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【本】古賀太「美術展の不都合な真実」感想・レビュー・解説

本書は、「美術館」よりも「美術展」がメインで扱われます。もちろん、「美術館」についても話が出ますが、それは「日本の美術展がいかに欧米と比較して変であるか、そしてそのせいで日本の美術館は国際的な評価を得られていない」という形でです。

では日本の美術展は何がおかしいのか。その前に、本書を読んで最も驚いた話を引用しましょう。

【実は本来、美術館同士の美術品の貸し借りはお金がかからないものなのだ】

正直僕は、これに一番驚かされた。僕が驚いたポイントは、「ってことはつまり日本はお金を払ってるんだ」という部分ではなく、純粋に「基本的に貸し借りにお金が掛からない」という部分だ。やはり美術品というのは「文化」の扱いであって、もちろん個人のコレクターが大金を出して買ったりもするんだろうけど、「文化」の担い手である美術館は、お金を取らないということなのだろう。

さて、翻って日本の場合どうかと言えば、日本は海外から美術品を借りるのにお金を払っている。誰が払っているのかというと、美術館ではない。新聞社やテレビ局である。日本では、美術展に「主催」という表記がある。そこに一番に書かれるのが、一番お金を出しているところだ。欧米では、美術展に「主催」という文字はない。美術展を行う美術館自身が企画する以外、ありえないからだ。しかし逆に日本では、美術館自身が企画する方が少ない。少なくとも、世間的に話題になる美術展はほぼすべて美術館主催ではないと言っていいだろう(とはいえ最近は、SNS戦略などで独自の企画展を成功させる森美術館など、例外も出てきているが)。

そして本書の主張は、この新聞社・テレビ局主催の美術展が、日本の美術展のレベルを下げ、美術館が評価されない原因だと指摘する。

本書の16ページに、2018年の世界の展覧会のトップ10のリストが乗っており、日本の美術展は2つ入っている。しかし、どの美術館・博物館に多くの観客がきたのかというリストには、日本の美術館・博物館はランクインしていない。これは、海外の美術館・博物館に行く目的が常設展であるのに対し、日本の場合は企画展である、ということが大きい。日本の場合、企画展ばかりに人が集まり、常設展にさほど人気がないから、上述のような結果となるのだ。

新聞社・テレビ局が主催する美術展は、基本的にメチャクチャ混んでいる。それは、日本の美術展が「収益目的」で行われているからだ。かつて新聞社は、文化事業として美術展を行なっていたが、経営の悪化により、本業の収益を補うつもりで美術展を行なっている。そして、新聞社のそうした様を見たテレビ局や広告代理店が、美術展は儲かる、と判断して参入するようになったのだ。

「収益目的」だから、とにかく人を詰め込む。それは僕自身も感じるところだ。僕は、1年ぐらい前から美術館に行くようになったが、人気になりそうな美術展は基本的に平日に行くことにしている。土日は、とてもじゃないけど混雑ぶりが凄いからだ。しかし、平日でも侮れない。上野の森美術館で行われた「ゴッホ展」は平日でもメチャクチャ混んでたし、東京都美術館で行われた「クリムト展」は、平日2度チャレンジしたにも関わらず、どちらも入場に30分待ちと表示されていて諦めた。

外国では、敷地面積が広いこともあるが、密集した環境で美術品を見るなどということはない。そういう意味で、日本の美術展は、美術品を良い状態で見てもらえる手法になっていない。

また、新聞社・テレビ局は今では、海外の美術館から「カモ」だと思われている。本来的に貸し借りは無料だが、ある時から日本の新聞社が多額の借用料を支払うようになった。海外の美術館は、「メセナ担当」を置くようになり、そういうマスコミからの借り出し依頼に対応するようになった。海外の美術館の学芸員も、本当は直接日本の学芸員とやり取りしたいという。しかし、日本のマスコミのやり方のせいで、間に「マスコミ」と「メセナ担当」が入ることになってしまった。

マスコミが企画する美術展の場合、学芸員がやることはほとんどない。カタログに文章を書くぐらいだが、それさえ外注されることがある。さすがに、国立の美術館の場合は、学芸員や研究員が間に入ってきちんと企画をするらしいが、世の中には国立でない美術館の方が多い。

マスコミが間に入ることで、学芸員の力量を試す場が減る。だったら、すべて自分のところで企画してやればいいじゃないかと思うだろうが、少ない予算ではなかなか人を呼べる企画はできないし、ある程度来場者を確保しないと、公立の美術館であれば行政から非難が来る。そんなわけで、日本の美術館は、マスコミの企画を無視することができないのだ。

また、このマスコミによる企画が生まれた背景には、日本の美術館の成立過程の問題もある。元々西洋の美術館というのは、王族や貴族などのコレクションがあり、それらを保管・展示するものとして生まれた。しかし、欧米に追いつけとやっていたかつての日本には、美術品・収蔵品はないのに、箱モノとして建物だけ建ててしまった。東京都美術館の前身であった東京府美術館がまさにそういう目的で生まれた。この美術館は地方自治体が建てた日本初の美術館であり、そこが「展示会場」のような場だったことから、日本全国に同じような「展示会場」としての美術館が生まれてしまったのではないか、と著者は推測している。

しかし、ある出来事によって、その状況が少しずつ変わりつつあるという。それが、2007年に生まれた「国立新美術館」である。ここは、収蔵品のない、まさに「展示会場」としての美術館だ。しかし、規模が大きい。だから、マスコミが企画する美術展の多くをここで一手に引き受けることができる。2001年より、「国立西洋美術館」「東急国立近代美術館」「京都国立近代美術館」「国立国際美術館」などが同じ組織となり、そこに「国立新美術館」も入った。つまり、「国立新美術館」が稼いでくれれば、それ以外の美術館は自館の収益性をあまり考えずに済む、という状況になったのだ。これにより、他の美術館では、独自の美術展が開かれるような流れが出来ている。

また、「瀬戸内国際芸術祭」を始め、過疎地域に現代美術を常設して人を集めるような手法がよく行われるようにもなった。これは日本独自の潮流であるようだ。また、前述した森美術館のような、独自の戦略でオリジナルの企画展を成功させる美術館もある。マスコミ主導ではない美術展を楽しめる環境が広まりつつあるということだ。

また、ここでは詳しく触れないが、「国立新美術館」が生み出された経緯も面白い。国内でしか通用しない、いわゆる「画壇」と呼ばれる団体の主張が裏にあるという。色々ごちゃごちゃしているが、しかしいずれによせよ、「国立新美術館」が出来たことで、独自の企画展が生まれやすくなった、ということは良いことだ。

著者は、新聞社の文化事業部門や、国際交流基金と呼ばれる団体に長く所属し、自らも多く美術展に関わった。今では美術の世界からは離れていて、個人的に美術展を楽しむ一人だという。著者が、すべての企画展を見ておきたいと思う美術館は、唯一「東京国立近代美術館」だけだそうだ。東京ではそろそろ美術館が再開するだろうから、また時々美術展に足を運ぼうと思う。


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