見出し画像

【本】久坂部羊「悪医」感想・レビュー・解説

※このnote全体の索引は以下より
<索引>【乃木坂46】【本】【映画】
https://note.com/bunko_x/n/naf1c72665742

これは凄い物語だった。大げさではなく、全国民が読むべき本だろう。


『いや、医療の本質は医学に忠実であることだ。医療が患者のご機嫌取りになったら、お終いだ』

僕ももし自分が医者だったら、こういう立場に立ちたいと思う。実際に立てるかどうかは別として。

『実際、抗がん剤は一般の人が思うよりはるかに効かない』

『さらに森川が疑問に思うのは、抗がん剤ではがんは治らないという事実を、ほとんどの医師が口にしないことだ(中略)
しかし、大半の患者は、抗がん剤はがんを治すための治療だと思っているだろう。治らないとわかって薬をのむ人はいない。この誤解を放置しているのは、ある種の詐欺ではないか』

がんについて、あまり考えたことはない。なんとなくのイメージで、抗がん剤ですべてのがんが治るわけではない、という程度の認識はあった。ただ、どの程度治るのかについての知識はなかった。本書によれば、抗がん剤はほとんど効かないし、そもそも抗がん剤ではがんは治らないという。これには驚いた。

冒頭の引用は、「治療不可能ながんに対してそれ以上の治療をすべきではない」という、医学に忠実な立場を取りたい、という表明だ。

しかし、現実はそううまくいかない。

『もうつらい治療を受けなくてもいいということです。残念ですが、余命はおそらく三ヶ月ほどでしょう。あとは好きなことをして、時間を有意義に使ってください』

医師は患者に対してこう言う。医師には、『副作用で命を縮めるより、残された時間を悔いのないように使ったほうがいい』という、患者のためを思う気持ちがある。

しかしそれに対して患者はこう答える。

『先生は、私に死ねと言うんですか』

この患者は、『先生。私は完全にがんを治したいんです。がんが消える薬に替えてください。そのためなら、どんなつらい副作用にも音を上げませんから。お願いします。この通りです』と懇願する。

両者の溝は深い。

医師には、選択肢がない。医学の見地に照らして、処置不能と判断せざるを得ないのだ。だから、もう治療は出来ない、という。この「出来ない」には、「その方があなたのためになる」という気持ちが込められている。確かに死んでしまうことは避けられないのだけど、同じ避けられない死なら、有意義な時間を過ごしてその死を迎えるのがいいでしょう、という優しい気持ちがあるのだ。医師は、『よかれと思って言ってるのに、なぜわかってくれないのか』と頭を抱える。

患者は、まったく違う風に受け取る。治療「出来ない」と言われることを、治療「放棄」と捉える。そこには、「がんは抗がん剤で、あるいは他の何らかの方法で治るはずだ」という信念がある。ネットやメディアでそういう事例をたくさんやっている。奇跡が起こったという話はいくらでもある。それなのに、ここでお終い?治療を止めてしまったら、起こるはずの奇跡も起こらないではないか。そうやって絶望する。

『できるだけのことをやって、悔いを残したくない』

『命が縮まってもかまいません』

『副作用より、何も治療しないでいることのほうがつらい』

患者はそう医師に訴え、治療の継続を熱望する。

『患者が闇雲に治療を求めるのは、薬の実態を知らないからだよ。患者が望む遠いに治療すればいいのなら、専門知識は何のためにあるんだ』

確かにその通りだ、と僕は感じる。なにせ、治療をすることで状態が一気に悪化することはほぼ間違いないのだ。

『がんの治療はある段階を越えたら、何もしないほうが長生きするんだ』

『それはだな、患者は「治療」イコール「病気を治すこと」と思い込んでるが、医療者は「治療」イコール「やりすぎるとたいへんなことになる」ってことを知ってるからさ』

医師も患者も、最善を尽くそうと必死になる。しかし、お互いの認識があまりにもかけ離れているために、お互いに最善とは程遠い場所に行き着いてしまうのだ。

医師は、妻とも議論をする。

『「患者さんが治療に執着するのは、当たり前じゃない。だれだって病気を直したいもの」
「でも、そうやって治療にすがることが時間を無駄にするんだよ。残された時間は限られてるんだから、気持ちを切り換えて有意義に過ごしたほうがいいだろう」』

そしてこの後に妻が言うことが、本作全体のある意味でボトルネックとなる。

『やっぱり無駄じゃないわよ。効果がなくても、治療をしている間は希望が持てるもの。希望は生きていく支えでしょ。それなしに時間を有意義に過ごせないわ。だって、好きなことをするといっても、絶望してたらだめでしょう』

この視点は正しいように感じられる。しかし現状では、この状況を作り出す仕組みが存在しない。抗がん剤を使えば副作用が出る。しかし、じゃあ抗がん剤ではない、例えば整腸剤などを抗がん剤と偽って処方すればいいのか。いや、ダメだ。もしバレたら大問題になる。結局、「効果がなくても、治療をしている」を実現するためには、副作用のある抗がん剤を処方するしかない。しかしそれは、「効果がない」どころか、逆に悪化させるのだ。

『どんなに苦しい人生でもいいから生きたい。どんなに不幸でも、死にたくはない』

患者が持つ、この取り除けない執着と、医療の限界の間で、医師も患者も苦しむ。答えは、一体どこにあるのだろうか?

内容に入ろうと思います。
35歳、外科医、森川良生。
52歳、胃がん患者、小仲辰郎。
この二人の視点が交互に繰り返される構成で物語が進んでいく。
森川は2年前、小仲の胃がんを早期に発見、手術をした。しかし11ヶ月後に再発、肝臓への転移が見つかった。森川は効く可能性のある抗がん剤をいくつか試すが、どれも効果なし。結局小仲に、これ以上の治療は出来ないと告げることになった。
そこで小仲から返ってきた言葉が、「先生は、私に死ねと言うんですか」だった。
小仲は森川の態度に不信感を持ち、病院を飛び出す。治療出来ないなんて嘘だ、まだ何か手はあるはずなのにあのクソ医師は放棄したのだ。世の中にはきっとどこかに、俺のがんを治してくれる医者がいるはずだ…。小仲は情報を集め、治療をしてくれる病院を探すが…。
一方の森川は、「死ねと言うんですか」と言われたことをずっと考え続けていた。あの状況で自分がどうすべきだったのか、分からない。自分としては最善の提案をしたはずだ。しかし患者は激昂してしまった。患者の言うように治療を続けることは、医師としての誠意に欠ける。それはしたくない。しかし、治療をしないと伝えることが相手を激昂させることになる。
森川は、その後も多くの患者を診察し、また妻や同僚や上司に話を聞き、がん患者との関わり方について考え続けるが…。
というような話です。

これは凄い作品でした。冒頭でも書きましたが、全国民が読むべき本だと思います。“正しい患者”になるためには必須でしょう。もちろん、医療技術や薬はどんどん進歩していくでしょう。10年後20年後も、この作品で描かれたのと同じ状況であるかは分かりません。しかし、少なくとも2017年現在は、本書で描かれていることが真実なのだろうと思います。

まずこの真実を知ることが一番大切でしょう。

その上で、自分がどう行動するか。それは、あなたが決めればいいことです。

この現実を知った上で、それでも治療をする、というのであれば、それはそれで構わないかもしれません。もちろんそれは、自分の身体に負担を掛けるだけではなく、医療側にも迷惑を掛ける行為です。すべきでない治療を継続することによるそういうマイナスすべてを理解した上で、それでも治療を望む、というなら、それはそれでいいかもしれません。

ただ、本書を読めば、医師の言う「治療が出来ない」ということを受け入れるのが最善の選択なのだということが分かるでしょう。

もちろん、自分の気持ちをどうコントロールするのか、という別の問題は残り続けます。治療をしない、ということは、死を受け入れることと同じです。その決断をする気持ちのコントロールが出来るのかどうか。これは、医学の領分ではないのだろうと僕は感じます。「医学を全うする者」としての医師と、「患者とコミュニケーションを取る者」としての医師をもしうまく分離することが出来れば、問題が少しは解消されるのかもしれない、と思ったりもします。

自分だったらどうだろう、とやはり考えてしまいます。

今の僕は、「死」というものを殊更に恐れていない、と思っている。いや、これはもう少し説明が必要だ。

僕は、「死ぬ」と思ってから実際に死ぬまでの時間が短ければ短いほどいい、と思っている。だから、脳卒中とか事故死なんかで、「死ぬ」と思った瞬間にはもう死んでいるような、そういう死に方をしたい。

これには、二つの側面があると思う。

一つは、「死」という現象を恐れていない、というものだ。「死ぬこと」そのものを恐れていない、という表現も出来る。

しかし一方で、「死に向かっているという状態」に耐えられない、という側面もある。死ぬのはいいが、死に向かっている状態は嫌だから、出来るだけその状態が短い方がいい、という気持ちがある。

もちろん、自分が実際に死に直面したらどう思うのか、それはその時になってみないと分からない。あくまでも、今の自分がどう思うかという判断に過ぎない。そういう、今の僕の考え方で言えば、「治療出来ない」と宣告されることは、ある種の解放に感じられるように思う。

なにせ、治療をしていようがしていなかろうが、自分が「死に向かっている」という事実は変わらない。確かに治療をしている方が、「死から逃れる可能性がある」と思える分、「死に向かっている」という感覚も薄れるのかもしれないけど、僕は悲観的な人間だから、そういう部分に関しては楽観視出来ない。とすれば、「治療が出来ない」と宣告されれば、もう諦めるしかない。その方が、楽になれるような気もしている。

まあ、実際どうなるかは、分からないけどね。

本書を読んで、「死ぬこと」の難しさを改めて感じさせられた。どんな病気になるのか、ならないのか、事故や災害に遭うのか遭わないのか。そういうのはもうすべて運だ。自分でどうにか出来るようなものではない。その無力感と、自分が置かれた状況を受け入れる困難さみたいなものが、「死」というものには否応なしにつきまとうのだな、と感じた。自分は、あまりジタバタしないで死にたいな、と思うのだけど、ちゃんとそんな風に死ねるだろうか。


サポートいただけると励みになります!