チューリップラジオ3

私はいつも勤務中ぼーっとしている。多分誰よりもぼーっとしている。お客さんに声を掛けられてはっとする。
「すみません。」
私はマスクの中で急いで笑顔を作った。
「お決まりでしょうか。」
「あの、ショートケーキ一つと。マスカットケーキ一つと、プリンを二つで。」
お客さんは女の人で、クセのないアナウンサーのような声だった。
「お会計が、1390円になります。」
私はこの顔に見覚えがあった。
「あの、和歌山大学の方ですか?すみません、授業が一緒だったので」
思わず声を掛けてしまった。あたふたする私に対して彼女はまったく落ち着いていた。
「ああ。そうですか。ありがとうございます。バイト頑張ってください。」
彼女は今日も太めのカチューシャをつけていた。紛れもなく私の憧れていた彼女だ。持っていたカバンを肩にかけるとチェーンがじゃらっと音を立てた。そしてケーキの箱の持ち手を綺麗な指先で掴むと、揺れないように胸の前に提げた。私は思わず出口まで見送りに行った。すると彼女が振り返り、ありがとうと一言残して扉を押し開けて出て行った。その一連の姿があまりにも美しくて私は目を離せなかった。ケーキの入った箱を持った長くて細い指と、ネイビーのネイルの輝きが忘れられなかった。一言で表せば、私が持っていないものの全てであった。

この日の夜、私はご飯を食べることさえ忘れて、ネットで彼女の姿を探した。もう一度だけ見たい。もう一度あのネイビーのネイルが見たい。私はなぜか涙が出そうだった。あの美しさを想像するだけで胸がいっぱいになった。私は一心不乱に大学の友達のアカウントを片っ端から探った。彼女を見なくなったのは2年前。すると彼女は二個上だ。二つ上の知らない先輩のアカウントにたどり着くと、卒業式の写真が投稿されていた。その中に彼女がいた。やっと見つけた。黒の無地の袴を着ていてそれはよく似合っていた。というかきっと彼女に似合わない色なんて無い。

彼女のアカウントには写真が多く投稿されていた。そして全て他人に取られた写真であった。おそらくモデルのような活動をしていた。そしてコメント欄にはファンのような人もいた。私は焦った。彼女の美しさがだんだんと広がってしまう。凝縮されたネイビーが薄まっていくような、灰色になってしまうときがもうすぐそこに迫っているような感じがした。

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