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真理現象学

*この論考の進行にあたっては「真理哲学論考」の理解を前提とするため、まだ「真理哲学論考」の理解が及ばない読者は下記リンクから参照していただきたい

序論

真理現象学とは絶対を論考の基盤として現実を考察する学問体系である。
これによって初めて現実の絶対的な構造が我々の前に現れる。
現実とは時間領域と空間領域(空形)が絶対的に実在する世界と定義される。
つまり、像としてではなくそれ自体として実在する世界の素*1として時間と空間を認めるということである。

因果律

時間とは事態の近接関係であり、この時間というものが絶対であるということはこれら自体が必然的近接関係を持つということ。
必然的近接関係を持つということは二つの事態間で作用が働いているということ。この作用こそが因果であり絶対的な時間が持つ作用である。

真理現象学img1

この図は
Sn+1 = fi(Sn) + ft(Kn+1) [S:精神, K:空間(空形), n:時間軸における位置]
というようにfi(Sn)は現世界における精神領域・ft(Kn+1)は現世界における空間領域と簡略的に式に置くことができる。
この式を考察すると
まず時間とは事態間近接関係よりSn+1 ≒ Snである。
これよりfi(Sn)はfi(時間軸に沿って近接関係を持ち連続してきた過去群)と表すことができ、これは互いに単立した情報が因果により関係を持ち精神を持続的に想像することを示す。
よって、Sn+1とは過去の関係性の末に因果作用によって出された結果ー①である。

次に因果関数fiについて考察する。
因果関数fiを求めるためにはSn+1とSnを同時把握する必要があるが
Snが単立している場合「いま」の像以外実在不可であるからSnは把握不可、
SnがSn+1に内包されている場合Snを求めるためにSn+1 = fi(Sn) + ft(Kn+1)よりfi(x)を把握する必要がある。
よって因果関数fiは確定不可。
そして、仮に因果関数が空形・精神領域において恒等関数であれば事態間に近接比較が働かず時間が成立せず、これは現実の前提に反するため因果関数は恒等関数でありえないということは導かれる。

現世界における時間

我々は「いま」の像、つまり現世界の中にいて絶対的時間を直接知覚することはないが幻想において事態間近接関係があり、これが我々に時間を知覚させる。
これは幻想というfi(Sn)の内における事態の近接関係を知覚したということであり、因果作用(fi関数)による生成物であるということ。
因果作用とは絶対的時間による作用であることより、我々が知覚している時間とは絶対的時間による作用の跡であるということ。

記憶と妄想

記憶と妄想の区分けとはどこにあるのか、ともに精神領域物で片方は実際と認識され片方は虚構と認識される。
記憶と妄想とはその本質においてどちらも幻想であり、その区分けとは2つの意味づけ(=Sn+1)に過ぎない。つまり、記憶は実存であるということだ。
①より意味づけとは過去の関係性の末に因果作用によって出された結果*2であり、記憶と妄想は因果作用によって区分けされている。

命題

命題は絶対的に付与される真偽が定まっている真理性命題と絶対的には真偽が定まっていない一般性命題がある。
真理性命題は合理*3による真偽判定がなされ、一般性命題は意味づけによる真偽判定がなされる。
ちなみに記憶が論拠を支える根底基盤になる命題は根本で合理を欠くため一般性命題に分類される。

可能範囲と不可能範囲

可能範囲とは意志が作用を及ぼす影響範囲内、不可能範囲とは意志が作用を及ぼす影響範囲外である。
意志は第六感であり単立した情報でこれが行動を引き起こすのではなく、Sn → Sn+1, Sn+1 = fi(Sn) + ft(Kn+1)とKn → Kn+1, Kn+1 = fi(Kn)より精神事象の発動及び空形の変化は過去の関係性の末に因果作用によって出された結果であるという論考が因果作用が行動を引き起こすことを論証する*4。
これより意志が作用実体として影響を及ぼす領域などなく、そもそも可能範囲・不可能範囲という概念が誤りである。

選択決定

因果作用が行動を引き起こすということは選択決定とは過去の関係性を変数として因果関数が導き出したものであるということと同義である。
たとえ因果作用が選んだものより善い選択肢や他の可能性があったとしても選ぶことができないためそれに対する考察は意味をなさない*5。
これは因果作用の見えざる手に従えば善いことを示す。

使命

私とは現世界において知覚物が実在する精神領域自体である。
そして、そこに非言語的意味づけ「印象」において精神が希求する善の印象(快)とその反対である苦の印象(不快)が実在する。
これは精神、つまり我々が絶対的に善を希求し苦からの解放を欲することを表す。
我々の使命は善の充満と苦からの解放である。

自我

現世界は私(自分性の総体)において知覚される世界で知覚されたものが一切自分性を帯びていなかったら「私において」など認識できない*6。
これは事象が知覚され実在する現世界における精神領域は自分性で充満していることを表す。
よって自我とは「いま」における現世界、つまり事態としての世界である。

真理現象学img2


*1 時間・空形以外の世界の素に関しては有形物は全て空形に網羅され無形物は因果作用として発生するので考慮する必要はない
*2 思考や意志の発動も絶対的時間による因果作用
*3 絶対となる真偽尺度は合理以外に前提に置いていないため存在しない
*4 因果作用による働きの中で意志が行動とセットになることもあるがこれは因果作用による働きで意志が作用の発源になった訳ではない
*5 これは我々が過去の選択に対して反省する必要がないということを言ってるのではない、反省することも因果作用が選んだ選択である
*6 刺激は自分性を帯びていないがそれが知覚される領域(現世界的精神領域)がすでに自分性で充満している

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