チューリップラジオ7

「たまみちゃん、ごめんね。薬持ってきてくれたのに。急に元気になっちゃってさ。」
撮影が終わった後、カメラマンがせい子さんを絶賛していた。せい子さんもまた「楽しかったです」とあらゆる関係者と話していた。吉井さんとりょうさんも写真を確認しては「これ、めっちゃいいやん」と話している。みんなさっきの事なんてなかったようだ。いやなかったことにしているのだろうか。私とやり場のない思いが二人ぼっちだった。とはいえ、まだ見学に来ただけだ。これが芸能界だとみんな割り切っているのだろう。いずれ私もそちら側にいけるだろうと信じることしかできなかった。

そこから私はあっという間に大阪の家が決まり、事務所に通いやすいところで暮らすことになった。秋学期に入り、ほとんど授業もなかったので、和歌山のケーキ屋さんもやめた。そして、同じようにせい子さんも大阪で暮らすことになった。私たちは同じマンションの階違いに住むことになった。せい子さんとの距離が近くなって嬉しかったが、実際近づきすぎることに不安があった。一緒のマンションに住むということはせい子さんに嫌われたら自分の生活もろとも終わってしまう恐怖があったからだ。それでも私は大阪でマネージャーをやることを辞める選択肢はなかった。それ以外の選択肢もなかった。また何もない自分に戻るのが嫌だったからだ。むしろここまで来たらとことんやってやると息巻いていた。

せい子さんの仕事は途切れることなく入って来た。私は向こう担当者とのやり取りをしながら、せい子さんのケアも欠かさなかった。せい子さんの部屋にご飯を作って持って行ったり、仕事の日の朝は起こしにいったりした。それを彼女に嫌がられても仕方がないと思っていた。私は嫌われる覚悟を持ってやっていたのだがある日の仕事帰りのタクシーでせい子さんに部屋の鍵を渡された。
「これ作ったの。いつも本当にありがとう。たまちゃんならいつ来てくれてもいいし、なんならずっといてくれてもいいのよ。私ちょっとさみしいしね。」
私は純粋に嬉しかった。せい子さんに信頼されている自分が誇らしくなった。
「ありがとうございます。またご飯持っていきますね。食べたいものとか、いってください。」
「私、杏仁豆腐が好きなの。実はね、あのミカンの缶詰が好きなの。」
せい子さんはそういって笑った。私の杏仁豆腐を好きといってくれた。庶民的でバカにされてもおかしくないのに。私はせい子さんのそういうところが好きだったし、もっと好きになった。私が男だったらせい子さんを自分だけのものにしてしまいたくなるだろう。私はその日から、せい子さんをずっと支えたいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?