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天野健太郎さんのこと

惜しい方を失った。
翻訳家の天野健太郎さんのことだ。

昨年の11月、翻訳家の天野健太郎さんが亡くなった。
昨日台湾文化センターで偲ぶ会があり、一ファンとして行ってきたので、今回は天野さんのことについて書くことにしたい。

気がついたら天野さんの本が並んでいた

私と天野さんの交流はあまりない。もしかしたら天野さん本人は私のことなどほとんど認識していなかったかもしれない。

単に台湾が好きで、何度か天野さんのイベントに足を運び、一度だけ仕事のお願いをしたことがある程度の関係だ。
ただ、台湾について考えるときに天野さんは本当に大きな存在だ。

以前書いた「なんちゃって書店」。台湾に関する本を並べるといつも天野さんの本が中心にあった。
龍應台さんの『台湾海峡一九四九』(白水社、2012)や、鄭鴻生さんの『台湾少女、洋裁に出会う 母とミシンの60年』(紀伊國屋書店、2016)のような硬派なものから、張妙如さん・徐玫怡さんの『交換日記』(東洋出版、2013)、猫夫人の『店主は、猫 台湾の看板ニャンコたち』(小栗山智共訳、WAVE出版 2016)のようなライトなもの、そして呉明益さんの『歩道橋の魔術師』(白水社、2015)を中心とする台湾文学・・・。

もともとは友人に『歩道橋の魔術師』を紹介してもらって読んでから、「この人の翻訳はすごいかも」と思い、手元にあった台湾に関する本の翻訳者に何度も名前を見かけているうちに一方的に興味を持った、というのが天野さんとの最初の接点だった。

台湾文化センターでの台湾カルチャーミーティングなど、イベントの司会・主催、そして通訳など本当に幅広く活躍されていたので、本当にショックだった。

翻訳家の矜持

最後に天野さんと話をしたのは、珍しく本人がメインでお話をするイベントの時だった。

浅草のReadin' Writin’と言う本屋で昨年の7月に行われたそのイベントでは、相変わらずの天野節とともに天野さんの翻訳家としの矜持のようなものが垣間見れた。

ジミー・リャオさんの『星空』の翻訳秘話を中心に、後半はざっくばらんに本人のこれまでの仕事や、天野さんの台湾観、そして会場からの質問も加わって話題は広がる。

「天野さんはご自身で小説を書かないんですか?」という質問に、「翻訳者は生み出す人ではなくあくまで業者。台湾の伝えるべき人のものを翻訳するのが生業なので、自分で小説を書くことはまったく考えてない」と(いう趣旨の話を)答えていたのがとても印象深い。

少しシニカルで、ぶっきらぼうで、でも翻訳という仕事にものすごいこだわりをもっているのは、天野さんが翻訳した本の「訳者あとがき」でも伺える。人によっては言い訳じゃないかと思っている人もいたようだが、あれは(あまり育っていない自身の後継者への)申し送り事項なんだと思う。

本当に原文の細かいところまで注意して、文法や文化的背景が違うのも全部受け止めて、そして解釈して組み立てる。本人は「業者だから」と謙遜していたけれど、編集者とプロデューサーも兼ね備えた人なのだと思う。

本当に惜しい方を失った

昨日の偲ぶ会では、多くの人が「本当にいい人だった」「お酒を飲み交わして楽しかった」「私より先に逝っちゃって・・・」と追悼の言葉を話されていた。
初見では、ぶっきらぼうで、物怖じしない話口調に面食らう人は多いかもしれない。

上で紹介した夏のイベントのでは、「カルチャーミーティングの妖怪の会で何敬堯さんに出てもらった時に、何さんが京極夏彦さんの影響を受けていてものすごいファンだという話を聞いていたんだけど、そこにちょうど京極夏彦さんが来ていて、それを何さんが気がついていなくて、どうやって本人に伝えようか大変だった」と話していた天野さんの、ぶっきらぼうだけど、でも実はすごく温かみがあっていろいろなことを考えていることが伺えて、ああ、この方は本当に不器用だけど本当にいい人なんだと感じたのを覚えている。こういう人はずるい。

思えばそのイベントの時点で天野さんは痩せられていた。近しい方以外には病気のことは伝えていなかったようだが、それも天野さんのプライドだったのかもしれない。

いろいろな方が言っていたけれど、本当に「命を削って翻訳していた」んだと思う。

最後にふるまいよしこさんのインタビューが台湾の本や文学と天野さんのシニカルだけどものすごくいろいろなことを考えていることが感じられるので、紹介しておきたい。有料だけどこれは本当にお金を払っても一読の価値がある。ちょっと個人的に悔しいくらい。

改めて、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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