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作ることだけを教えるだけじゃ足りない

先日工房に訪ねてきてくれた唐津のお弟子さんと話していて、ものを作れることは当たり前として、生きていくための術をもっと弟子には伝えるべきかなと強く感じた。
独立の仕方やお客様の増やし方や付き合い方。窯の運営の仕方やモノづくりの精神性、販路の作り方に増やし方。その全てを伝えないと独立しても長く続けられないと思うから。
大した私ではないけれど
独立しても立ち行かなくなり辞めてしまうとか
続けるためにやりたくないことを…とかの悲しいことが少しでも減らせることが出来れば。

私は実家が窯元である。見方によれば作家になるのに恵まれた環境に見えるだろう。
でも実際は恵まれていたとも言えるし、恵まれていなかったとも言える。
恵まれていた点で大きいところはまず窯があり工房があって、先代との仕事の違いはあれど最低限の道具も揃っていた。
その反面
窯の仕事としてまぁやりたくもない物を作ったり
先代(父)が当時、中国や香港に進出したかったのでその仕事のため毎月のように北京や香港などに10日間ほど出張することが続き
自分のモノづくりはずっと出来ない時期が続いた。
しかも無給で。だから20代30代は本当にお金がなかった。(まぁ今も相変わらずだが笑)
私の20代30代は人生の暗黒時代だったwそれでも病むことなく続けられたのは器が好きだという情熱だけだったように思う。

自分のやりたいことが出来始めたのは工房を引き継いで数年。
というか「今」ようやくの事だ。
それも、父と私の折り合いが悪く毎日すごいストレスがかけられていたのはヒミツだが
すったもんだあり、工房を引き継いだことで一気に毎月数十万円の借金返済に追われることになった。ほぼ無一文の見習い野郎が!であるw
それもたった独りで。こんな片田舎で収入もほぼないのに数千マンって正直死活問題だったw
(父とのいざこざは正直恥ずかしいのでここでは割愛させてもらうとして)
返済のために仕事は選べなかったので最初は取引先に求められるものをひたすら安く作った。
ただ、それに並行して自分のモノづくりはひっそりと続けていた。
その仕事がようやく日の目を見るのが2016年ちょっと前の有田焼創業400周年の年だった。

当時
佐賀県主導でたくさんの有田焼創業400周年プロジェクトが立ち上がりそこでひっそりと続けていた今の仕事が徐々に認められはじめ、その「やりたい仕事」とそれまでの主な仕事だった「生きるための仕事」の比率が半々くらいになった時に「生きるための仕事」の方をスパッと辞めてしまいました。
その時点で年齢も30代中盤を迎え、ようやくスタート地点に立ったのかな?と半信半疑の中で遅れた分を取り戻そうと徐々にギアを上げていった。
少しずつ買っていただくようになり始め、ファンの方々も徐々に増えて下さり徐々に軌道に乗り始めるのだが、やはり毎月の支払いが大きくてなかなか思うように作りたいものばかりというわけには行かなかった。
やはり返済第一なので作りたいもの“ではない”モノづくりをしてしまっていた。
やりたいことをやろうとすればやりたいことから離れてしまう事もある
でも
去年後半に感謝と共に返済面で大変お世話になった仕事から離れたお陰でモノづくりの時間は増えたが収入も激減なので、また返済に冷や汗を流す月末を過ごしている。

私も42歳になった。
ずいぶん遅くなってしまったが、ようやく今年から本当にやりたい事をやり散らかしてやると決めている。
そのためにまた借金借金w銀行から、いよいよリミットがかかるまで借金しまくろうと思っている。
借りれるうちが花
タブンネ
知らんけど。

今はまぁなんとか仕事もあり、素敵なお客様方にも応援いただいており借金もそれほど怖くなくなってきた。軽く麻痺してるとも言えるがw
ただ、
弟子入り期間が明けて独立のためにすぐ借金をいうのはあまりオススメしない
借金をすることで夢に近づくがそのために逆に夢から遠ざかってしまうという相反する危険性も孕んでいる
私が師匠となる日が来て弟子をとることがあるとすれば
やりがい搾取にならないようなプランを考えている。
実はそれを先日の唐津のお弟子さんに伝えてみたら目を見開きながら聞いていて
「突然押しかけてしまったけどここに(うちに)来たことが一番の収穫だった」と言って帰っていったので
唐津の先生たちは何を伝えているんだと若干腹立たしかったし、そんなことも知らないで独立しようとしている若い作家の卵がいるのかとの驚きに
私の弟子というよりも、悲しいことを減らすために作家として独立しようとしているすべての人に共通認識として共有すべきことがあると思い立ち
なんとか伝えてみようと思い書き記すことにした。

当然、もっと有効な手段やブランディングの方法論もあるはずだし生き方も仕事論もコミュニケーションのとり方もまだまだ良い方法はたくさんあると思う。
飲食には飲食の
投資家には投資家のやり方がある
もっとうまい方法もあるだろう。
私はそんなこと1㍉も知らないし考えも及ばない。

ただ
私の思う陶芸作家としての独立方法なので一つの方法論として頭に入れ、来たるべき独立の日のための準備をして欲しい。
これは弟子を取る先生にも言いたい。師匠の協力が前提なので互いによく話し合って欲しい。
でもまぁ簡単なことばかりだと思う。
スタートなのだから当然よね。
スタートが険しいと立ち行かないよ。

そんなこんなで次回は「私じゃないよ私の弟子の独立プラン」です。

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