わが青春想い出の記 11 婚約 川島智
婚約
人、個々人には、色々な喜び方が与えられているものです。その喜びの中で最も大きな喜びの一つに、自分は洋子を好きになったことだと思っている。自分にとって洋子は、今や欠くことの出来ない存在になっていた。自分が声をかければどこへでも来てくれたし、同じように自分もまた洋子が何か言えば、どんなことにも従っていた。
だが2人はまだ結婚するとは決めていなかった。それは決ったようでもあるが、口に出して言い出すと拒否された場合その後が怖いから、誰からも言い出せなかったと言うのが本音だった。洋子の兄、佐々岡は知ってか知らぬか、知らぬはずはないと思うが何も言わなかった。
しかし、人生というものには、思わぬところで運が開けたり、閉じたりするものでもある。自分は後期授業に備え東京に戻らなければならない日が近づいていた。本心は行きたくなかった。それで休学、もしくは退学も考えていた。
その頃、自分は夏休み期間だけといって役所でアルバイトしていた。一ケ月余だったがその頃には役所の仕事もすっかり身につき、上長や市長からも「学卒の資格だけはどうにもならないが、このまま役所に勤めるならそれもいい。その時は正式採用となり、待遇面とか将来のことは考えるつもりでいる」といわれていたからだ。
そのことを洋子に黙っているのも良くないと思ったから、洋子の家に出掛けて行き、その概要を正直に話した。
洋子は何も言わないで終始うつむいたままじいっと聞いていた。そこに佐々岡が帰ってきた。洋子はそのことを佐々岡に話した。
すると佐々岡は、
「それは学校を続けるべきだ。あと3年とか、4年というなら話は別だがあとわずかだろう。今行かねば一生ゆけなくなる。学校へゆくがいい」と言って、
「卒業して帰って来てからでも、学校の先生か役所の仕事ぐらいはあるだろう。だが、確実にあるという保証はどこにもないが学校だけは続けた方がいい」と、きっぱり言ったあと、洋子に向き直りして言った。
「お前はどう思う?。お前も賛成だろう?。川島君のためになるのだから・・・」。
「私にはわからないわ」。
洋子はうつむいたまま言った。
「わからん筈はないじゃないか」。と、佐々岡が覆いかぶせるように言った。しかし、洋子はますます黙りこんでしまった。
「僕はあまりゆきたくないです」、と自分は言った。
「行った方がいいと思うね。たった半年だろう?。半年すればすぐ帰ってくればいいじゃないか」、と、佐々岡はつづけた。
すると
「半年過ぎてすぐに帰って来てくれるなら、行った方がいいわ。私もその間にいろいろと勉強しておきます」。
洋子は思わずそう言って、真っ赤な顔をしてこちらを向いた。
「あなたがそう言うなら行きます」。自分も反射的に言った。
佐々岡は黙ってその場を出て行った。
洋子は兄がいなくなると、自分にとびついて来て言った。
「私のことを忘れないでね」。
「忘れはしないよ。君も僕のことを忘れたり、他の男の人に騙されてそれについて行ったりしたらだめだよ」。
「ええ」
「絶対にだぞ」
「ええ」
「僕が帰って来たら結婚してくれますね」。
「ええ」。
二人ははじめて結婚の話をした。
「私も一緒にゆきたいわ」。
「僕も一人でゆくのは淋しいです」
「・・・・・・・・・・しっかり勉強して来て私にも教えてね」。
「でも僕は本当をいうとゆきたくないのです」。
「どうして?」。
「僕がいない間に誰か見知らぬ者が来て、洋子を奪って行きそうな気がするからね。その方が怖いから」。
「あーら、私が信用出来ないと言うの。私なら絶対大丈夫。今までだって待っていたんですもの」。
「信用出来ないのはむしろ智の方じゃないこと?」。
「それ早くも夫婦喧嘩?」。
「智が私を信用しないからよ」。
洋子はパッチリと開いた大きな潤んだ目に涙をいっぱいためていた。
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