【映画】「君が世界のはじまり」感想・レビュー・解説

いやー、思いがけず、メチャクチャ良い映画だった!正直、まったく期待してなかったから、思いがけない掘り出し物だった。


自分の力ではどうにも出来ないことって、世の中にはある。正直、今の世の中なら、お金を出したりテクノロジーを駆使したりすれば解決することは多い。容姿は整形できる。性別も変えられるし、性別を変えずともマイノリティのまま受け入れられる余地は少しずつ出てきた。先天的な病気に関しても、遺伝子治療が可能性を広げているし、障害は様々なテクノロジーでクリア出来る場合もある。

それでも、家族とか出生とかは、自分の力ではどうにも変えられない。これは、「家族」や「出生」というものの概念の方が根本的に変わらない限り、変化はないだろう。たとえば将来的に、「子供を産む」という行為が工場で管理されるようになり、「産んだ人=子供にとって最も重要な人」という概念が崩れるかもしれない。しかし、そういう激変でもない限り、家族や出生は、これからも人々を悩ませ続けるだろう。

両親が離婚していないか、借金など抱えていないか、子供を愛せる人か、ギャンブルやお酒に依存してしまう人か、将来的にリストラされてしまう人か、浮気する人か。都会に根を下ろしているか、地方に根を下ろしているか。こういうことは、子供にはどうにもならない。選択権はそもそも存在しない。強制的に、生まれてきてしまったその環境を、全面的に享受する以外にない。

本当にそれは、残酷なことだなぁ、といつも思う。僕自身は、一般的に見て酷い環境に生まれ育ったわけではないから、僕自身の実感として存在する感覚ではないのだけど、様々な環境で生きてきた人の話を見聞きする度に、そう感じる。

僕は、結婚をするつもりもなければ、子供を育てたいとも思っていない。僕にはどちらも、絶望的に向いてないと思っている。という話をすると、たまにこういうことを言われる。

「でもさ、向いてるかどうかなんてさ、やってみないと分かんないじゃん。だから、そういう機会があったら、一回やってみたらいいんじゃない?」

こういうことを言われる時、僕は内心苛立っている。それは、「そんなこと、お前が勝手に決めるんじゃねぇよ」というような苛立ちではない。そうではなくて、「そういう発想の人がたくさんいるから、辛い子供が世の中に山程いるんじゃないか?」と思ってしまうからだ。

一応、そういう意見を僕に言う人への擁護も書いておくと、そういう人は、「子供と接すれば誰だってその可愛さを理解できるし、そのチャンスを経験もしないで放棄するのはもったいない」という、非常にポジティブな気持ちで言っている。そのことは、もちろん理解している。僕ももちろん、そう信じられるならそう信じたい気持ちはある。今僕は、結婚していないし、子供と接する機会があってもそれは自分の子供じゃないから興味が持てないだけなんだ、と。

でも、そう信じるのは無理だ。何故なら、世の中には、虐待やネグレクトをする親がたくさんいるし、そこまで酷くなくても、子供目線で「とても良い親とは思えない」というような大人がたくさんいることを知っているからだ。そういう存在がごくごく僅かなのであれば、僕だって信じられるだろう。自分の子供じゃないから可愛いと思えないだけなんだ、とか。でも、あらゆる自治体に児童相談所があって、そしてそこの業務の手が回らないくらいの状況にあるということは、世の中には虐待やネグレクトがはびこっているし、であれば、児童相談所が担当する案件ではないレベルの問題はさらにたくさん起こっている、ということになるだろう。

世の中がそんな状態で、どうやったら信じられるだろう。自分に子供が出来たら、きっと愛せるはずだ、などと。

僕は正直、子供を育ててはいけない人というのはいると思う。そして、僕自身はそちら側に分類されると思っている。その自覚が正しいかどうかはともかくとして、問題は、「子育てをしてはいけないタイプの人なのに、子供を持つまでそのことに気づかない」という状況ではないか。そしてその根底には、先程のような、「自分の子供だったら可愛いって思えるって」とか「向いてるかなんて分かんないんだからやってみたらいいよ」というような楽観的な考え方なんだと思う。

人生の大半のことは、失敗したっていいし、放棄したっていいと思う。失敗を恐れていたらチャレンジは出来ないし、自分ひとりが何かを放棄したって、それなりに世の中は回っていくものだ。でも、子育てに関しては、失敗はともかく、放棄はしてはいけないと思う。新しい命をこの世に誕生させるということの重みは、どれだけ重く捉えても重すぎない。絶対に放棄してはいけないし、可能な限り子供に不快ではない環境を与え続けなければダメだと思う。

【自分だけ自由になりたいなんて、そんなんで人に優しくできるのかな?】

子供の頃にこんな風に感じてしまう、その経験そのものを否定するつもりはない。そういう痛みが、大人になった時に大きな何かに変わるかもしれない。だとしても、こんなこと、子供に思わせない人生の方が、絶対にいい。

内容に入ろうと思います。
高校生の縁(ゆかり)は、校内随一の優等生だが、いつもつるんでいるのは、テストでクラス最低点を取り、スカートの長さを指導する教師に暴言を吐き、授業をさぼってタバコを吸う問題児・琴子だ。琴子は感情をストレートに出し、騒いだり叫んだり笑ったりと大忙しで、縁とは真逆の性格なのだけど、二人はいつも一緒にいる。琴子は縁のことをいつも「エン」と呼んでいる。
同じ高校に通う純は、学校に友達はいるけど、なんとなくいつも時間を持て余している感じで、家に帰りたくなくて寄っている地元のショッピングモール「Bell Mall」に入り浸り、イライラが頂点に達しそうになると、ブルーハーツの「人にやさしく」を聴く。ある日彼女は、ショッピングモール屋上の駐車場の車の中で、同級生の男子がキスしているのを見かける。聞けば、父親の再婚相手である母親だという。二人はお互いのことをよく知らなかったけど、時々セックスをするようになり、また、ショッピングモールの地下で働く母親が裏口から入るのを見たことがあるとかで、閉館後のショッピングモールに忍び込んだりする。
立入禁止の場所でタバコを吸っていた琴子と、一緒にいた縁は、その建物で一人の男子生徒に遭遇する。泣いていた。そして、彼が立ち去ったあと、琴子は決意をする。その時付き合っていた8人目の彼氏と別れ、後に業平くんだと名前が判明したその彼を追いかけることになる…。
というような話です。

自分で書いておきながら、この内容紹介だと、なんとなく「キラキラした学園モノ」って感じになっちゃうなぁ、と思う。でも、実はこの点がこの作品の肝かな、とも思っている。映画全体は、正直、ハッピーオーラに包まれているわけではなく、全体的には暗めのトーンで進んでいく。冒頭こそ、「マンガ原作を映画化した作品」みたいな楽しげなテンションで進んでいくけど、途中から、画面全体に微妙にモヤがかかったみたいな、絶妙などんより感がにじみ出てくる。

ただ、この作品の場合、「キラキラ感の残滓」みたいなものもちゃんとあって、それで全体的にバランスが取れているような感じが凄くする。どういう部分から「キラキラの残滓」を感じるのかというのはうまく説明できないのだけど、絶妙などんより感の中に、僅かにキラキラの残滓を感じることで、僕のような37歳のオッサンでも良いって思えるような映画に仕上がっていると感じる。

その「キラキラの残滓」の一翼を担っていうのが、琴子だろう。琴子はマジでめちゃくちゃ好きなキャラだった。はっきり言って、近くにいて関わったら、ちょっと疲れそう。でも、ずっと遠目で見ていたいなぁ、というような吸引力がある。校内一のモテ男である岡田が琴子を見て、「あの人って、なんかちゃうよなぁ」とボソって言う場面があるんだけど、メッチャわかると思った。なんというか、何かのラインをひらりと飛び越えているような軽やかさがあって、凄く羨ましい。もちろん彼女にも、自分では振りほどけない重りみたいなものがあって、その軽やかさは、苛立ちとかどうにもならなさみたいなものを原動力にしているのかもしれないけど、それでも、目の前のくだらないつまらないやってらんない日常を、軽やかに舞っている感じは凄くいいなぁ、と思う。

この感想の冒頭で、家族とか出生の話をあれこれ書いたけど、映画の中でそれらはさほど明確には描かれない。それぞれみんな個別に色々あるんだけど、それらはなんとなく想像できるという程度にしか描かれないので、具体的にどういう状況なのかということがはっきり分かるわけではない。それらはこの映画の中心にあるわけではないのだけど、でもやっぱり、家族や出生が違っていたら、こういう高校生・高校生活にはなっていないんだろうな、という風に感じさせられる世界観で、物語においては無視できない要素になっている。

その中で、かなり屈折していると感じるのは縁だ。というのも、縁だけは、家族や出生の悩みが皆無だからだ。縁の家族についてはちょっと描かれるだけだが、広い家に住み、家族の仲が良く、縁自身も成績優秀だ。しかし、そのことは逆に、彼女にとっての重しになっている。具体的にそう描写される場面はないと思うけど、僕はそう感じた。

というのは、周りの人の苦労を知ってしまうからだ。家族や出生に問題を抱えている人のことを見てしまうからだ。そういう時、縁は、何も言えなくなってしまう。自分が、苦労している側ではないから、何を言っても言葉だけの、上辺だけのものになってしまうと彼女自身が感じてしまう。

映画の中で、教師が生徒に向かって、こんなことを言う場面がある。「お前たちが日々辛い環境にいることは先生知ってる。全部分かってる」。でも、泣きながらそう言う教師の言葉は、生徒にはまったく響いていないし、白けている。まあそうだろう。そして縁は、そういう立場に、つまり、自分が何も分かっていないのに分かっている側になりたくない、と感じているんじゃないかと思う。

37歳のオッサンがこんなことを言っても説得力はないけど、この映画ではそういう、「些細な言動でも致命的な何かが伝わってしまうことが分かっている世代」を、実に見事に描いている気がする。SNSの時代というのは、「自分の言動が誰にどんな風に受け止められ、どんな風に評価されているか見えてしまう時代」だ。そして、デジタルネイティブ世代は、子供の頃からそういう環境にいるからこそ、自分が何をどう言ったら相手にどう伝わってしまうかを理解しているし、だからこそ「言わない」という選択をする世代でもある。そういう感じが、凄く良かった。

純のキャラクターも、とても良かった。琴子ほど破天荒ではないし、琴子のように感情を爆発させるキャラクターでもなくて、琴子より純は、一般的な女子高生の感じに近いんだろうと思う。表向きには「どこにでもいるような女の子」風でありつつ、表に出せない鬱屈感みたいなものをいつも抱えていて、その放出先を求めている。そういう、何かの拍子に爆発してしまうんじゃないかというようなギリギリ感が凄く出ていて、純も凄く良かった。

劇中では、主要な登場人物たちは皆、テンションの低い、温度をあまり感じさせない喋り方をしていて、それも僕の好みにとても合ってた。基本的に、学校内でのシーンは少ない。学校で見せている「表向きの自分」を脱ぎ捨てたみたいな雰囲気が、その喋り方からにじみ出ている感じがした。また、彼らが集まるショッピングモール「Bell Mall」が近い内に閉店するということが決まっているという設定で、その「Bell Mall」内の場面が多かったことも、彼らの抱えているマイナスの部分が強調されているようで良かったなと思う。

とにかく、メチャクチャ好きな映画だったなぁ。正直、この感じのテンションの映像なら、6時間ぐらい続けてくれても見続けられる気がする。物語らしい物語が起こらなくても、主人公たちの日常が描かれていれば、全然見れちゃう気がするなぁ。というぐらい、ストーリーも良かったけど、それ以上に登場人物が凄く良かった。また、エンドロールは、主演の松本穂香が「人にやさしく」をアカペラで歌っていて、これもまたとてもよかった。ホント、全然期待してなかったんだけど、見て良かった~

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