【映画】「博士と狂人」感想・レビュー・解説

泣くような映画だと思ってなかったから、本当に驚いた。メチャクチャ良い映画だった。

予告でも流れるシーンだが、ある男が「賢人とイカれた男」を自分たち二人について言及した際、主人公が「どっちがどっちだ?」と返すシーンがある。タイトルも含めて考えてみると、このシーンは実に興味深い。

何故なら、どちらも「博士」と言っていいからだ。とはいえ、一方が学士号を持たない独学者であり、一方は殺人犯となった元軍医なのだが。

時に人間の狂気は、凡百の想像を遥かに超える偉業を成し遂げる。万里の長城やピラミッドが、人間の手で造られたというのは、やはり驚異的に感じられる。大英帝国は一時期、世界の大半を支配下に置き、科学技術が月へと人間を運んだ。エベレストや北極点に初めて行き着いた者も、空を飛べると信じた人間も、狂気の塊と言っていいだろう。

【常識から外れた生き方を認めてほしいのです。
自分らしく生きることを罰しないでほしいのです。】

大半の人は、「当たり前」とか「普通」の範囲内にいて、狂気へと踏み出すことはない。そして人間の社会は、集団から外れるような狂気を、排除する歴史を積み重ねてきた。しかし、彼ら偉大な狂気がなければ、未来の世代の「当たり前」や「普通」は生まれなかっただろう。

僕らが当然だと思い込んでいる様々な事柄には、最初にそこへと踏み出した狂気が常に存在している。人類が当たり前のように使ってきて、不自由なく扱えている「言葉」を、整理して定義して記録するなどという尋常ではない仕事に乗り出そうというのもまた、狂気の賜物でしかない。

だからこそ、どちらも「賢人/博士」であり、どちらも「イカれた男/狂人」なのである。

183万の引用例と、41万4000語を収録した、オックスフォード英語辞典の初版12巻は、編纂開始から70年を経てようやく完成したという。その誕生の背景に、これほど悲惨で、これほど愛に満ち溢れた物語があったとは、本当に驚かされた。

内容に入ろうと思います。
スコットランドの仕立て屋の息子で、生きていくために14歳で学校を辞めながら、独学で世界中の言語を学び、精通することになった言語学者マレーは、オックスフォード大学の教授たちを前に熱弁を奮っていた。オックスフォード大学では、英語の辞書編纂を進めてきたが、常に変化する言葉を追いかける闘いに「絶望的な敗北」を喫しており、新たな一手が必要だった。その一手として、期せずして選ばれることになったマレーは、ありとあらゆる英語のこれまでの意味の変化を変遷を追いかけつつ、定義し収録するという膨大な作業に取り掛かることになった。マレーには秘策があった。それは、世界中の英語を話す人々に、辞書に載せてほしい単語と、それが載っている本の引用を送ってほしい、と呼びかけることだった。世界中の無数のボランティアの力を借りて、学者たちだけでは成し遂げられなかった辞書編纂を完遂させようと意気込んでいた。しかし、「A」から始まる単語の収集、整理、意味の変化の追跡だけでも信じがたいほどの作業量で、先の見え無さに頭を抱えていた。
一方、アメリカ軍の元軍医というエリートでありながら、刑事犯精神病院に収容されているマイナーは、ある男が自分を襲撃に来るという妄想に囚われていた。彼はある日、物音で目を覚まし、襲撃者に居場所を察知されたと思い、銃を手に外に出た。そして、通りかかった人物を襲撃者だと勘違いし、射殺してしまう。他の患者と同等の扱いをされていたマイナーだったが、ある日病院内で事故が発生し、病院スタッフが重症を負った。たまたま傍にいたマイナーの適切な処置によって一命を取り留め、以後マイナーは、仲間を救った恩人として、病院内で特別な扱いを受けるようになる。
そんな折マイナーは、スタッフからクリスマスプレゼントとしてもらった本の中に、辞書編纂のために単語を収集しているという案内を見つける。その案内文に感化されたマイナーは、病室に様々な本を取り寄せ、様々な書物の中から適切な単語と引用例を抜き出すという作業に没頭することになる。
マイナーからの単語リストが届くと、沈鬱していた辞書編纂室は活気を取り戻した。マイナーのリストは、辞書編纂チームがまさに欲していた欠損分を見事補うものだったのだ。マイナーの協力のお陰で、マレーはついに「A」と「B」から始まる単語の編纂を終え、出版にこぎつけることとなる。
マイナーとの文通によって友人となったマレーだったが、やがて「殺人犯が辞書編纂に関わっている」ことが明るみに出ることとなり、窮地に追い込まれるが…。
というような話です。

これは素晴らしかったなぁ。原作となる本が出版されてて、気になっていたのだけど読んでいなかったので、映画化されると知って絶対に観ようと思ってたのだけど、思ってた以上に良い映画だった。

内容紹介にはうまく含められなかったのだけど、この映画の中で最も素晴らしいのは、殺人を犯したマイナーと、夫をマイナーに殺された未亡人であるイライザの交流だ。これが本当に素晴らしい。正直「辞書編纂」が映画の核だと思って観ていたので、全然違うところに核があったと知って驚いたし、凄く良かった。普通にはありえない交流だろうが、イライザの変化、そしてイライザと交流を続けるマイナーの葛藤が非常に人間味があって、彼らの関係性に惹き込まれてしまう。これが物語だったら、ちょっと安っぽさを感じてしまったかもしれないが、脚色はあるにせよ大筋では事実だろう。大筋で事実だとすれば、細部はともかくとして、ちょっと凄い。

イライザからすれば、最も赦し難い人間のはずで、当然最初は関わりを拒んでいた。何が彼女を変えたのかははっきり分からないし、分からないままでいいと思うけど、赦し難い相手を赦す過程で、双方が抱えていただろう葛藤みたいなものが伝わってきて、良かったなぁ。

そして、この二人の交流が、色んな意味で辞書編纂に、そしてマレーとの関係性にも影響を与えていくことになる。特に、マイナーが殺人犯であるという点について、マレーはまったく気にしていなかったが、やはりその衝撃は大きかった。特に、妻の反応には堪えたんじゃないだろうか。しかしその妻も、絶妙なタイミングで夫を擁護する。カッコイイ。マレーもマイナーも、狂人であり賢人であったかもしれないが、いずれにせよ、周囲の人間のサポート無しには成し遂げられなかった偉業であったことは間違いない。

人間が人間らしく生きていくためにどうあるべきか、改めて考えさせられるような映画だった。

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