老人ホーム「家船屋(えぶねや)」

“一日1note”を一週間続けてから間があいたが、宣言通り新たな「作り話」ができたので投稿する。
 右を向いても左を見てもコロナコロナ。
 聞きたくない、見たくないと、謝絶するには、脳内を妄想で満たすしかない。妄想を脳内に増殖させるには、多少の狂気が必要だ。マスク警察、自粛警察など目に見えないものに囲まれ閉じ込められている巣ごもりは狂気をはらみ、妄想からの作り話には、うってつけの環境だ。
 先日noteに、毎年初のタイトルだけの妄想事業計画のひとつである「焚火屋火Bar」を投稿したが、今回はそれに続く第二弾「老人ホーム家船屋」である。
 事業計画のパンフをつくる際のビジュアル部分のラフスケッチのような文章だが、お気に召せば幸いである。他の作り話にも目を通していただき、フォローいただいたりしたら望外の喜びである。

というわけで本日の「作り話」──


食事をしながら交わされる話し声、食器の触れ合う音、テーブルの間を給仕が動く際の微かな衣擦れ、時折上がる驚きの声や笑い声。
 都心のホテルの宴会場の光景は、客の年齢をみると学校の同窓会に、注意深い人間なら、一人もいれば夫婦や友人同士というペアもいるようだから、都内巡りの観光バスの昼食会かと思うだろう。

「みなさま」
 マイクの前に立った女が会場に声をかけた。
「食事をお楽しみいただだいておりますでしょうか。本日お召し上がりいただいておりますメニューは、特別なものではございません。家船屋の日常の食卓でございます。お手元のパンフレットにはさませていただきました今月のメニュー、これは本日現在家船屋にお住まいの方の手元にあるものと全く同じものでございます。家船屋では、和洋中はもちろん、柔らかさの調整、誕生日などのハレの食卓なども承っております。日々の食卓からも季節を感じていただくようにと厨房スタッフが皿を碗をキャンバス、花器に見立てて、腕を振るっております。しかしながらただひとつ、メニューに載っていないもの、と申しますか、載せることができないものがございます。テレビのグルメ番組などでいう裏メニューではありません。残念ながらそのメニューはご乗船いただいたかた限定です。そのスペシャルメニューを今日は特別に前方スクリーンにて紹介させていただきます」

スクリーンに老婦人を中心にテーブルに着く4人が映し出された。
「山田さん。本日は素敵な晩餐にお招きいただきありがとうございます。グルメなあなたのことだから、今日も楽しみ。最期の晩餐は何を頼まれたのかしら?」
 山田と声を掛けられた婦人は絢爛な桜が描かれた屏風を背に座っている。
「急がないで木本さん。それはもうちょっと秘密よ」
 山田は自分の左に座る女に向かって答えた。
「あらぁ、教えてくれてもいいじゃない」
 テーブルの右手前に座った女が頬を膨らませつつ言う。
「小池さんも、秘密」
「けちだねぇ、敏子さん」
 今度は小池の向かいに座った男が言った。
「あら、けちとはひどいわねぇ、宇田川さん。でも、秘密よ」
「まぁ、みなさんよろしいじゃない。もうすぐわかることなんだし。久しぶりにドボン会が全員揃った食事なんですから楽しみましょうよ、ね? 山田さん」
 山田の右に座る婦人が話をしめた。
「ありがとう野村さん。そして皆さんも、最期の晩餐だなんて辛気臭い席にお集まりいただき感謝しているわ。ドクトルマンボウの見立てでは、こうして皆さんと話をできるのもそう長い時間じゃないようだし、ましてや、食べ物を口にできるのはもっと短いみたい。そんな哀れな姿を見せても皆さんのほうがつらくなっちゃだろうから、いまのうちにと思って。ほんとうに楽しかったわ。こんなわがままいっぱいのバーさんと付き合っていただき感謝してる。今日はそのささやかなお礼」
「あら、あんたもう泣いているの、早いわよ」
 小池が目の前の宇田川に向かって手のひらを振って混ぜっ返した。
「そんなこと言ったってよぉ、俺は、こういうの弱いんだよ。ごめんよぉ、敏子さん」
「いいのよ、宇田川さん。一人ぐらい悲しんでくれる人がいないと私も哀れだわ。ありがとう。でも、少しは涙をドボンの時まで取っておいてね」
 宇田川が盛大に泣きそうなので、止めるような形で料理人姿の二人がテーブルに近寄った。
「お待たせいたしました。本日の晩餐でございます」
 声を合図にダークスーツ姿の女と金ボタンのダブルで袖に3本の金のラインが入った仰々しい服の男の二人がワゴンから料理を卓に並べていく。
「ありがとう、善さん。それにベルナルド。鈴木施設長に船長も」
 船長は無言で会釈し、料理人に場所を譲った。
 料理を丹念に映し出すスクリーンに合わせて料理人が挨拶を始めた。
「山田様、本日はレストランをご利用いただきありがとうございます。料理はわたくし土井善と、ベルナルドで用意させていただきました。お気に召せば幸いです。ご用意させていただきましたのは鯛茶漬けです。茶漬けのほかにも焼き物にも使わせていただいております。山田様ご本人はたくさんはお召し上がることができませんが、ほかのかたがたはおなかがすくだろうということで、副菜をベルナルドが用意しました。最後の晩餐にふさわしい華やかなものになったかと存じます。それではゆっくりとお召し上がりください」
 料理人二人と船長施設長が深々と頭を下げる。船長と施設長はそのまま同じテーブルについた。
「お招きにあずかって聞くのもなんだけどさ、なんで茶漬けなの?」
 小池がずけずけと聞く。このグループの狂言回しのようだ。
「茶漬けなら、私は永谷園でもよかったのよ。でも、それじゃ善さんに失礼じゃない、だから」
「そりゃそうだけど。あなたと茶漬けって合わないわよ」
「そうだよなぁ、敏子さん、俺がそばをすするだけでも顔をしかめてた」
「あら、失礼なことしたわね私。ごめんなさい、宇田川さん」
「いやかまわないけどさ、あれでも、気を遣って目いっぱいおしとやかにすすってたんだ。それがどうしていまさら」
「たいした理由はないのよ。もしかしたら損しているのかなって思ったの。おそばも茶漬けも音を立てなくても十分においしい。でも、音を立てたらもっとおいしいのかなって」
「なんだいそりゃ。お嬢様育ちが言うことはわかんねぇ」
「とにかく、一度、ズズズって音を盛大に立てながら食べて見たかったの」
 山田のその言葉を聞いてテーブルは周囲の笑い声に包まれた。
 スクリーンの視野が広くなる。
 山田たちのテーブルかと思っていた区間は広いレストランの一席だった。さらにその周囲にはスタッフも集まっている。
「さぁ、みなさん召し上がれ」
 山田はそういうと、碗を手に取りズズっと盛大な音を立てた。
 再び笑い声に満たされる。周囲のテーブルの客は、山田に向かって手を振ったり、グラスや盃を軽く持ち上げて献じている。

「ご覧いただきましたのが、家船屋の特別メニュー“最後の晩餐”でございます。食事内容はもちろん器の一つ一つに至るまで、ご本人のリクエストを100パーセント叶えることをモットーに、厨房スタッフ、家船屋スタッフ一同が動きます。この晩餐は、希望しても全員の方が開催できるわけではございません。変な申し上げようですが、死に際まで健康だった方限定とも言えます。皆様にもその幸運が訪れますように祈っております。なお、皆様にご覧いただいた山田様には事前にこのような席で使うことを許可いただいております。そして山田様、この2週間後に、お仲間やクルーに見守られながら静かに穏やかに旅立たれましたこと申し添えさせていただきます」

家船屋(えぶねや)は、元外洋クルーズ船を改装した老人ホームである。文字通り「船が家」「家が船」のホーム。現在就役中の家船屋は3隻。今日は家船屋Ⅲの説明会が開かれている。
 食事が始まる前、船内設備の紹介ビデオにつづき、各テーブルに実際に家船屋で勤務しているクルーが座り、客からの質問に答えた。
 ゲストと呼ばれる住民は250人。クルーズ船時代の客数に比べれば三分の一以下である。今日のような説明会はこの定員に一定数の空きがでると開催される。抽選というわけではないが、今回の倍率は30倍を越えている。
 現在の船の性格上バリアフリー化された室内はもちろんだが、共用部分のレストランを始め、トレーニングルームやミニシアターなどの各種娯楽施設はクルーズ船そのままだから、住まいと称しながらも、病室以上ビジネスホテル未満の陸上のホームなど足元にも及ばない。
 ゲストが不意に転落したりすることを防ぐしかけは当然だが、物忘れが激しくなった人間がほかの部屋に入ったりしないような仕組みも万全。徘徊などにより、ほかのかたとの生活が著しく困難になった場合に利用できるユニット型の船内グループホームが新たに作られている。
 部屋の大きさによって入居金がことなるが、利用できるサービスに変わりはない。介護保険は使えるし、文字通りカネで買えるサービスも多々用意されているが、一人当たりの生活費には大差がなく、陸上での格差がそのまま持ち込まれるわけではない。
 船は外国に行くことこそないが、外洋クルーズ船長経験者の船長が舵を取り、母港を出発し、季節ごとに、穏やかな海を移動し、立ち寄った先では希望すれば観光もできる。寄港地がたまたま故郷に近ければ、墓参りもできる。なかには、船に友人を招いて同窓会を開くというしゃれ者もいる。
 料理長は南極観測隊料理長経験者だ。副料理長はこの船がクルーズ船時代の厨房スタッフ。その後、客の日本人と結婚していまはこの船に乗っている。この二人、自分たちにできない料理はないと豪語する。
 ゲストの日常生活を支えるクルーには、フィリピン人が多いが全員日本語が使える。この場合の使えるは、目をつぶって聞いている限り、ネイティブというレベルだ。介護スタッフの動きも気持ちがよく、教育が行き届いていることがわかる。
 常の健康管理から急病まで対応する船医、看護師が常駐しているのは当然。手に負えなければ陸からドクターヘリを呼ぶ。ちなみに、ドクトルはなぜか歴代マンボウと呼ばれている。
 ゲストは終の棲家として乗船している。一部の金持ちを除けば自宅を売り払い入居する人も少なくない。だから、万が一のとき──例えば経営破綻とか、沈没といった結果、住む場所を失うという事態を心配する声も多い。
 家船屋3隻はどれも独立採算である。入居権にはグループ企業が陸上に持つ、マンションの利用権が付帯しており、万が一の時はそちらへ移ることもできると。実際、どうしても船上生活ができなくなって陸のマンションで最期を迎えた人間もいる。
 というわけで、人気の家船屋は順番待ち、実際は待ってる間に死んでしまう人のほうが多いというもっぱらの噂であるが、人気の秘密はもう一つあった。
 それは──。

「みなさま、大変申し上げにくく、また、残念なことなのですが」
司会の女がわざとらしいほど、くそ真面目に言いつつ会場を見渡した。
「家船屋のゲストの致死率は97パーセントです」
 会場から「なーんだそんなことか?」という声が上がる。年寄を相手にした説明会などでは定番のジョークだ。
「わたくしが残念だと申し上げたのは、100パーセントではないからなんです。
話を単純にします。家船屋ゲスト100名様のうち3名様は、船上で亡くなることができませんでした。3名のうちお一人は寄港先から故郷へ墓参へ向かう途中で、もう一人は寄港地で観光中の交通事故、そして、もう一人は乗船前日に亡くなりました」
 笑ったものかどうか迷っている客に向かって司会はたたみかける。
「なぜこのようなことを申し上げるのか。この説明会にお越しの皆様はご存じのことと思います。そうなんです、皆様の生きている間の心配ではなく、亡くなった後の心配事の解決をお手伝いするのがわたくしども家船屋の特徴でもありますし、それを求めて入居を希望するかたがほとんどだからです。
 それでは、ここで、先ほどの“最後の晩餐”にご登場いただいた山田さんに再度ご登場いただきます」
 
「みなんさんこんにちは。山田敏子と言います。ご承知のように私はすでに皆さんと同じ世界にはおりません。なんだか不思議です。
 わたくしでお役に立つならと、水先案内を勤めます。うまくいくかどうかわかりませんが、しばらくお付き合い下さい。
 話は、先ほど皆様にご覧いただいた“最後の晩餐”の1週間前に戻ります」
 
「山田さん、おはよう。お加減はいかが」
「あぁ、ドクトル。おはようございます。お加減はあんまりよくないわねぇ」
「でしょうねぇ」
「どうなんです、私。そろそろかしら」
 いつものルーティンにしたがい、言われる前に服の前を開けた山田の胸に聴診器を当て、脈をとり、瞼を裏返し、血圧を測り、血中酸素飽和度を測ったりと一通り終えて、聴診器を耳から外して首にかけたドクターは答える。
「かもしれませんねぇ。先日の寄港先の病院で行った腫瘍マーカーとCTの結果をみても、そのつもりで準備をしておいて間違いはないかと。痛みが強くなったりしてはいませんか」
「ええ、大丈夫。ドクトルのさじ加減は最高よ」
「ありがとうございます。これまで何度も話し合ってきたことですが、もし、お気持ちが変わって、最後の最後まで病気と戦うということであれば、それに従って処置をします。ただ、そうなると、体調的にはかなり厳しい状況になると思います。最後の晩餐は無理でしょうね。もし、お気持ちが変わって、病院搬送をご希望ということであれば、ドボンも」
「あら、ドボン会長としてそれは困るわね」
「では予定通りでよろしいですか」
「けっこうよ。よろしくお願いいたします」
「わかりました。施設長に伝えておきます」
「よろしく、ドクトル。あぁ、最後の晩餐にはぜひ来てくださいね」
「もちろん、喜んで──っていうのもこの場合は変ですね。失礼」
 ほどなくドアがノックされる。
「施設長さんおはよう。忙しい中ありがとうございます」
「ドクトルから聞きました。忙しくなりますよぉ。さっそく決めていきましょう。まずは、最後の晩餐は開きますか」
「えぇ、お願い」
「メニューは後程お渡しする紙に書いて封をしてください。厨房の善さんに渡します。聞きたいことがあれば善さんから連絡が直接あるかと思います。それから、招待者はいますか? いらっしゃるようなら、人数分のカードをお渡しします。開催日が決まりましたらメッセージやあて名を書いてスタッフにお渡しください。船長がデリバリーします」
「ありがとう」
「それから、これからの日々ですが、お部屋のままでよろしいですか? 特別介護室をご希望ですか」
「ここでけっこう。ご近所のの皆さんへは、部屋への出入りは遠慮しないでほしいと伝えて欲しいのですが。しわしわで顔色の悪い死に顔を見られてもうれしくないのよ。生きているうちに、ありがとうが、さようならが言えるうちに、皆さんには会いたいの」
「わかりました。この船の中、陸上に問わず、とくに会いたい方がいらっしゃいますか」
「陸には息子家族以外いないわね。みんな忙しくしているので、知らせるのは本当にぎりぎりでいいわ」
「それでは、最後のご衣裳とか、お棺、それから葬儀の時間は、こちらにパンフレットを置いておきますので、のちほどゆっくりお考え下さい。わからないことがあれば遠慮なくお呼びください」
「人生最後の買い物ですもの、そりゃぁ力が入りますわよ」
「敏子さんたら」
「施設長さん、時間なんですけど、この中から選ぶのね」
「はい。この世に早く再生できるように日の出が良い、極楽浄土をすぐ近く感じるから日没間際が良い、いや満月の夜が良いなど、いろいろなご希望がありますので、それ以外の時間もダメではないですが、四点鐘がなくなります」
「あぁ、あれは良いわよねぇ。亡くなったかたをよく存じ上げなくても、点鍾を聞くと涙が出てくるのよね。いつもとは違うあの間(ま)がそうさせるのかしらね」
「そうですねぇ。あれを聞くたび私は毎回大雨で、クルーにからかわれます。施設長が死んだらみんなで撞いてあげるって言われて。クルーは全部で100人以上いるんですよ。除夜の鐘じゃあるまいし、まったく」
「施設長、変なことを聞いていいかしら。どぼんしたあと浮いてきちゃうなんてことはないですよねぇ」
 口を両手で覆ったり、ももをつねったりして無理やり笑いを封じ込めに成功した施設長は、鼻を一つすすり上げ、さらにもうひとつ深呼吸をしてから答えた。
「ごめんなさい、笑ったりして。不思議ですよね、それを聞かれるゲストが結構いらっしゃいます。火葬の場合『燃え残ったりしませんか』なんて聞かないのに変ですよね」
 笑いすぎて捩れたスーツの皺を直しながら施設長は続けた。
「水葬の場合もっとも恐れるのはおっしゃったような事態です。万が一ぷかぷか浮かんで、どこかに流れ着いたら、警察沙汰です。この船も調べられて2度と航行できなくなります。亡くなっただけではなく、この家船屋をですから、家船屋が独自開発した棺自体が必ず水に沈む構造となっていますし、水圧も考え、海底で破壊れることのない構造となっています。水葬の場所も、深さや潮流などを考慮し、慎重に選定します。これまで、いちどもぷかぷか事件は起きていませんからご安心ください。思い出しましたけど、いまわの際に、私泳げないけどもどうしましょ、とおっしゃったゲストがいました」
「どうしたの、それで」
「枕辺にいらっしゃった船長さんが、うろたえることもなく、お棺に浮き輪を入れておきますって。それでその方ありがとうと安心されて」
「おちゃめな船長さんねぇ」
「でも、船長ったら約束だからって本当に入れたんですよ、浮き輪。それも亀。なんで亀なんですかって聞いたら、竜宮城への乗り物だからって、にこりともしないで。変な人です。では」

笑いながら施設長が出ていき、再び扉が開くと、晩餐に来ていたメンバーがベッドを囲んでいる。宇田川はわんわん泣いている。彼をからかっていた小池は、泣き止みなさいというように宇田川の腕を叩きながら自分も泣いている。
「山田敏子様 10時38分 ご臨終です」
 ドクトルが静かに告げた。
 宇田川と小池の泣き声が一段と大きくなった。
 ドクトルと看護師が一礼して部屋を出ていく。
 そして再びドアが開くと、太陽が降り注ぐデッキにでた。
 パラソルの下の椅子に男が二人。老人と世話をするクルーだ。

カーン

カーン

カーン

カーン

「さぁ、加藤さん、10時のおやつですよ」
「だれか亡くなったんだね」
「亡くなったのは山田敏子さんというかたです。よくわかりましたね」
「間をあけた四点鐘は、ボクサーの弔鐘だから」
「そういえば加藤さんはプロボクサーだったんですよね」
「一回戦ボーイだったけどな」
 加藤は節くれて微かに震える手を合わせた。加藤の口におやつを運ぼうとしていたクルーも慌てて手を合わせた。
 
船尾にちかい甲板上、船べりの一角に花束を置かれた棺が安置されている。
 その周りを知らせを受けた家族だろうか数人の喪服姿が囲んでいる。一歩下がって船長。さらにその後方に家船屋住民の仲間やスタッフが控えている。
 昼前の柔らかな日差しのもと穏やかな海に長く航跡を残しながら船は進んでいる。甲板べりには正装したクルーたちが直立不動で立っている。棺が置かれた甲板だけではなく、その上の階層、さらにはその上の階層にも並んでいる。
 船長が「では」と促すと家族が棺にそっと棺に手を置いた。
 鐘が打たれた。
 間をあけて四回。
 その四点目が打たれる寸前に棺は船の外に押し出され、ゆっくりと水面に落ちた。
 家族は船べりに駆け寄り水面に棺を探す。
 棺は、この世を見納めるように、もしくは家族に別れの時間を与えるように、わずかのあいだぷかりぷかりと浮かんだのち、沈み始めた。ゆっくりと海に吸い込まれていく。どろっとした液体に浮かべられたホワイトチョコレートのようだ。
 甲板のクルーが全員で手を振る。
「さよーならーぁ」
「ありがとー、としこさぁーん」
「おかーさーん、さようならぁー。ありがとー」
 汽笛が太く静かになる。

長く伸びる航跡に字幕がゆっくりとかぶる。

家船屋を愛し育ててくださった、山田敏子さん享年88歳のご冥福を心よりお祈り申し上げます。家船屋クルー一同

暗くなった外面にゆっくりとエンドロールが流れていく。

「さてみなさま。ご覧いただきましたのが、家船屋のサービスのなかでも人気の“水葬の儀 ふだらく”の始終でございます」
 会場では涙をぬぐっている姿もあれば、そっと手を合わせているものもいる。
「水葬の場所や時間はご本人様のご希望を最大限かなえさせていただきます。また、水葬の場所はGPS特定、記録されており、ご家族からのご要望があれば、年回忌に合わせて現場海域のライブ映像の配信も承っております。ご乗船いただいていた船がそばを航行する際は献花を欠かさぬようにしております。
 実は、今回ご登場いただきました山田さま、弊社CEOのお母さまでございます。CEOはかねてより、最期は世界一周の船に乗り「死んだら海にドボンがいいわ」とおっしゃっていたおかあさまのためにこの事業を思い立ちました。就航当初より家船屋にお住まいを移し、家船屋がみなさま終の住まいとして快適となるように多くのアドバイスをいただき、私どもクルーの教育もなさいました。フィリピン人クルーのなかには、山田様のご逝去のショックのあまり寝込んでしまったものもいるぐらいで、皆からグランマトシコと愛されておりました」
「ちょっとお邪魔いたします」
 突然画面に山田敏子が現れた。会場から驚きの声が上がる。
「わたくしのドボン映像はいかがでしたか。どのみち情緒たっぷりに作りこんでいるでしょうし、たぶんMCをやっている鈴木施設長はみなさんの涙を誘うような言葉を並べていることでしょうね。実はドボン、最初は名前が決まっていなかったんです。で、わたしがドボンドボン言っているうちに他のかたも言い出して、さすがに会社もまずいと思ったんでございましょうね。ま、会社にも世間体ってものがありますから、水葬の儀ドボンじゃ、恰好がつきませんものね。それで、ほだらくだかごくらくだかになったんですよ。私は無学な女なので知りませんでしたが、なんでも昔のお坊さんが南の海の果てにある観音様がいらっしゃる浄土、これがふだらくっていうんだそうです、それを目指して、封印された船に乗って海に流されたのだそうです。抹香臭い講釈はどうでもいいですけど、ドボンよりは数段上品だということは認めます。
 というわけで、皆さんも素敵なドボンを。またお目にかかりましょう。ふふ、ごめんあそばせ」
 
画面に「どぼん」という文字が映し出され、ゆっくりと水面に溶けていく。
(完)

こんな老人ホームを、私は創ってみたい。
ではまたお目にかかることができますように。
[2020.07.22. ぶんろく]


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