【映画】「十二人の死にたい子どもたち」感想・レビュー・解説

面白い映画だった!

いつ死んでもいいや、と割といつも思っている。昔からだ。少なくとも今は、すぐに死にたい理由は特にない。とはいえ、生きていたい理由が何かあるわけでもない。

昔はあったなぁ、死のうと思ってたことが。僕の中では、真剣に考えていた。別に、客観的に見れば、それほど辛いことがあったわけではない。健康だし、いじめられてたわけでもないし、勉強は出来たし、友だちもいたし、別に人生に対して悲観するようなことは、少なくとも客観的に見た場合にはなかったと思う。でも、僕の主観的には、うまくやっていけるとは思えなかった。これからの人生、なんとか生きていけると思えるだけの気力が、僕にはなかったのだ。そして、その時の僕には、それは積極的に死ぬ理由だった。屋上の縁で片足立ちする、みたいなところまでやってみたんだけど、やっぱり自分では死にきれなかったなぁ。

だからこの映画の設定のように、「みんなで死のうとする」っていうのは、分かる気がする。一人で死ぬのは、なかなか難しい。なんというのか、自分の決断一つで止めれてしまうから。自分を強く強く押し出す何かがないと、自分ひとりでは死ねない。そういう意味では、みんなで死のうとするというのは、迷いがあるということなんだと思う。迷いがなければ、つまり、死ぬための理由が明確で強烈であれば、きっと一人で死ねる。けど、そうじゃないから、誰かと一緒に死のうとする。自分の決断では後戻り出来ない環境に自分を追い込みたいからだ。

迷いがあるなら、生きることを考えるべきじゃないのか、なんて意見もあるのかもしれないけど、僕にはそうは思えない。死のうとする者を引き止める言葉として、「死ぬのなんかいつでも出来る」というのがあるけど、あれは嘘だと思う。いつでもは出来ない。一人で死ぬためには、自分を押し出す強力な何かが必要だし、時にそれは瞬間的にしか結実しない。一方、誰かと死ぬためには、それこそ「いつでも」なんて無理だ。だから、死ぬ誘惑に取り憑かれた者が、その時死ぬしかない、と思いつめる気持ちは分かるし、それを止めるのに、「死ぬのなんかいつでも出来る」なんて言葉はなんの意味もなさない。

僕は、自分も死にたいと思っていた側だし、そういう人に結構会っても来た。もちろん、自分が、そして相手がどれだけの強さで死にたいと思っているかなんて、誰にも分からないし、比較出来ない。だから、その「死にたい」という感覚がどの程度のものなのかについてはなんとも言えないけど、程度はともかく、そういう人は結構いる。そしてそういう人は、結構、社会の中でごく当たり前のように生きている。友だちがたくさんいるように見えて、いつも笑っているように見えて、人生楽しそうに見える人だって、内側はしんどくて、毎日死にたいと思っている、なんて人だっていた。

だから僕はいつも思う。僕の隣で笑っている人や、レジでちょっと喋る人や、テレビの向こう側で楽しそうにしている人が、何を抱えているかなんてわからないし、そういう人たちがいつ死んでも、まあおかしくはないだろうな、と。

誰の言葉だったか、ちゃんと覚えていないけど、「死にたいと思ったことがない人とは友だちにはなれない」って、誰か有名人的な人が言っていたのを何かで見聞きした記憶がある。それを見て、分かるなぁ、と思った。僕も、たぶんそうだと思う。死にたいと思うというのは、死ぬことを軽視しているわけでも、想像力がないわけでもない。僕の感覚では、「生きていること」と「死ぬこと」はセットで、生きている以上死ぬことを考えるのは当然だ、ぐらいの感覚がある。だからこそ、生きているのに死ぬことについて考えたことがない人というのが、どこか欠陥のある人間に見えてしまうんじゃないかな。

「どうして死にたいのか」と考えることは、「どうして生きたくないのか」を考えることであり、つまりこれは逆説的に「どうして生きたいのか」を考えることに繋がっているのだ。「どうして死にたいのか」と「どうして生きたいのか」は両面だ。それはきっと、この映画のメッセージでもあるはずだ。

内容に入ろうと思います。
子どもたちが、とある廃病院に続々と集まってくる。そこでは今日、「集い」と呼ばれる集まりが開かれる。集まる子どもたちは皆、死にたいと思っている。そう、集団自殺だ。廃病院の地下に12時までに集まり、そこで全員一致で死ぬことを決定し、自殺することになっている。
「集い」の部屋に入った彼らは、ベッドの上で死んでいる少年を発見する。理由は分からないが、12人の内の誰かが先に死ぬことを決めてしまったみたいだ。まあ特に問題はない。残りの11人で決を取ればいい。そして、11人目が入ってきたところで、ドアを閉めるように言ったその時…。
主催者だというサトシと名乗る男が部屋に入ってきた。11時に鍵を開けてから正午まで、病院内を巡回していたという。彼は、自分も含めて12人が参加者であると語った。
では、1番のベッドで寝ているこの少年は、一体誰なのか?
便宜上「ゼロバン」と呼ばれることになった少年を巡って、議論が紛糾する。自殺するかどうかの決を取る際、一人が反対したのだ。こんな誰かも分からないような死体がある中で、みんな死ねるっていうのかよ、と。
その後、その少年の死が殺人である可能性が示唆されると、別の者も反対に回った。「ゼロバン」が殺人だと警察が見抜いたとしたら、この部屋で死んでいる全員が誰かに殺されたとみなされる可能性もある、という説を提示したことがきっかけで、自殺でなければ困るという者が反対に回ったのだ。
実行は、全会一致が原則。そこでとりあえずサトシは、状況を把握するために、廃病院の中の捜索を提案する…。
というような話です。

面白い映画だったなぁ。お見事でした。ミステリ的な観点からすれば、この映画で描かれていることの色んな部分に謎に関わる伏線が散りばめられているので、あんまり物語について触れられないですが、なるほどなぁ、よく出来てるなぁ、という感じでした。

まずとにかく、設定が超秀逸ですね。死にたいと思って集まった面々の前にあらわれた殺人死体、それ故に彼らは自殺出来ない状況に陥っている、なんていうのは相当イカれた状況だと思いますけど、この設定が、今の時代感覚(若い人が自分の命をそこまで大切にしていないような感じ)とか、「ちゃんと死ぬために謎解きをしている」という違和感なんかが絶妙に現れる感じで、メチャクチャ良かったと思います。

あと、これは受け売りですけど、「十二人の~」というのは会話劇の名作によくあるタイトルです。「十二人の怒れる男」とか「十二人の優しい日本人」とか。どちらも見てませんが、恐らくこの本(原作は小説です)は、それらを意識して「十二人の~」とタイトルを付けたんだろう、みたいなのを何かで目にしました。

この映画も、基本的には「病院内」で「会話ベース」で話が進んでいきます。過去の回想のシーンがあったりもしますけど、基本的には「場面固定の会話劇」というようなスタイルです。それで、これだけ二転三転する物語を展開できるのは見事だなと思いました。

あと、個人的に面白いなと思ったのは、橋本環奈です。橋本環奈は、この映画の中でもアイドルという役で登場するんですが、「私なんて、大勢の大人が時間とお金を掛けて作った商品よ!」みたいなことを言ったりします。たぶんこれは狙ってやってるんだろうけど、「橋本環奈」と「リョウコ(リコ)」の重ね合わせみたいなものが面白いと感じました。

面白い映画でした!

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