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私が奇抜な髪型にする理由(前編)

私は、好んで奇抜な髪型にしています。
他人からは理解されない部分も多いのですが、奇抜な髪型は人生の辛い時に私を救ってくれた要素でもあります。
なのでどんな場面で、どんな思いで、その髪型にしていたのか振り返ってみようと思います。


注意!
・顔のアップの写真があります
・人生どん底時代の暗い話があります(今は乗り越えて楽しく生きてますのでご安心ください)


文章にまとめるにあたり考えてみると、現在の髪型への拘りは、以下の要素を通過して形成されたように思います。

①可愛い・女性らしい髪型への憧れ
 →髪の毛を伸ばすことへの拘り

②自身の薄毛への抵抗・ごまかし
 →ツーブロックやスキンフェード等の頭髪の一部を刈り上げる行為への拘り

③擬似的な自傷行為を通じた現実逃避
 →ブリーチ等の過激なヘアカラーへの拘り

その結果として現在は、こめかみから下は全て剃り上げて、上からお椀のように髪を被せたオレンジのおかっぱヘア(?)にしています。その辺りの話は後編とかで。。。


高校生まで

幼少期は強い癖毛の手入れが大変と言う理由で、ずっと短髪にしていました。

でも本音はアニメに出てくる女の子のような、可愛い髪型にしてみたかったんです。親戚のお姉さんのロングヘアに憧れていたのも覚えています。

「性別に違和感がある」とまでは言わないけれど、当時好きだった女子への感情も「付き合いたい」とかではなく、その子みたいになりたいという「憧れ」の感情だった気がします。可愛い髪型にして、可愛い服で出かけてみたら、きっと楽しいんだろうな、という憧れでした。

「幸い」なのか「不幸にも」なのか、中学生になると、顔も身体つきも声もどんどん男らしくなっていって「自分は女の子のように可愛くはなれないんだ」と悟ったのを覚えています。クラスには生まれつき華奢で小柄で髪もサラサラな可愛い男子生徒もいて「女装とか似合いそう」なんて言われてたりしていて、そこで色々諦めました。

中学時代は運動部に入って坊主頭にしていましたし、写真は残っていなかったのですが、気合いを入れてスキンヘッドにしたこともあります。

家庭の事情で大学浪人は絶対できなかったので、高校3年間は割と真面目に勉強していたのですが、受験生時代の夏休みに勉強に集中するため久しぶりに坊主にしてみたところ、明らかにおでこの生え際が後退していました。

今思うと、元々がおでこが狭かったので、この時点では成人する上での身体の変化の一環の範囲内だったと思うのですが、そんなことは分からずかなりショックを受けました。


大学生(奇抜な髪型の始まり)

大学生になってからは、一人暮らしで栄養バランスが崩れたりしたこともあってか、少しずつおでこが広くなっていったように思います。

3年生のころ、理容室で手違いでほぼ坊主になってしまいました。今見返すとそれ程ハゲてはいないのですが、元の生え際よりは明らかに剃り込みが深くなっていました。癖が強いので、前髪が少し伸びるとおでこが割れて剃り込み部分の地肌がモロ見えになるのが精神的に辛かったのを覚えています。

↑短めに、と頼んだら何故か坊主になった


この頃からつむじの辺りの髪も、少しずつ薄くなっていました。バイクで大学に通っていたので、ヘルメットで髪が崩れるのが嫌で、合わせ鏡で後頭部を確認してから教室に向かったりもしていました。

その結果、かつて憧れていたはずの女性らしい可愛い髪型は、遠く離れた存在になっていき、私の意識は「いかに薄毛を誤魔化すか」という方向にシフトしていきました。これが髪型が奇抜化するきっかけだったと思います。

試行錯誤の結果行き着いたのは『ハゲてきている頭頂部は残してボリュームを出し、それ以外は短く刈り上げる』という手法です。頭頂部は切らずに、癖毛なのを活かしてボリュームを出すことだけを優先して、横と後ろはもっさりすると頭頂部のボリュームのなさがバレるので極力短くしていました。

↑上は切らなくてよいのか?と何度も確認されたが、過去に坊主にされたのがトラウマで、かたくなに断っていた


更に時間が経って、より薄くなってきた頭頂部のボリュームを誤魔化すために、ほぼモヒカンにしていました。薄い頭頂部だけを残して、もっさりする横と後ろを全て刈り上げる、というハゲ隠しの要素を全て満足できる髪型でした。

↑普通の髪型だと周囲と比較されて薄毛がバレるが、奇抜な髪型なら比較対象がないのでバレない、という作戦


社会人(失敗の歴史)

こうして学生時代を乗り切ったのですが(できてるか??)、問題は社会人になってからです。普通の会社に運良く就職できたので、ここまで奇抜な髪型で過ごすわけにはいかず、薄毛を晒すストレスを感じながらも常識的な範囲の短髪にしていました(飲み会の場とかで「薄くなってない?」とかたまに聞かれる程度)。

そこで次に手を出したのがスキンフェードです。もっさりした横と後ろは剃るくらい(実際カミソリで剃ってました)短くして、薄い頭頂部を目立たなくさせる手法です。奇抜ではあるものの、営業職ではなかったので「気合いを入れるため」みたいな言い訳で会社からもお咎めなしで過ごしていました(周囲には薄毛なのはバレバレかもですが、精神衛生上の「隠せている」という満足感が一番大事だと思います)。しかし頭頂部が薄くなるにつれて、どんどん剃る範囲が増えて「奇抜すぎる」段階まできてしまいました(その過程が何枚か続きます)。


初のスキンフェード。頭頂部の髪もなるべく中央に集めて、てっぺんがペタンコにならないようにしている。
後ろがすぐに、もっさりしてくるので「剃る」範囲を拡大した
頭頂部の薄毛の進行に合わせて、剃り上げ部分もかなりエスカレートしてきている。
とにかく、頭頂部が誤魔化せれば何でも良い、というスタイル
理容師さんにも「本当に良いの?」と確認され始める。本当はこめかみの黒くぼかしている部分も、真っ白に剃ろうとしていたが、理容師さんに「それはさすがに」と止めてもらった。



この時期は、同じ女性の理容師さんにずっと切ってもらっていて、薄毛の悩みも聞いてくれたり、変な髪型のオーダーにも否定せず応えてくれて、すごく救われていました。

ただこの時期は、仕事が本当に辛くて精神的に参っていて、それが更に薄毛を進行させる良くない状態でした。

ある長期連休の際、自暴自棄になって「せっかくなら人生で一度くらい」と金髪にしたことがありました。

近所の薬局にいって安いブリーチ剤を2個、それに確か青系のカラー剤と、シェービング用のジェルを買いました。頭に薬剤を塗りたくり数分経つと頭がヒリヒリと痛み出して、薄毛が進行しそうと思いましたが「いっそ人生に諦めがつくかな」なんて思いながら痛みを我慢していました。

もう後のことを考えていない私は、ブリーチ剤が浸透する間、元々持っていたバリカンで薬を塗っていない横と後ろを全て刈り上げ、シェービングジェルを塗って髭剃りで剃っていきました。剃ったところの手触りが「じょりじょり」から「ぬめぬめ」に変わるのが楽しくて、深剃りしすぎて血が出るのも憚らずに頭の半分以上を剃り上げ終わる頃には、30分以上経ってブリーチ剤による頭皮の痛みも感じなくなっていました。

シャワーで頭を洗い流すと、ブリーチした部分はギシギシと痛んでいて、剃った部分はシャワーの温度を直に感じて火傷しそうなくらい暑かったです。頭を乾かして鏡を見ると、今までとは比べ物にならない程に奇抜な別人がいて、現実世界から離れられたような良い気分でした。

↑ほぼウド鈴木さん?
↑変なテンションになってこの頭で近所を徘徊していた

街中で視線が私の頭に向くのが面白くて、帽子も被らずに外出したりしましたが、休みの終わりが近づくにつれて、またあの職場に戻るのかという虚無感が襲ってきます。

再び現実逃避のために今度はカラー剤に手を出したます。しかし青色になる予定だったのが、何故か緑色になってしまいます(おそらくブリーチ1回では、黄色みが残りすぎていたためだと思います)。そのため再度ブリーチをすると、今度は時間を置きすぎて髪がテロテロのゴムのようになってしまいました。

↑引っ張るとゴムのように髪が伸びて千切れる

自分ではどうしようもなくなり、いつも切ってもらう理容師さんに助けを求めますが、もう短く切るしかない、ということでゴムのようになった部分を全て切り以下のようになります。

↑ようやく「やりすぎた」と現実にかえる

結果的には連休明けに何度か出社しましたが、どうしても仕事のプレッシャーにメンタル面で耐えきれず、数週間の休職をしました。会社でも「さすがにおかしな髪型すぎる」ということで心配されていたように思います。

その後は職場も変わり、メンタル面も回復して、薄毛も少しずつ改善してきました。
そのため現在は、薄毛隠しや自傷行為としてではなく、理想の自己実現として奇抜な髪型を楽しんでいます。
その辺りは、できれば後編で語りたいと思います。

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