【今日コレ受けvol.088】ガムを飲み込む日
7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。
取材で聞いた話に知らない言葉があるときは、必ず質問する。
そして、音声起こしの際に、再度意味を調べる。
職業病かもしれないけれど、知らない言葉をそのままにしておくことは、なんだか気持ちが悪い。例えるなら、口の中に、味の無くなったガムがそのままある感じ。
このまま飲み込んではいけない、絶対身体に悪い。そんな、違和感のようなものがある。
なんでそんな感じがするんだろう、と改めて考えた。もちろん、「取材内容をきちんと理解しなければいけない」というのはライターの大前提だ。
でもこの「気持ちが悪い」感覚は、それだけじゃない気がする……。
そうか。「知ったかぶり」している気がするのかもしれない。本当は意味を知らないのに「はいはい、それ私知っています」という顔をしている気がして恥ずかしいのだ。
でも、普段の会話のなかでは知ったかぶりをしてしまうことが結構ある。
会話の流れを切ってまで、「知らない」と言うのがはばかられるとき。みんなが知っていそうで、意味を聞いたら、「そんなこと知らないの?」と言われそうなとき。
おそらく「空気をよんでいる」というやつだろう。
あれ、そもそもなんで空気ってよむんだっけ?
そう思って調べてみた。
そして一説として、「日本は太古から稲作文化だったから」という答えをみつけた。
要約すると、
稲作は基本、集団でしか行えないものだった。
集団の意思決定に従わなければ、米という主食を失う。だから個々の判断より、集団の意思決定が尊重されてきたというのだ。それが脈々と日本人のDNAに刻まれているという。
なるほど、空気をよまないことは、命の危険につながっていたということか。
ならば今は、命の危険にさらされる心配はないのだから、よまなくてもいいのだろうか。
けれど。例えばSNSの炎上には、「空気をよまない」ことへの攻撃が多分に含まれている気がする。それが原因で、命を絶ってしまう人もいる。
もうひとつ、日本人が空気をよみがちな理由として、「自然災害が多いから」という節があった。なるほどたしかに。地震や台風などの自然の脅威、さらにそこからの復興には、集団の知恵と力がないと立ち向かえない。
でも逆に、大地震や津波の際、集団の判断による避難先が間違っていて、命が失われてしまったこともあった。
是非は変わる。そう考えると大切なのは、知っておくことかもしれない。空気をよむことにはリスクがあり、その逆にもまたリスクがあると。
そして都度、「今は空気をよむのか、よまないのか」を判断することだ。自分自身で。
どちらも、無意識にはやらない。流されない。
空気をよむ、を脳内で見える化していこう。
身体に悪いと知っているのなら、ときには、ガムを飲み込む日があったっていい。