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近所のレストラン❄︎私の思い出の記録❄︎

思い出の店を振り返ってみると、今はもうない店がたくさんあることに気づかされる。「思い出の店」を書きたいだけなので、今はもう閉店してしまった店にこだわりがあるわけではないのだけど、まだ今も行っている店は思い出が生成され続けているので、いざ振り返って書こうと思うと、今はもうない店になりがちだ。
ひとつひとつ書いていったら、いつかすべて書き終わるんだろうか。その前に書きたい今は無い店が増えていったら嫌だなあなんて思いつつ、今日も気ままに書こうと思う。


 小学校への通学路の途中にレストランがあった。もともとフランス料理店だったのかお店の名前がフランス料理によく使われる食材が店名になっていた。ここでは仮にオマール海老から取って「おまーる」とする。ただ、実際は洋食だけでなく、和食もある、定食がメインの親しみやすいレストランで、オマール海老を使ったメニューなんかは見たことがない。テーブル席だけでなく、座敷の席もあった。瓶ビールのポスターが貼ってあったりもしたから、座敷席なんかは宴会もできるお店だったんだろうと思う。そういえば、釜めしが美味しいらしいが、私は釜めし自体が好きでも嫌いでもないので食べたことはない。私が好きだったのは「おまーる定食」と名付けられた定食。鉄板に、白身魚とか肉とかのフライが2種類と、フライドポテトと、野菜と、なんかいろいろ載っているやつ。ご飯は、白いご飯じゃなくて、おにぎりがついていた気がする。素朴な、手で握った感じのあるおにぎりが、妙に暖かい。こうやって書いてみると、記憶があいまいで、好きだったはずなのに、あまり詳細が思い出せないのが悲しい。豚の生姜焼き定食を食べていたこともあった。夏は、ひやむぎ定食を食べたりもした。「おまーる定食」が好きだった記憶があるけど、常にこのメニューばかり食べていたって感じではなかったのかもしれない。
 食後にドリンクかデザートがついていて、幼い頃は、アイスクリーム一択だった。ガラスの器で出てくるのだが、薄いピンク色だったり、薄い緑色だったり、薄い青色だったりと種類があって、今日は何色だろうってちょっと気にしていた。別に何色でも味は一緒なのだが、ピンク色だとちょっと嬉しかった。かわいいし。夏の間だけかき氷もあって、奥さんに「かき氷もあるけど、どうする?」と聞かれると、「夏が来たなあ」と思っていた。家庭用のかき氷機で削ったガリガリの氷なので、あまり好みではないのだが、暑い日はやっぱり涼しくなりたくて選ぶこともあった。
でも、ある程度大人になると、食後のデザートよりもホットコーヒーを頼むことが多くなった。アイスも好きだけど、アイスを食べるなら一緒にホットコーヒーも欲しい。普通に単品で追加すればいいのだけど、そこまでしてデザートが欲しいわけではない。どちらかしか頼めないなら、コーヒーが優先される。そんな感じで私は大人になった。私はコーヒーはブラックで飲みたい派なので、事前に聞かれた場合は、砂糖とミルクを断わる。デザートから飲み物に切り替えた初期のころ、ホットコーヒーを頼み、砂糖とミルクを断ったときに、奥さんに怪訝な顔をされた記憶がある。今思えば、幼い頃からの私を知っているからこそ、ずっとアイスを食べていたこどもがブラックのコーヒーを飲むようになったという変容を感じていたのかなと思う。
そういえば、暖かく見守られていたなと感じるエピソードがまだある。伝票が手書きだったので、机に置かれる伝票に合計金額が書いてあるわけではなかった。そのため、「そろそろ帰ろうか。」という風になると、母親が、私か妹に計算をさせた。母親(電卓使用)と妹と私で誰が一番早いか、そして全員の答えが合っているかを競う日もあった。おまーるの奥さんは、私達のその様子を知っていたので、レジで、奥さんがレジに打つよりも先にお金を用意してあって、それが正しいと、褒めてくれた。あと、「おまーる」の息子たちと私達は小学校の学区が一緒で、通っている習字教室が同じだった。学年が被っていないので、直接会話をすることはほとんどないが、顔は知っているような関係だ。私の習字の作品も、展示されているのを見かけると、「そういえば、飾ってあったの見たよ。」と声をかけてくれて、褒めてくれた。
おばあさんの体調不良だったか、設備の老朽化だったか、忘れてしまったけれど、閉店してしまった。今は、建物自体は残っているけれど、部分的に改修されて、何かの事務所のようになっている。息子のうちの一人が調理師の専門学校に進学したので、いつかは後を継ぐものだと思っていたけれど、そうはならなかった。やっぱり、どうせなら、オマール海老を使うようなおしゃれな料理が作りたくなったのかもしれない。

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