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【今日コレ受けvol.029】文のアイデンティティ
朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。
同じ場面で写真を撮ったのに、相手がSNSにアップしている写真を見ると、全く違う印象を受けることがある。
違う場所で違う光景を見ていたのかな、と疑いたくなるくらい。
でもその写真には、自分が知らなかった、気づかなかった世界が広がっている。
文章もそうだ。囲み取材で同じ俳優さんのインタビューを書いても、仕上がった原稿は全く違っている。本や映画のレビューもそう。
人それぞれに、「面白い」「これを伝えたい」と思うポイントが違うからだろう。
そして、だからこそ文章は面白いのだろう。
プロとして発注を受けて記事を書くとき、そこに「らしさ」を求められる場面はほとんどない。それでも、あふれ出るものがある。
好きな書き手の方が何人かいて、きっとその人が書いている、と署名を見る前に気づく瞬間が好きだ。言葉の使い方というよりは、相手の価値観というか、思考のクセみたいなもので分かる気がする。
ひるがえって、自分の文章には、「わたし」がにじんでいるのだろうか。
正直よく分からない。
でもそこを狙って書くのは、違う気がする。
では、記名のない文章に思いがけず、「これってひょっとしてあなたが書いたもの?」と言われたらうれしいだろうか。
いや。「もしや、ワンパターンの文章になっているのでは」と、不安になりそうだ。
きっとだから、作家ではなく、ライターなんだろう。
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