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【本】石井光太「赤ちゃんをわが子として育てる方を求む」感想・レビュー・解説

読んでる間、ずっと泣いてた。
こんなん、泣くしかない。


僕は、社会で生きている以上、法律は守るしかない、と思っている。
人間の価値観は皆違うのだから、「法律」という特定の「正しさ」を「みんなが守る」という合意がなければ、社会は成立しないと思うからだ。

だからこそ、法律よりも自らの信念を優先する人間を尊敬する。

信念がないまま法律を破るのはただの愚者だが、これが正しいんだ、という信念を持って法律に立ち向かっていけるのは、本物の勇者だ。

【問題があるのは、正しいことが違法になっている法律の方なんだ】

こういう物語を読む時、いつも思い出すことがある。アメリカの奴隷制度のことだ。アメリカ南部で奴隷制度が存在していた当時、「奴隷制度」は「完璧に正しいこと」だった。疑問を抱いていた人がゼロだったとは思わないが、「奴隷はいて当たり前」「奴隷を人間扱いしないのは当たり前」という感覚が「当たり前」だった。現代の感覚で言えば、その当時のアメリカ南部の人々は、頭がイカれているように感じられる。よくもそんな人間とは思わないような所業が出来たな、と。しかし、僕が当時のアメリカ南部に生きていれば、奴隷制度に疑問を抱かなかった可能性は十分にある。その時、大多数の人が「当たり前だ」と思っていることには、そもそも違和感を覚えることが難しい。

現在中絶は、妊娠22週まで認められるが、かつては7ヶ月(28週)までOKとされていたという。7ヶ月での中絶手術の場合、大体の場合死産となるが、生命力が強い子供だと、稀に息をして産声を上げてしまうことがあるという。

この場合、一体どうするか?

普通に考えれば、中絶に失敗し生まれてきたのだから、出生届を出さなければならない。しかし、それは大いに問題がある。中絶を望む者は、戸籍に出産の記録が残ってしまうことだけは避けたいと思っている。だからこその中絶でもあるのだ。それなのに、生まれてきてしまったから出生届を出します、と言って納得するはずもない。しかも、7ヶ月の未熟児で生まれてきてしまった場合、救命措置をしてもどのみち数日から数週間しか生きられない。

ではどうするのか。医師が殺すのだ。

【昇の脳裏に過ったのは、かつて大学病院や市立病院で先輩たちから聞いた話だった。このような場合、開業医は誰にも言わずに赤ん坊の顔に濡れた手拭いを被せたり、浴槽に沈めたりすることで葬り去っているという。医師が密室で子供の息を止め、”中絶”として手続きを済ませば、外部に知られることはない。万が一の場合、開業医にはそれができるからこそ、患者の方も信頼してやってくる】

これが、当たり前の時代があったのだ。

【後で知ったことだが、これは石巻だけでなく、日本全国の開業医が暗黙の了解のうちに行っていることだった。昭和三十五年には百万件以上の中絶手術が行われているが、そのうちの一定数は七ヶ月のそれであり、少なくない赤ん坊が医師の手によって命を奪われているのだ】

マジか、と思った。

この「マジか」は、ちょっと説明したい。僕は、「命を大切に」みたいな感覚があまりない。仮に延命処置をしても数日から数週間で亡くなってしまう命であるとするならば、早いか遅いかの違いだけだ、と思ってしまう。だから、生まれた赤ん坊が「殺されている」と知っても、「赤ん坊が可哀相だ」と感じているわけではない。

僕は、医師に対して「マジか」と感じている。よく、それを続けられるな、と。

確かに僕のようにドライな人間は世の中にいるだろうし、そもそも中絶手術そのものが生命を奪う行為だ。本書の主人公である菊田昇も、

【慣れることはねえけど、誰かがやらねばならねえ仕事なんだ。】

と語っている。そういう環境の中で、「生命未満の命を奪うこと」への感覚は麻痺するかもしれないし、「七ヶ月を過ぎて中絶に失敗して生まれてきてしまった赤ん坊」の命を奪うことがその延長線上に感じられるかもしれない。僕も、この当時産婦人科医をしていたら、「仕方ない」と思って、自分の心を殺して命を殺めていたかもしれない。

そこまでは僕も理解できる。

しかし、石巻の産婦人科医たちは、菊田昇がまずは医師会に、その後社会に問題を投げかけた後、菊田昇の敵になる。菊田昇がしていることに、賛同しないのだ。

そのことに僕は驚いた。

【お言葉ですが、この問題はここにいる全員に共通のもののはずです!今日俺が話したのは、俺個人の問題を解決したいのとは別に、産婦人科医が直面してきた不条理を正面から議論したかったからです。今の法律がつづく以上、俺たち産婦人科医は中絶に失敗して生まれて来てしまった赤ん坊をどうするかという難題を突きつけられます。問題を先送りしても何も変わらねえです!】

菊田は医師たちの前でこう訴え掛けるが、彼らには微塵も響かない。そして、そのことに僕は驚愕する。

自ら法律に楯突くことが出来なくてもそれは仕方ない。自ら声を上げることが出来なくてもそれは仕方ない。人間は誰しもがそんなに強いわけじゃない。でも、自分がしていることに仮に罪悪感を抱いているのであれば、自分の代わりに声を上げてくれた人の敵になるはずがない。

そして、彼らが菊田昇の敵になったという事実から逆に考えて、彼らは、赤ん坊を殺すことに罪悪感を抱いていなかった、と考えるしかないだろう。

そのことに僕は驚いた。それは、間違っていると思った。

もちろん、医師会の側にも事情があっただろうし、個人としては菊田に賛同していても組織の一員としては助けてやれなかったという人もいるだろう。

それでも僕は、そっち側の人間にはなりたくない。自分の立場が危うくなっても、法律よりも信念を優先している人間の側に立ちたいと思う。

【どんなことがあっても、私をここで働かせてください。優生保護法指定医師が取り消されても、何ヶ月かの業務停止処分が下されても、ここにいさせてください。私は、特例法が成立した時に、一緒になってよくがんばったって喜びたいんです。どんな困難があっても、先生が医院をつづけて、私たちを雇ってくれると約束していただけるのなら、全力でお力になります】

【お給料のことを心配されているなら、どうでもいいんです。数ヶ月ならなんとかやっていけます】

【先生!私も婦長と同じ意見です!業務停止になっても医院にいさせてください。再開まで待てばいいだけですから!】

【私も同じです。看護学校にいた時、私は菊田医院にいることを同級生にからかわれました。でも、私はその度に『赤ちゃんの命を助けることのどこがいけねぇんだ』って反発してきました。ここに勤めてからもずっとそうです】

まったく。菊田昇も、彼の周りにいる人間も、みんな良い人で困る。
僕を泣かせないでほしい。

内容に入ろうと思います。
宮城県の港町である石巻の歓楽街には、遊郭が軒を連ねていた。その内の一軒が金亀荘だ。菊田ツウという女性が、遊郭の経営なんかまったく分からないまま買い取り、蟻地獄のような客引きで繁盛させた有名店だ。
菊田昇は、そんなツウの5人目の子供として生を受けた。菊田家は貧しく、長男・長女・次男・三男は皆成績優秀で級長を務めていたのに、お金がなく進学させてやれなかった。その後ろめたさからツウは遊郭を買い取り、昇だけでも進学させてやりたいと願っていたのだ。
ツウは、18歳未満でやってきた女の子を家政婦として働かせていて、仕事が忙しくて家に帰ってこないツウの代わりに昇を育てたのは、アヤとカヤの姉妹だ。昇が小学生の頃、アヤは既に水揚げされていたが、カヤはまだ17歳で家政婦の仕事だけしていた。昇は6歳ぐらいまでは「アヤ姉」「カヤ姉」と慕っていたが、次第に遊郭の仕事を理解するようになったことで少しずつ距離を置くようになっていった。
遊郭の出身であること、そしてアヤ・カヤとの幼き頃の関わり。これが、菊田昇が「特別養子縁組」の特例法の制定にこぎつける上で大きな動機となる。
やがて彼は、兄弟の中で一番出来は悪かったが、東北帝国大学医学専門部を卒業し、産婦人科医となった。感情を包み隠さず喜んだり泣いたりする熱血医として妊婦らから慕われ、看護婦から「いつ寝たり食べたりしているのか?仕事ばかりしすぎている」と注意される始末だ。結婚してからも、患者の方が優先と、家に帰らない菊田を、医師や看護婦の方が心配する始末だった。
やがて彼は、いくつかのきっかけを経て石巻に産婦人科医院を開業する。産婦人科の開業医は、中絶手術が経営の柱にならざるを得ない。折しもベビーブームもあり、菊田も中絶手術を手掛けることになる。
しかしそうした中、ついに恐れていたことが起きてしまった。妊娠七ヶ月の中絶手術で、子供が息をして産声を上げてしまった。菊田は、やむにやまれずその赤ん坊の命を奪ったが、二度とこんなことはしたくないとあることを考える。
不妊治療をしている夫婦に子供をあげることにしたのだ。生みの親の戸籍を汚さないで、子供を殺さない方法はこれしかなかった。もちろんそのためには、出生届を偽造するなどするしかない。明確に犯罪だ。しかし、菊田の想いを汲んだ医院の面々は、協力を申し出る。その活動は順調に生き、多くの望まれない子供を、子供を望む夫婦の元へとつなぐことができた。
しかし、この斡旋には準備が必要な上に、ひと目につかないようにやるしかないから、常に順調に行くわけではなかった。ある時、生まれてしまった子供の引き取り手がどうしても見つからない時、菊田は思った。
新聞に、広告を出してみたらどうだろうか?
昭和48年4月17日。地元の朝刊二紙に次のような広告が載った。

【”急告”
生まれたばかりの男の赤ちゃんをわが子と
して育てる方を求む 菊田産婦人科】

そう、まさに本書のタイトル通りの広告である。
この広告を一つのきっかけとして、菊田昇は世論を大きく揺るがすこととなる…。
というような話です。

いや、ホントに、凄かった。
凄すぎた。
こんな凄い男がいたなんて、知らなかった。

もちろん、彼一人だけで国を動かせたわけではない。
本書に描かれているだけでも数多くの助けがあったし、描かれてはいない無数の協力というのは確実にあっただろうと思う。
しかし、確実に言えることは、菊田昇の声と行動がなければ、「特別養子縁組」の制度は未だに生まれていなかっただろう、ということだ。
それほどまでに、菊田への反発は大きかった。
それも、菊田が最も共闘したかっただろう医師たち、産婦人科医たちが、敵に回ってしまった。
そのせいで菊田は、かなり綱渡りの闘いを強いられることになった。
あとほんの少し何かが早かったり遅かったりしたら、流れが大きく変わって、法案は実現しなかったかもしれない。
ホントに、そんなギリギリの状況を想像させる展開だ。

菊田昇は、何故これほど強大な存在、つまり「国」を相手取って闘うなどという大それたことが出来たのだろうか。
もちろん、産婦人科医として経験してきた様々な違和感や納得行かないことが直接の理由にはなるだろう。
しかし、その背景には間違いなく、「遊郭で生まれ育った」という過去が絡んでくる。
もし彼が遊郭で育っておらず、アヤ・カヤとも出会うこともなかったら、国と闘うなんていう大それたことは続けられなかったかもしれないし、そもそも医者になっていなかったかもしれない。

【中絶はしかたねえと思ってる。でも、違法行為をしてまで生まれてきた赤ん坊を殺すのはどうかな。アヤ姉だったら許してくれっかな。それとも、やめれって言うかな。そう考えると、俺は自分が恥ずかしくねえ生き方をしてるって言い切れる自信がねえのさ】

350ページほどある本書の、最初の70ページほどを、遊郭時代の昇の話に費やしている。アヤ姉・カヤ姉とどういう関わりがあったのか。ツウはどのように遊郭経営をしていたのか。遊郭育ちという自分の境遇に対してどう感じていたのか。それらは間違いなく、「菊田昇」という人間の根幹を成している。

例えば、「どうしてそんなに仕事をしているのか?」と婦長に注意された菊田は、こんな風に答えている。

【俺の実家は遊郭だったんだ。そこの女性たちはみな、妊娠しても産むことが許されねえで、命の危険のある堕胎を何度もしてた。波乱でもおめでとうなんて言えねえし、本人も産みてえなんて言えねがった。初めから赤ん坊は殺されねばならなかった。それが当たり前だった。でも、俺はこの病院に来て初めて、家族に喜ばれるお産つうものを直に見た。(中略)悲しいだけの印象があった妊娠が、こんなにも大きな幸せを産むのかと驚いたよ】

彼が圧倒的な正しさで信念を貫き通すことができたのは、圧倒的に間違っている環境に長く身を置いていたからなのだ。

さらに、その「圧倒的に間違っている環境」が、自分を大学まで行かせてくれたのだ、という負い目が彼にはある。また、その「圧倒的に間違っている環境」の「諸悪の根源」に見えていた母親・ツウの、昇には見えていなかった側面を、折りに触れ兄弟たちから聞くことで、母親に対して抱いていた複雑な怒りやわだかまりが少しずつ解けていったことが、石巻で産婦人科を開業するという決断の背景にある。そもそも菊田が医師を目指したのも、遊郭という「圧倒的に間違っている環境」で生まれ育ったことにある。

すべてが繋がっているのだ。

普通なら、国を相手に個人が闘うことなど出来ない。もちろん彼には多くの仲間がいた。

【それに、昇が負けるってことは、地元に支える人間がいねがたってことだ。そんなことになりゃ、石巻の恥だ。石巻のためにも手伝わせてけろ】

様々な形で支援を申し出てくれた個人がたくさんいた。

それでも、矢面に立たざるを得ないのは、「菊田昇」というまさしく個人である。

彼は、「犯罪行為を行っている」と堂々と宣言しながら、逮捕されないでいた稀有な人間だ。赤ん坊の斡旋が法に反することだと分かっていて、それでも赤ん坊を殺さないために法律を破っているのだ、と記者や国会で堂々と語る。警察や検察が動かなかったのは、世論が彼を支持したからだ。つまり彼は、あるべき正しさを拾い上げたと言っていい。

自分の行動の正しさに対する圧倒的な自信がなければ、こんなことは出来ない。そして、彼の圧倒的な信念だけが、他の多くの人の心を揺り動かし、大きな流れへと繋がったのだ。今回の件では、表立って菊田を支援することが出来ない人が数多くいた。それでも菊田は、突っ走り続けた。すべては、「菊田昇」という個人の想い一つで変わっていくという凄まじい環境に身を置き続けていたと言っていい。

その人生は、凄まじいという言葉では足りないくらいのものだ。

本書の最後に、こんな文章がある。

【昇は平成三年四月に、国連の国際生命尊重会議がつくった「世界生命賞」の第一回受賞のマザー・テレサにつづいて、第二回受賞者として選ばれた。受賞理由は胎児を中絶から守り、その人権を訴えつづけたことだった】

あのマザー・テレサに比肩する人物。
うん、確かに、それぐらいの評価で正しいと思う。

(最後に。本書は“小説”と銘打たれている。事実を基にした小説の場合、どこまでが事実でどこまでが創作であるのか、いつも感想を書く際に悩む。本書は、ノンフィクション寄りだと勝手に判断したので、「客観的な事柄についてはすべて事実」「内面描写や会話については創作もありうる」という立場を取った。菊田昇は、「世界生命賞」の受賞から四ヶ月後に癌で亡くなっている。菊田の著作は複数あるようなので、そこからもかなり採っているだろうけど、本人への取材は恐らく叶っていないだろうから、ある程度創作を交えなければ書けないと判断しての“小説”なのだろう、と判断した。)


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