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井の頭公園もきょろきょろ

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メールマガジン「ぶんしん出版+ことこと舎便り」に掲載している株式会社 文伸 川井信良会長のコラムです。 <担当>川井信良@株式会社文伸 昭和24年東京・千駄ヶ谷生まれ。現在、印… もっと読む
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#井の頭恩賜公園

井の頭公園の散歩(5)老舗茶店がイタリア料理店に変貌

 昔ながらの雑木林が残る御殿山から、井の頭池に向かう。下り坂になる。考えてみれば、井の頭…

井の頭公園の散歩(6)水船組合の存在と矜持を示す石碑

 茶店「井泉亭」がイタリア料理「ISENTEI」となり老舗の進化に驚いた。緋毛氈(ひもうせん)…

井の頭公園の散歩(8)井の頭池の水草攻防と泳ぎとモーターボート

 さて、井の頭弁財天のお参りを終えると、井の頭池が気になる。まず弁天橋から弁天堂側を覗く…

井の頭公園の散歩(9)「エッ、これ井の頭池!」と、びっくりする写真

 弁天池の続きですが、先月(2022年1月)家猫のメイの爪が伸びすぎ、我が家では対応できない…

井の頭公園の散歩(10)井の頭池が少し濁ってきた

 井の頭池が少し濁ってきています。1月には底まで見えていたのに、2月3月と透明度が落ちてき…

井の頭公園の散歩(11)東京市初のプールは池の中の天然プール

 井の頭池をぐるっと回るのがいつもの休日散策コース。池の南側を東に向かって池端のひょうた…

井の頭公園の散歩(12)井の頭公園の開園は地元の大きな支援があった

 5月1日の朝日新聞むさしの版(江戸川区民からも読んだとの連絡があったので多分東京全域に配信された模様)に、「井の頭公園開園時の新史料」「整備に地元の若い力結集」「ガリ版の役割表■おでんで乾杯」の見出しが躍った記事が載りました。  井の頭恩賜公園は今から105年前に開園しましたが、開園に向けての整備を三鷹村や武蔵野村の青年たちの力を借りたという東京市の記述がありました。それを裏付ける「大正六年 井のかしら公園工事帳」や、開園前日の1917年(大正6年)4月30日に地元有志によ

井の頭公園の散歩(13)本町コミセンで井の頭公園の歩みを話します(イベントは終了し…

 武蔵野市の本町コミュニティセンター(吉祥寺の「ヨドバシ吉祥寺」の裏です/http://honcho-

井の頭公園の散歩(14)水を撒いたら道路がピンク色に染まったの

 井の頭公園ぶらぶら散歩も4/5ほどきました。振り返りますと、スタートの野球場から⇒西園⇒…

井の頭公園の散歩(15)池畔にせり出した茶店

 井の頭池に架かる七井橋を横に見ながら西に向かうと、左手奥に藤棚、その右手にトイレが見え…

井の頭公園の散歩(16)もしかしたらもしかするかもという妄想

 井の頭池一周も大詰めになりました。戦中まで井の頭池にせり出た2軒の茶店があったところを…

井の頭公園の散歩(17)400前の将軍家光の狩猟で鹿43頭

 前号の妄想の余韻にひたりながらお茶の水橋を渡り、明るく開けた右側斜面に梅林がある坂道を…

井の頭公園の散歩(18)井の頭自然文化園の開園

「井の頭公園の散歩」も終わりに近づいてきましたが、普段の散歩ルートから外れている有料の井…

井の頭公園の散歩(19)井の頭自然文化園開園に協力した小学5年生たち

 井の頭自然文化園は、戦時中にもかかわらずなんとか開園にこぎ着けましたが、その開園に小学5年生の活躍がありました。  須田孫七さん(昭和6年生まれ/故人)は、病弱だった幼少期を過ごし、「その後、病気も徐々に治まり、小学生の頃には石神井の昆虫学者加藤正世先生が開いている昆虫の同好会に入っていました。そのとき聞いたのが、今度開園する井の頭自然文化園の中に資料館が出来るという話です。  実は、加藤先生は東京府から資料館の展示を任されていたのです。自然文化園の開園は、太平洋戦争が