業コンサルタントで作家である和田裕美さんと、さとゆみさんが行った「人の心を動かす文章の書き方」というオンライントークイベントに参加した。
そのなかでお二人が「一年noteを書いても、世界は変わらない。さざ波が立つくらいだよね」とおっしゃっていた。
あああ。
無意識に、「1年くらい書いたら終わっていいのかな」と思っていた自分を見透かされたような気持ちになった。本当にスミマセン。
2年、3年、4年。
続けたら私の文章は、どこか変わっているのだろうか。
その答えを、誰よりも知りたいのは自分自身だ。
その探究心で今日もバットを握りなおし、パソコンという打席に座っている。
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