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私の身体を生きる/17人の書き手によるリレーエッセイ
性被害の内容を読むと男であることが恥ずかしくなる。欲が生まれてしまったとしても、相手を傷つけてまでやってしまう感覚が分からない。生物であるから、雄なんだからしょうがない、では済まされない。人間なんだから。綺麗事だろうか。
性に関しては、自分が持っている感覚が普通(一般的な感覚)だと思って生きてきたけど、映画、文学、エンターテインメントなもの、最近はSNSに触れると、むしろマイノリティに位置してい
死なれちゃったあとで/前田隆弘
明日死ぬかもしれないとか、死なんて突然やってくるものだと思って生きているけど、正直現実味なんて感じていない。だから今日を無駄にしないように、とか思って生きられてはいない。垂れ流される毎日。生に執着がないと思っているけど、いざとなったら見苦しい程しがみ付くかもしれない。
最近よく会う人といえば会社の人ぐらいなもんで、と言っても小規模な会社だから一人としか会っていなくて、友達というものには暫く会って
“展対照 〈第一部〉” 佐内正史
写真集を見るときはパラパラパラパラとスピードがどんどん上がっていってしまうけれど、アナログプリントされた作品は質感が全く違い、自然と歩みが止まる。写真のセレクトと小さめなサイズ感に加え、ギャラリーの洞窟のような雰囲気もとても心地良い。ゆっくりと何周もしていたら、在廊されるために訪れた佐内さんとお会いすることができた。ゆっくりと丁寧にお話していただけて、少ない言葉数でも説得力があり、写真を撮っている
もっとみる5月29日
スピードが速いものは威圧的に感じてしまう。例えばスポーツカー、自転車、ランナー、早歩きとか。どけどけーって感じで。何もかもが速くなっている時代で、気付いたらせかせかとスピードを上げてしまいがちだけど、歩くスピードを落とすことでけっこう簡単に避けることができる。なんでこっちばっか避けなきゃいけないんだろうとも思うけど、無駄な衝突を防げるならまぁいいか。
5月27日
バイバイしたあと、少し歩いてから振り返って、まだ見送ってくれていると嬉しい気持ちになる。振り返った時に姿が無いと少し寂しい気持ちになる。実は3度も4度も振り返っている。だいぶ寂しい。見送る時は見えなくなるまで背中を追っている。いつでも、何度でも振り返ってください。
様々な欲望が渦巻くけれど、誠実であって終う。
木蓮
花が咲いていないと木蓮と気付く事ができなくて、いつも不意に現れる。そして、咲いたと思うとハラリハラリと散り始めてしまうからいつも撮り損ねる。近所にあるお花が綺麗なお寺さんに、とても大きな木蓮があることを知ったので、来年は狙って撮りに行こうと思っています。花期は3〜4月頃、学名をマグノリアと言うらしい。すぐに調べられる便利な時代だけれど、すぐに忘れてしまう時代でもある。
5月23日
いろんなお店に行って色々食べてみたい、よりも通い慣れたお店で食べ慣れた味を、の方にシフトしてきた。好きな店が長く続いてほしい、応援している、頑張って欲しいと言ったら烏滸がましいけど、新規開拓するぐらいなら、間違えがない自分の好きな店でお腹を満たしたい。単純に、ただ好きだから通ってるんです。常連ぶるのは不本意ではあるけれど、好きだということも伝えられたらなおいい。深入りはしないようにはしたい。
NOWよ、さようなら。
36枚撮り切るまで、フィルムが溜まって現像に出すまで、現像から帰って来るまで、(ついでに身体を壊したり)。フィルムカメラだと、ナンダカンダと数ヶ月を経てしまう。SNSの即時性に叛逆せざるを得ない感じ。それが自分にとっていとつきづきし。NOWよ、さようなら。
桜の写真は、これでおしまい。
4月16日
自分ではコントロールしようがない日々。在庫が入ってこない、売上が立てられない、やることが無い、理不尽なクレームを食らう。死ぬわけではないと言い聞かせて耐え忍んでいる。もがくことすらできない。辛い。