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『殺人出産』から見えてくる教育の致命的な落とし穴

しばしばファンの間で”クレイジー沙耶香”と呼ばれる女性作家、村田沙耶香。彼女の作品は確かに独特なことばに包まれているものが多く、彼女でなければ創ることのできない世界観を持つ。中でも”殺人出産”は世界の本質について触れた非常にメッセージ性の高い作品だ。特に”教育の恐ろしさ”をストレートに表現しており、その恐怖は決して他人事ではないと感じたためここに書き留めることにした。この記事では『殺人出産』のあらすじを簡単にまとめたあと、この小説から読み取ることのできる教育観についてまとめる。*ネタバレ含む


[あらすじ]

世界が深刻な少子化に陥った近未来において、世界各地で「殺人出産」というシステムが導入された。それは10人子供を産む「産み人」になれば、10 人目の出産を終えたあと誰でも好きな人を1人、合法的に殺めることが許されるというものである。一度世界でそのシステムが導入されると、世界の”絶対的な倫理観”は瞬く間に変わっていった。少子化が進んだ世界において「産み人」は貴重な存在となり大切に扱われる。そして産み人に選ばれた”1人”は「死に人」と呼ばれ、非常に名誉なことであるとして盛大な葬儀が執り行われる。死に人として指名された人はその時点で社会の監視下におかれ、その運命から逃れることはできなくなる。そんな物語の主人公である育子は普通の会社に勤めるOLである。彼女には17歳の頃に「産み人」に志願した姉・環がいる。変わりゆく世界、取り残される者、飲み込まれる新世代。10人目を産み終えた環が死に人として指名をしたのは驚くべき人物だった。


[登場人物]

育子:この小説の主人公。殺人出産というシステムには中立の立場をとる。世界の変容に揺さぶられている現代の私たちに近い感覚を持つ人物として描かれる。

:育子の姉であり、他の「産み人」が産んだ赤ん坊(センターっ子)を育子の母親が引き取ってきて育てた。幼い頃から殺人衝動に悩まされており、17歳で「産み人」になることを決意。

ミサキ:小学5年生の女の子で育子と環の従姉妹。流行に敏感な今どきの女の子である一方で研究者になりたいという強い意志を持つ。学校の夏休みの自由研究として「産み人」を熱心に研究している。


[ミサキと義務教育]

ここでフォーカスを置きたいのは環が最後に誰を指名したかではなく”教育の恐ろしさ”である。

本編を読むと分かるように、ミサキは非常に聡明な子である。周りの女の子たちと同じようにファッション雑誌を読み、流行にはしっかりついていく今どきのませた女の子としての一面を持ちながら、小学5年生にして既に「研究者になりたい。」というハッキリとした目標を持つ。周りの子の宿題を代わりにやる代償としてお金を貰いお小遣い稼ぎをしているような抜け目のない少女である。

ミサキは殺人出産システムが導入されたあとに生まれたためカリキュラムが綺麗に変更された義務教育機関で学んでおり、「産み人は正義である」という教育を受けている。

”自分で子供を産む人はますます減ってきてるし、『産み人』は圧倒的に不足しているんだよ。だから、あたしはもっと『産み人』が増えるような研究をするんだ。社会学者を目指すの(Kindle, p493)"

この言葉に見られる以外にも、ミサキは図書館でたくさんの「産み人」に関する資料を探しては読み漁り、学校で聞いたことを育子に報告しては研究者への熱意を語っている。


[教育の問題点]

教育は非常に危険な側面を持つ。その理由の一つは「正義」である。教育には必ず教えるものと教わるものが存在し、教えるものがもつ知識、教材、カリキュラム、方針をメインにディスカッションが行われたりレポートを書いたりと授業が進んでいくことになる。教える側は必ず何かしらの「正義」を持っている。大学のシラバスで見るような”この授業の目的”がそれに当てはまるだろう。例えばこのnote記事での私の正義は「教育の危険性」について訴えかけることである。発信するものは必ず何か意図があり、それがその者にとっての正義となる。そしてその「正義」はいつでも一方的であるということを忘れてはならない。私にとっての正義が、あなたにとっての正義ではないように。しかし、義務教育、特にインプットが中心となる小学校や中学校において、生徒たちの多くはそれが全てであるかのように学んだことを素直に吸収していく。ミサキがその典型的な例ではないだろうか。学校で聞いた教師の正義、本に書かれてある正義がそのまま彼女の正義になってしまうのだ。教育と正義は理論上切り離すことができない。どんなものでも教育になりうる。それが私が恐ろしいと感じている教育の問題点である。


[教育を受ける上で必要なこと]

上記で教育の問題点について触れたが、一方で教育は上手く利用すれば人生を大きく切り開く重要な糧になってくれる。教育は、科目を学ぶためのものではない。センター試験で点数をしっかり抑えるためのものでもない。科目はあくまでも与えられた素材であって、それを元にその問題をどう捉えるか、どう考えるのか、どのように処理できるのか、そもそもそれは本当に真実なのか、といった主体的かつ柔軟な思考力を養うことが大切である。これは私自身アメリカの大学院に進んで痛感したことだ。教育はただ一方的に受け取るだけでは危険な存在になりうる。ソクラテスの弟子であったプラトンがソクラテスの教育を受けそれを吸収しながらも自分自身の哲学を展開していったように、知識を一旦飲み込んだあと、自分で消化していくことが教育を受ける上で必要なことだ。


[まとめ]

この小説を通して私が思ったことは、教育が持つべき本当の役割は決して聡明な人間を増やすことではないと言うことだ。自分で感じること。自分で考えること、そして自分で結論を出すことである。学校で学んだことが全て正しいとは限らない。自分で考える力を身につけることは、この埋れてしまいがちな集団社会の中で自分を確立するための大切な力ともなる。自分の人生をしっかり自分で決めて歩いていける人間になることができる。『殺人出産』は私をここまで導いてくれた素敵な小説だ。

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