【映画】「オフィシャル・シークレット」感想・レビュー・解説

こんなことがあったなんて全然知らなかったし、驚愕させられるエピソードばかりだった。シビレたし、ゾクゾクした。まあ、主人公にとって平穏な結末を迎えたからこそ、こんな暢気な表現ができるのだけど。


改めて感じさせられたことがある。ここ最近、映画を見て度々感じることだ。それは、

『正しいことをして非難されるより、間違ったことをして称賛された方がいい』

ということだ。

僕の基本的なスタンスは、法治国家に生まれ住んでいる以上、正しい/間違いの判断は、常に明文化された法律によって判断するしかない、と考えている。様々な意見はあるだろうが、多様な価値観を持つ無数の人間が共同で生きている以上、「この法律に従いなさい」という強制は、僕は必要だと思っている。

だから、先程の文章をより正確に書くと、こうなる。

『法律的に正しいことをして非難されるより、法律的に間違ったことをして称賛された方がいい』

法治国家に住む以上法律の下に判断されるべきだ、という主張と矛盾するかもしれないが、僕はやはりこう感じてしまう。というか、そういう考え方をするからこそ、「正しい」という主張に対して真っ向から歯向かうことが出来ると思っている。

当然だが、法律だって間違えるし、古びる。だから、「法律によって正しい/間違いを判断する」ということの根底には、常に、「法律をその時代に見合うようにアップデートし続ける」という前提が必要だ。

しかし、法律を作成し、管理する側に、そういう感覚があるように感じられないことがとても多い。

良心的な政治家もいるはずだと思いつつ、やはり僕らが報道などで見聞きする政治家は、悪い側面を切り取られていく。そして、その悪い側面は、とても悪い。なぜとても悪いかといえば、法律を作成し、管理する側の不正だからだ。

政治家や官僚の発言などを聞いていてよく思うことがある。それは、「これこれこういう枠組みの中で、我々は正しい」という主張を、あなたがたが多用することは卑怯だということだ。なぜなら、「これこれこういう枠組み」を作っているのも、政治家や官僚だからだ。政治家や官僚が言う「正しい」というのは、試験問題を自ら作り、採点し、合否を決めるのに近いものがある。試験問題を自分で作ってるなら、そりゃあいくらだって満点が取れる。もちろん、政治家”個人”で出来ることは限られているだろうが、しかし、政治家”たち”が共同で何かしようと思えば、「試験問題を自ら作り、採点し、合否を決める」に近いことは、いくらでも出来てしまうだろう。

そして僕は、そういう世の中を許容したくない、と思う。

この映画の主人公も同じだろう。彼女の主張は、実にはっきりしている。例えばある場面で彼女は、「時には戦争が必要な場合もある」と発言する。これは、状況が状況だったので、もしかしたら本心ではない可能性もあるが、ただ、本心だとしても彼女の全体のスタンスに矛盾しないし、むしろ”らしい”気はする。この映画の公式HPには「イラク戦争を止めようとしたある女性の衝撃の実話」と書かれているが、彼女は「戦争」に反対しているのではなく、「間違った戦争」に反対しているのだ。そして、幸か不幸か、彼女は目の前で始まるかもしれない「戦争」が「間違っている」と、つまり「法律的に間違っている」と推論できる立場にいた。

その場面に立った時、どうするだろうか?

【あなたの行動は立派よ。大勢の仲間が思っている】

この映画は、主人公視点で描かれているから当然といえば当然だが、ある行動を起こした主人公を称賛する言葉が随所に登場する。直接的に彼女に届くものもあるが、そうでないものもある。主人公に対する間接的な賛意として僕が好きだと思ったのが、肩書は忘れたけど、アメリカの偉い立場の人のこの言葉だ。

【私は長年考えてきた。報道の規制がなされるべきなのは、国が危うい時だけだ、と。政府が困るだけなら、問題ない】

主人公の言葉にも、痺れるこんなものがある。逮捕され、刑事から取り調べを受けている際に、「あなたは政府に仕える立場だ」と言われたときの反応だ。

【いえ、私は政府に仕えているのではなく、国民に仕えています。政府が国民に嘘をつくために仕事をしているんじゃない】

そりゃそうだな、と思うセリフだけど、でも、自分が窮地に陥っている状況で、これだけ芯のある言葉を出せるというのは素晴らしい。

「必要であれば、また同じことをしますか?」とマスコミに問われた彼女は、こう答えた。

【悔いはないし、同じことをします】

僕も、そんな風に言えるような人間でいたいと思う。

内容に入ろうと思います。
イギリスの諜報機関・政府通信本部(GCHQ)に所属する、いわゆる”スパイ”であるキャサリン・テレサ・ガンは、北京の翻訳担当として日々、盗聴・傍受した音声などを翻訳し報告を上げる仕事をしている。夫のヤシャルは中東からの移民で、結婚前に移民申請を出したが認められず、キャサリンと結婚することで身分が保障されている立場だ。二人は仲良く暮らしていて、穏やかな毎日を過ごしていた。世の中は、ブッシュ大統領とブレア首相がイラク戦争のための大義名分を得ようと奔走している時であり、「イラクは大量破壊兵器を保有している」という、未確認情報だけを根拠に、戦争を正当化しようとしていた。
そんなある日、GCHQのメールに、驚くような情報が回ってきた。アメリカの諜報機関であるNSAのフランク・コーザという人物からのもので、国連の常任理事国で、浮動票を持つ非常任理事国の代表の盗聴を手助けするように、というものだった。彼らの票を、戦争支持の方に取り込むために有利な情報を集めろ、という指示だった。キャサリンはその情報を目にして、眉をひそめる。イギリスとアメリカは、国連を動かしてイラク戦争を法的に正当化しようとしている。同僚のアンディもこの内容に不快感を示すが、彼らには出来ることはない。というのも、GCHQの職員になる際に、公務秘密法の遵守にサインしているからだ。要するに、GCHQの職務上知り得た情報を、それがどんなものであっても外部に漏らしてはいけないのだ。
しかし、イギリスとアメリカの横暴に苛立ちを抑えきれなかったキャサリンは、旧知の反戦活動家と連絡を取り、NSAからのメールを持ち出すからマスコミに流出させてほしい、と頼んだ。その望み通り、メールの文面は、アメリカのオブザーバー紙の記者の元へと届く。本物の情報かどうか徹底的な取材がなされた後、紙面で報じられたその情報は、やがてキャサリンの身を危うくし…。
というような話です。

いやー、これは凄かった。観てよかったなぁ。イラク戦争が、「存在しない大量破壊兵器を口実に行われた」ということはもちろん知ってたけど、その裏で、キャサリンのような女性が自らの信念を元に勇気ある行動を起こしていたことは全然知らなかった。

当然、公務秘密法違反は犯罪で、法律に背いているわけだから「間違い」なのは確定だ。しかし、法律的に「間違い」だからと言って、その行動が称賛に値しないわけではないし、というか今回の場合は、法律に背いた彼女の行動の方が称賛されるべきものだった。映画の中でキャサリンの同僚が謝った時、キャサリンは「あなたは間違ってない」と慰めるが、しかしその後で同僚は、「でも、正しいこともしなかった」と続ける。確かに、この「正しいこともしなかった」というのが、キャサリンと同じ行動を取れたはずの人たちの素直な感想だろう。

先程、映画の中では直接間接にキャサリンへの賛意が示されると書いたけど、もう一つ好きなシーンがある。これはラストシーンなので詳細は書かないが、ある人物が、「悪いがよそで釣ってくれ」というのだ(意味が伝わらないように書いてるからいいのだけど、これだけだとなんのこっちゃ分からないだろう)。これも、キャサリンには届かないタイプの賛意だし、っていうか実際にあったとは思えないエピソードではあるのだけど、フィクションだとしても、キャサリンへの称賛の示し方として凄く印象に残るものだった。

印象に残るといえば、キャサリンの裁判の顛末は衝撃的だった。あ、こんな終わり方あり得るんだ、という、ちょっと予想しようとしても予想できないタイプの結末だと思う。そしてこの裁判の顛末は、とにかく政府のダサさみたいなものを如実に描き出している。あまり書きすぎないようにするが、「そんな結末にするなら、最初から起訴するなよ…」と思ってしまった。ホントにダサい。そして改めて僕は、そんなダサい側には立ちたくないなぁ、と感じた。

ちなみに、この裁判での「争点」については、2010年に決着がついたようだ。政府が、法律的に「間違い」だと認めた形になった、ということだろう。しかし、日本の政界でもそうだが、結局、政府の「間違い」は有耶無耶のまま終わることが多い。実際どうか知らないが、イラク戦争に関しては、イギリスやアメリカの誰かが責任を取った、みたいな話を聞いたことがないから、やはり有耶無耶のまま終わってしまったのだろう。

さて、キャサリンにまつわる物語は、キャサリン個人に留まらない。キャサリンの夫が、まだ移民申請が完了していない人物であることが、状況をよりややこしくする。キャサリンは、自らの行為によって自身が罰せられることよりも、他人に迷惑が掛かることをより懸念する。だからこそ彼女は、内部調査の際に目をつけられていたわけでもないのに、同僚たちが厳しい尋問にあっているのを見て、自ら名乗り出たのだ。そんな彼女だからこそ、夫に迷惑が掛かることは何よりも辛いことだっただろう。詳しく書かないが、明らかに”嫌がらせ”だろうとしか思われないような出来事が夫に降りかかる。国家権力がこんなことしてちゃダメだろ、という典型のようなことをする。ホントに、恐ろしいなと思う。

あと、映画の中では「ちょっとした笑い話」というような、さほど重要ではなかったみたいな扱われ方だが、オブザーバー紙でこの大スクープを報じた際の驚くべき“ミス”については驚愕した。いや、それはないだろう、と誰もが思っただろう。キャサリンが流出させたNSAからのメールの全文を掲載したのだが、その文面がオリジナルと若干変わっており、それによって記事の信憑性が疑われたのだ。この映画を見る限りでは、その“ミス”はさほど大きな禍根を残さなかったように感じられるが、実際はどうだったんだろう?いやしかし、そのミスはありえねーよなー。

とにかく観て良かった。メチャクチャ良かった!正義とか道徳なんて言葉を軽々しく使う人間のことは嫌いだけど、キャサリンのように、正義・道徳なんて言葉を口にせず、まさに自らの決断・行動によって正義を静かに体現した物語は、道徳的にお膳立てされた行儀の良い物語を読むより、ずっと内側に入ってくるだろう。

サポートいただけると励みになります!