「日記」/カルガモの食事

 日記をつけ始めて5日がたった。

 たまに「スキ」をつけてくれる人がいる。嬉しい。

 今まで「書かなければいけない場面」でしか文章を書いてこなかったから、自分から書き始めたものにリアクションをもらえるのが、とても嬉しい。

 あと、知らない人の日記を読む人が一定数いるらしいということに驚いている。

 確かに私は記事に「#日記」をつけているが、それは、この文章は日記に分類されるだろうし、つけておいた方が何となく見栄えが良い気がする、という理由からきたものであるから、誰かにアピールするためにつけたものではない。

 でも、それをきっかけにこのページに着く人がいるのだから、何でも書いてみるものだ。

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 「スキ」がついた自分の記事を見ると、嬉しくなる反面、媚びてはいけないという変な意地を張りたくなってしまう。

 例えばこの記事(1日目の日記。ネットで見つけたすごい肩幅の服について書いた)とか、読んでも何の得にもならないものには「スキ」がつかないのだと学んだ。

 逆に、何となく自分の内面の思考を書きとめたものは、ほんの少しだが人に読んでもらえやすいようだ。

 日記を書き始めて3日目くらいで、文章を書きながら、この記事には「スキ」をもらえるだろうかという基準が自分の中に新しくできた(できてしまった)ことに気づいた。

 この時代の人間なので承認欲求はあるが、同時に、こんなインターネットの隅でも人からの評価を気にしてしまう自分に悲しくなってしまう。

 「スキ」は嬉しいが、これ以上自分の自意識が大きくなってしまうのは怖い。

 ひねくれた性格にはなりたくない。やっぱり、この日記は「日記」として書いて、誰か読んでくれたらラッキー、くらいで書くべきである。

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 川の近くを散歩していたら、鳥が魚を捕まえる瞬間を目撃した。

 川を泳ぐ鳥(カルガモ?)が、一度顔を水面に入れ、水から顔を出すと、くちばしに大きな魚をくわえていたのである。

 今まで運がなかったのか、こういう場面はテレビ番組でしか見たことがなかったので、外だったが興奮して声をあげそうになった。

 橋の上にいた私は、川沿いの道に走り、その鳥を観察した。

 よく考えたら、あの鳥、どうやって魚を食べるのだろう。テレビでは、鳥が魚を丸呑みするととても驚いた様子のナレーションがつくけど、実際のところどうするのだろう。結構重そうだけど、完食できるのか。

 鳥は、魚を横にしてくわえている。くわえ心地が悪いのか、魚を川にビッチャンビッチャン打ちつけ、何回も持ちなおした。

 そうしているうちに、魚から血が流れてきた。つまり、鳥はくわえ直しながら食べているということなのだろうか。あんな長いくちばしで、どうやったのだろう。

 ずっと見ていると、2回ほど、鳥が魚を縦(くちばしに対して平行)にくわえた瞬間があった。丸呑みか、と私は思わず身を乗り出してしまったが、鳥も飲み込もうと試みるものの、2回とも結局また横にくわえなおしてしまった。

 その後も、鳥は、魚を川に落としてもう一度潜ってみたり、魚を少し水につけながらくわえたまま泳いだりしていたが、ついに食べかけの魚を川に戻し、何食わぬ顔で反対方向に泳いでいってしまった。

 やっぱり全部は食べられないんだな、と何故か安心した。

 食べるのをやめた後、鳥がしきりにくちばしを水につけていた。血がついてしまったから、川で洗っているのだろうか。

 鳥も口(くちばし)を洗うのかと驚きつつ、食事の邪魔をしたようで、少し決まりが悪くなった。

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 最後まで、ありがとうございます。

文明

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