私はSMAPの独立に反対する。

この件に関する意見表明としては日本史上最も遅い表明であろうことは百も承知である。しかし、それでも私は反対する。

なぜならば、今回、SMAPの独立に際してジャニーズ事務所が許可を与えず当人たちと揉めたというが、そもそも「独立」という行為は他者から許可をもらってする行為ではないからだ。だから世の中でなされる独立の多くは、独立「宣言」なのである。

つまり、主体が勝手に独善的にそれを強行するからこそ、それを「独立」と呼ぶのであり、それを他者から許可をもらって行うのであれば、それは独立ではなく他の何かである。

では今回の「それ(擬似独立)」は一体何なのだろうか?

たしか私が噂に聞いた話だと、SMAPのマネージャーが独立の根回しを芸能関係各所にして、それがジャニーズ事務所の社長の逆鱗に触れたという話だ。私から言わせれば、そりゃあまぁそうだろうという話である。

なぜなら、私は独立に際して「根回し」という準備をすること自体を否定的なことと考えるし、また、それを当人たちではなくマネージャーが行うということはさらに否定的なことと考えるからだ。

たしかに準備することなく独立をすれば、周囲の者たちは困惑し、今まで味方だった者たちも敵対しはじめ、多くの後ろ楯を失うことになるだろう。せっかく独立したその存在も儚いものとなってしまうかもしれない。

でも、それでもいいじゃないか。相手を困らせる。自分も困る。で、何がいけないんだ?

そもそも「独立的でありたい」とか「独立したい」というのは人間としての「信仰」の部類に属するものであると私は考えるため、独立した方が「得だから」とか「善いから」という価値観によってするものではないと考える。

つまり、そうしない方が多分いいのだろうけど「でも」そうする。という論理のもとにおこなわれるものこそが「独立」であろう。いわば「独立」とは本質的に他者を否定することであり、すべての存在との潜在的な敵対性を他覚せしめるということでもある。

そう考えると「根回しをマネージャーがする」という点から、実は一連の独立行為の主体はマネージャーなのではないか?と思えてくる。要するに、独立したいのはSMAPの方ではなくてマネージャーの方ではないのか?ということだ。

私の想像では、マネージャーには「SMAPはワタシが育てた」という自負があり、その自負ゆえにSMAPをジャニーズ事務所と切り離さなければ気が済まなかったのだと思う。

そして、ジャニーズ事務所の社長からすれば、増長したマネージャーもさることながら「独立したい」と言いながらもその行為が独立たりえていないSMAPのメンバーにも虫酸が走ったということであろう。

つまり今回の騒動とは、SMAPがジャニーズ事務所から支配を受けることよりも、マネージャーから支配を受けることを望み、主人から怒られたということである。以上。


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