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【本】額賀澪「拝啓、本が売れません」感想・レビュー・解説

以前テレビのバラエティ番組を見ていて、面白いなと感じた発言がある。
とあるお笑い芸人(FUJIWARAのフジモンか、千原兄弟のせいじのどっちかだったと思うんだけど)が、テレビ番組の中で、テレビを見る人が減っている的なことを発言したり特集したりする意味ってある?と言ったのだ。

つまりこういう意味だ。テレビというのは当たり前だけど、テレビを見てくれている人に向けられている。その人たちは、テレビを見てくれているぐらいなのだから、まったく見ない人から比べればテレビに好意的だといえるだろう。そういう、テレビに好意を持ってくれている人に向けて、わざわざ「テレビって今あんまり見られてないんですよねぇ」なんていうネガティブな発信をする意味なんかあるんか、という問題提起だったのだ。

なるほど、と思った。確かにその通りだな、と。確かにテレビは今、時代から取り残されつつあるかもしれないけど、それでもちゃんと見てくれている人はいるわけだ。だったらその人たちに、テレビというもののネガティブな情報ではなくて、もっとテレビを見ようと思ってもらえるようなポジティブな情報を届けた方がいい、という判断は、なるほどもっともだと思った。

さて、この流れだと、本書のことを悪く言いそうだと予想するだろうが、ちょっと違う。

前述の発言には確かに納得したが、それは「テレビが見られていない」という情報が、ただ情報である場合だけだ。例えば、ニュース番組の中で、「ここ20年間のテレビの視聴動向の推移は~」みたいな、データだけ引っ張り出してきて「テレビが見られていない」という事実を提示するようなものは、まあ無意味だなと感じる。たとえばそれが、「じゃあどうしたらもっとテレビを見てもらえるのか」という議論の前フリなのであれば、何の問題もないだろう。

本書にも、似たようなところがある。

本書の中で、著者の額賀澪は、しきりに「本が売れない!」と言う。まあ、確かにそうだ。そうだし、そういう声は色んなところから聞こえてくる。僕も書店で働いているので、そういうのは分かるつもりだ。人によっては、別に何をしているわけでもなく、ただ「やばいよやばいよ~」と言ってうろたえている。あるいは、特に何もしていないのに「何で売れないんだ」と怒っていたりする。そういう人が、本というメディアを通じて、「本が売れない!」と言い続けていれば、冒頭のようなケースになるだろう。

しかし本書の場合、著者の額賀澪は、本を売るために奮闘する。「小説を書く」という形で「出版」という大きな流れに関わる著者であるが、それまでは「小説を書く」ということの周辺しか知らなかった(見えていなかった)。本書の内容紹介もまだ碌にしていないのにこんな風に内容に突っ込んでいってもあまり理解できないだろうが、本書では、「小説を書く」人である著者が、「小説を書く」以外の部分を積極的に知り、理解し、自分に引きつけて出来ることがないかと考え、実行するというスタンスが明確にある。実際にそれがどういう結果を生むことになるにせよ、やはり行動を伴っている人間には説得力もあるし、納得が出来る。


本書は確かに、「本」というメディアを通じて「本が売れない!」とひたすら連呼する内容ではある。しかし、本書で繰り返される「本が売れない!」は、現状を打破するための自らへの叱咤であり、具体的な行動への道筋を掴むための建設的な自虐である。

内容に入ろうと思います。
額賀澪というのは小説家なのだが、本書は小説ではない。恐らく、小説以外の本を出すのは初めてなのではないか。本書は、ライトなノンフィクションである。エッセイ寄りノンフィクションという言い方をしてもいいかもしれない。
小説家・額賀澪は、自ら「平成生まれの糞ゆとり作家」と称する。生まれた時にはもう不景気で、ゆとりゆとり言われ続けてここまできたと書いていて、そんな自分は作家になっても、ゆとりらしく悲観丸出しである。「大丈夫」と「ヤバい」は紙一重であり、すべてのものは少しずつ悪くなっていくと捉えており、そういう中で、デビューからなかなかに恵まれた新人作家としてここまでやってこれたとはいえ、いつまでもこんなことは続かないし、自分の小説が売れているという強い実感も持てないし、でも多くは望まないから小説を書いてなんとか暮らしていきたいと思い、一念発起。本を売るためには、売れる本を書くためには、本が必要とする人のところにきちんと届くには、一体何が必要で自分に何が出来るのか見極めようではないか―。
というようなところから本書の構想が生まれている。
小説家・額賀澪は、「小説を書く」以外の形で本に関わる人たちの元を訪れる。編集者、書店員、webコンサルタント、映像プロデューサー、装丁家などだ。
額賀澪は彼らに、本(あるいは売るべきもの)を届けるためにしていることや、映像化や書店店頭での仕掛けなどに「選んでもらう」ための要素など、様々なことを取材する。そうした中で、「小説を書く」人として自分がすべきことをもう一度客観的に見極め、出来ることは全力でバリバリやっていくぞー!
という意気込みに溢れた作品である。

どう読むか、というスタンスによって大分評価が変わりそうな本ではあるが、僕は結構面白く読んだ。

僕は本書を、「情熱大陸」や「仕事の流儀」的な読み方をした。要するに、小説家・額賀澪自身も含め、本書に登場する「仕事のプロフェッショナル」たちの、仕事への向き合い方や考えていること、そしてそれらをいかに言語化するのか、という部分に着目して読んだ。つまり僕は本書を、「本」や「出版」というようなフレームの中で読まなかった。だから面白く読めたのだろうと思う。

例えば本書を、「額賀澪の新作」として読んだ場合、評価は高くはならないだろう。それは、本書の中でも指摘されている。取材に同行している担当編集者が、「この本は額賀澪のファンが読んではいけない本だ」というような発言をしているのだ。確かに、僕もそう思う。

また、「本」や「出版」というフレームの中で本書を読んでも、あまり面白いとは思えないかもしれない。日々本を売っている立場として感じるのは、まだまだ「本」というものを「純粋なもの(という表現はちょっと変だが)」と捉えてくれている人は多いのだな、ということだ。そしてそういう人が、文庫ではなくいわゆるハードカバーの本を買っていってくれるのだろう。そういう人たちは、「本の製造工程」や「本作りへのこだわり」的な意味での舞台裏は知りたいと思うような気はするけど、本書はそういうタイプの本ではない。最初から最後まで「いかに売るか」という部分に特化した作品で、「本」を「純粋なもの」と捉えている人には、そういう舞台裏はあまり望んでいないような気もする(あくまで想像だけど)。


いくつか読み方に触れてみたが、そういう意味で本書は、どういうスタンスで読むのかによって大分評価が分かれそうだと思う。

プロフェッショナルたちの働き方、という読み方をする場合、面白い描写は結構たくさんある。過去編集を担当した作品の累計発行部数が6000万部を超えているというスーパー編集者は、「誰に向けて本を作るのか」「『アニメ化しにくい』とはどういう意味か」「売れる作品に一番必要なのは何か」などについて、非常に明快でかつ面白い切り口の捉え方をしている。特に、「ライトノベル」というジャンルを「電車の行先表示のようなもの」と表現する感覚は、僕も共感できるし、その本がどう捉えられているのかという意識なしに本は売れない、という僕自身の感覚にも合うなと感じた。

また本書には、川谷康久という装丁家(というのとはちょっと違うんだけど、呼びやすいのでこう呼ぶ)も登場する。額賀澪が川谷康久氏を知ったのは、「月刊MdN 2017年12月号」の「恋するブックカバーのつくり手、川谷康久の特集」だったのだけど、実は僕もこの雑誌を読んでいた。「アオハライド」を始め、見れば誰もが知っているような作品(少女コミックが多い)の表紙を手がけている川谷氏は、デザインのド素人である僕が見ても分かるぐらい特徴的でインパクトがあるし、もしかしてこれ川谷康久の表紙かな、と思って確認してみると実際にそうだったことがあるくらい、記名性があるようなデザインをする人だ。

結果本書は、その川谷康久氏に装丁を担当してもらえることになったようだ。川谷氏の表紙は、絵と文字が一体となっているような不思議な印象を与えるものが多く、やはり本書の表紙もそういうイメージを与えるものになっている。

「月刊MdN」を読んだ際、「1日に1つ本の表紙を仕上げる」みたいなことが書かれていた。今や超売れっ子になった川谷氏は、恐らく超絶的に忙しいはずなのに、本書の描かれ方的にはそんな雰囲気をまったく感じさせない。もちろん、額賀澪の書き方一つで印象などは変わるだろうが、恐らく本書に書かれているような印象の人なのだろう。担当した本の発売初週の売上を気にするなど、売れっ子とはいえ自分の仕事に対する捉え方がシビアであるところなど、非常に面白かった。

「装丁」と言えば、話はいきなり変わるが、先日「装丁、あれこれ」(桂川潤)という本を読んだ。「装丁」に軸足を置きながら様々な話題を論じる作品だったが、その本の感想の中で、書店員としての自分の仕事のスタンスみたいなものをふわっと書いた。

ここでも少し書いてみよう。

担当著作累計が6000万部を突破した編集者は本書の中で『僕は創作物に面白くない作品は一つもないと思ってるんです』と語る。

僕も、まあ近い感覚を持っている。自分に合う作品、合わない作品というのはあるが、作品そのものがダメ、と感じるケースは非常に稀だ(もちろん、まったくないとは言わないが)。

そういう前提に立つ時、こういう課題を捉えることができる。それは、「その本の、どの面白さを押し出すべきか」というものだ。

僕はこの作業を「変換」と呼んでいて、本に限らずだろうけど、モノを売る場合に最大限しなければならないことだと思っているし、僕自身の今の仕事のベースの考え方でもある。

「その本の、どの面白さを押し出すべきか」というのは、もう少し噛み砕いて言えば「誰に売るか」ということだ。その本を面白いと感じる人はどこかにはいるはずで、じゃあその人が面白いと感じるようにどう「変換」すればいいのか、ということが考えるべき課題になる(もちろんその過程で、「売るべき対象をどう絞るか」という問題もあるが、まあとりあえずここでは触れない)。

「終わった人」(内館牧子)という小説がある。主人公は定年したばかりの男で、仕事人間だったが故にやることが何もない。あまりにも暇だが、他の老人と同じようなことはしたくないという妙なプライドはある。妻は、専業主婦だったのにある時突然美容師の免許を取り、今でも近くのサロンで働いている。自分だけが暇。どうしたものか…。
というような小説である。

普通に考えればこの小説を届ける対象は、主人公と同年代の人たちということになるだろう。分かる分かる、と共感してもらえるポイントは多いはずだ。しかし、よりたくさん売る、ということを考えた時、それだけでは弱い。より多くの人に届けられないか?

僕は本書を読みながら、この本は若い人が読んでも面白いと感じるだろう、と思った。というのは、この主人公というのは、バリバリ働きまくってサラリーマンとしてはかなり大成功を収めつつあったが、結局出世競争で敗れてしまった人物だからだ。そのまま出世競争を勝ち抜ければ、また違った老後になっただろう。しかし現実は厳しい。出世競争から脱落したことで、これまで会社員として猛烈に働いてきた、という功績は、老後にほとんど活かされることがないのだ。

こういう小説を、大学生・就活生・今働き始めたばかりの若者たちが読んだら、「働く」ということの捉え方がまた一つ変わるのではないか、と感じたのだ。もちろん、今の若い世代は、「働く」とか「老後」とか、そんなことにあまり重きを置いていないだろうけど、フィクションとはいえ、猛烈に働いた末こんな人生が待っているのだ、という実例を知ることで、働き方・生き方を考え直すきっかけになるだろう。


そう思って、上記のようなことを短く書いたPOPを作り、大学生・就活生・今働き始めたばかりの若者に、「この本は自分のための本だ」と感じてもらえるように「変換」した。

さて、長々と脱線したが、翻ってじゃあ本書の場合はどうか、と考えてみよう。

本書は、普通に捉えれば次のようなターゲットに向いている本だろう。
【売るためのモノを作り、それを売るための努力をしている人、あるいはしたいと思っている人】
では、そういう対象からまったく外れた人たちにも「この本は自分のための本だ」と感じてもらえる「変換」は出来るだろうか?

例えば、本書のターゲットではない人として、上記の対象とは真逆の人たち、つまり「専業主婦」や「お年寄り」を想定してみよう。彼らは、売るためのモノを作ったり、それを売るための努力をしていない人が多いだろうから、本書がそもそも想定する読者とはかけ離れているはずだ。

例えばそういう人向けに、こんなPOPはどうだろう?

【先日芥川賞を受賞した「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子)は、過去の芥川賞受賞作品の中でもダントツで売れているようです。若竹さんは年配の専業主婦の方です。業界に伝手があったわけでも、インターネットの凄い知識を持っていたわけでもありません。じゃあどうしてこれほど爆発的に売れる本を書くことが出来たのでしょう?
本書を読めば、小説というものがいかに文章「のみ」で勝負出来る、稀有な分野なのかということがよく分かることでしょう。】

普段POPのフレーズを考えるほどには真剣には考えていないのでこんな程度のものだけど、一応、本書がメインターゲットとする人以外に向けて「変換」出来ている内容になっているんじゃないかな、と思う。

本書の随所で登場する発言だが、売るためには何よりも面白い本でなければならないのだ。それはまあ確かにその通りなのだけど、「面白さ」というのは、見えやすさ・伝わりやすさ・感じやすさみたいなものが様々だ。だからそれらを見えやすくする、伝わりやすくする、感じやすくする、という方向性もまた、売るための一つの努力だろう。本書の内容とは直接的には関係のない話を書き連ねたが、一応僕も業界の末端にいる身としては、「売る」という部分にどうアプローチ出来るのか日々考え行動しているのだ、ということを書いておきたかった。

本書には、ある書店員の言葉として、『だってさー、プルーフ(※発売前に書店員などに配られる見本のようなもの)を配ったって、読む側は<いいコメント>しか書かないし、配る側も<いいコメント>しか求めてないでしょ。<何でも褒めるだけ>の風潮が蔓延してるんだよ』と書かれている。僕は、書店員としては結構珍しいタイプだと思うけど、ダメだったら(自分に合わなかったら)そう正直に書く。作家さんがその感想を目にする可能性があることがちゃんと分かっていて書くのでなかなか緊張することもあるが、でもそうしないとダメだよなぁ、といつも思って書いている。そういう発言をすることで、届けるべきターゲットについての話をすることも出来るし(自分に合わないから、こういう人に勧めた方がいい、というようなこと)、また、自分が書き手側だったらそういうネガティブな感想も欲しいと思うタイプなので、すべての人にではないだろうが、需要もあるはずだと思って書いている。

本書には、著者の次回作の冒頭(本書の出版社とは別版元から出版される予定)が巻末に掲載されている。こういう試みは良いと思うし、というかこれに近いアイデアを、僕はもう大分前から色んな人に言い続けてきた(僕は、ベストセラー作家の新刊の巻末に、新人作家の小説の冒頭部分を載せちゃえばいい、とずっと言い続けていた)。うまく行くのかは分からないが、うまく行くかどうかなんてやってみなければ結果が分からないんだからやるしかない。

あと、あとがき(というか、『「拝啓、本が売れません」をここまで読んでくださった方へ』という文章)が結構良いので、本書のことがなんとなく気になった方は、とりあえずあとがきだけでも読んでみたらいいと思います。



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