チューリップラジオ5

8月3日。あれからしばらく連絡がこなかった。せい子さんの美しさを思い出すとなんだか夢であったような気もした。夏本番と言わんばかりにセミが鳴いている。冷蔵庫から自分で作って置いておいた杏仁豆腐を取り出した。兄の影響でお菓子作りは嫌いじゃない。バッドに入っている杏仁豆腐を適当に取り出し小皿に入れる。そしてミカンの缶詰を少し入れる。もちろん汁も少々入れる。扇風機を回すとバッドの結露が机を濡らし始めた。イライラする元気もなく、片付ける元気もなかった。これが夏なのだと心の中で唱えた。携帯電話が鳴った。せい子と表示されている。きた。やっと本当の夏が始まりそうだった。

「たまみちゃん、連絡遅くなってごめんね」
私はスプーンをおいて心なしか背筋を伸ばした。そして電話口でせい子さんは丁寧に説明してくれた。せい子さんの事務所の人と会って仕事のやり方を教わって欲しいと言った。

次の日。私は電車で大阪にあるというモデル事務所へ向かった。電車から見える景色は突然遮られ、空の面積がだんだん狭くなっていく。私は幸運にもこの電車のほぼ始発地点から乗っていて席に座れているが、大阪に入った途端に立っている人が増えたように思える。電車というものは社会的弱者が座りやすくなっているが、私のような田舎から出てきた経済的弱者も自然と座りやすい仕組みになっているんだろうか。あとから乗ってきた小さい子供と目があったが、私は譲る気が起きなかった。最低だ。窓の外をみるとビルに反射した太陽が眩しくて、もう私はこの地に拒絶されているような気がした。そして私も少し拒絶していた。

照りつける日光を背に私は大阪の街を歩いた。モデル事務所へ着くと早速、顔の整った、けれど感じの良さそうな男が出てきた。私がじっと見つめていると彼は首を傾げた。
「あーもしかして、原さんですか?」
「そうです。せい子さんのマネージャーをすることになって、それできました。」
すると彼は急に笑顔を見せた。
「やっぱりそうだ。せい子、中にいるから入って。あ、僕はりょうって言います。一応ここのモデルです。」
りょうという名前に覚えがある。この人の誕生日ケーキだったんだ。私はりょうに誘導されるようにビルの二階にある『モデル事務所ビーナス』に入った。扉を開けると中の冷気が一気に私を包んだ。
「せい子ー、原さんきたよ。」
久しぶりに見たせい子さんは髪の毛が茶色になっていた。
「たまみちゃん、きてくれてありがとう。暑かったでしょ、アイスあるから、休憩しな。」
そういうと事務所の冷蔵庫からアイスを取り出して私にくれた。ドキドキしている私に対してせい子さんは自分の家であるかのようにくつろいでいて、羨ましかった。
「社長、もうすぐ帰ってくるから待っててね。」
りょうさんはせい子さんの食べているアイスを取り上げ、一口かじると返した。私は森に迷い込んだ子羊のようだ。私は田舎臭くて子供臭い、恋愛経験もない。無知を突きつけられているような気がして、会話もできず、ただ必死にミカン味のアイスを食べることしかできなかった。


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