被害者という地位の獲得を目指して

私は現在、通信制高校に通っているのだが、学校生活それ自体は全くうまくいっていない。その原因は、自校の教職員たちが、法やルールという規則を用いて学校を運営するということが出来ていないことにある。

それは決して、自校の教職員たちに規則を守る意識=法令遵守の意識が欠けているという意味ではない。そうではなく、自校の教職員たちには、法やルールの存在意義に対する根本的な理解がない。

そのことの意味を先に結論として箇条書きする。

自校の教職員たちは、、、

①「権利や義務」といった概念そのものを認識していない。

②「法・ルール」や「人徳・マナー」といった規則には、それぞれ規則として持つ性質に差異があるということを認識していない。

③人と人との関係性には「人格関係性」と「社会関係性」という、主に二種類の関係性が分離的に存在するということを認識していない。

④「社会契約」や「契約関係」あるいは単に「契約」という概念そのものを認識していない。

⑤上記の条件が成立するならば、教職員たちにとっての教育の目的は、公的な目的と対立する。すなわち自校の教職員たちは、日本国および日本人の価値観と敵対する価値観を有しているということが言える。

端的に言うと、私は自校にて教職員たちから様々な形での「人権侵害」という加虐を受けているわけだが、それは有形力ではないため、そう簡単には要件事実(被害の事実)を記載するということができない。

したがって、その被害に関連する様々な学校での出来事を書き述べることで、それらの出来事の相互関係性のなかに「要件事実」を成立させる。

では、追って記事をあげよう。以上。


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