【映画】「FUNNY BUNNY」感想・レビュー・解説

面白かったな、これ。なんとなくイメージしてたよりもずっと面白かった。

映画は全体的に、ポップな感じで展開されていく。扱っているテーマがちょっと重いだけに、そこに違和感を抱く人はいるかもしれない。でも僕は、重苦しい話だからこそもっと気軽に話せる世の中の方がいいよなぁ、と思っていたりもする。

【想像力こそが、世界を救う】

と主人公は度々口にする。この言葉には正直なところ、ちょっと上滑りしているというか、理想的にすぎるとか、ちょっと無理あるとか、最初はなんとなくそんな印象を持っていた。

実際に、映画が展開してしばらくの間、この言葉は劇中であまり効果的な役割を果たさない。少なくとも僕はそう受け取った。

しかし、映画のラストで、なるほどそうなるか、と思った。このラストを、「世界を救う」と表現して正しいのかは不明だが、しかし確かに「救う」ではあると思う。それがなんであれ、「救う」に繋がっているのであれば、【想像力こそが、世界を救う】という言葉には、一定以上の説得力が宿る。

確かに、この映画で示唆される提言のようなもの(別に、説教臭い何かを提言している映画だと言いたいわけではない)は、すべての人には当てはまらないと思う。誰がどんな状況にいるかによって何もかもが変わる。

ただ、【想像力こそが、世界を救う】という答えもまた、この世界に同居していいのだ、とは感じられるのではないかと思う。

結局のところ、生きている人間が生きている人間のためにする大体のことは、正解なのだと思う。

内容に入ろうと思います。
剣持聡は、中華料理屋で熱弁を振るう。彼は、友人である漆原聡を図書館に連れ出そうとしている。別に普通に行けばいいじゃないか。いや、今は夜7時、8時に閉館する図書館に行くにはちと遅い時間だ。しかし、まさにだからこそ剣持は図書館に行くのだという。
「絶対に借りられない本」を探しに。
田所のじいちゃんが亡くなったという。そのじいちゃんの遺書に、不思議なことが書かれていた。宝の地図を、図書館の絶対に借りられない本に隠したのだ、と。漆原は思う。そんな茶番に付き合ってられるか、と。確かにその反応は真っ当だ。しかし結局漆原は、剣持と共に閉館間際の図書館へと向かう。剣持が最後に付け加えた一言が気になったからだ。
彼らは、ウサギの頭を被り、閉まるギリギリの図書館に入り、司書と客を縛り上げる。
そして、「絶対に借りられない本」を探し始める…。
という話です。

どんな物語なのか全然知らずに観に行ったので、「まだ続くんだ」と思ってビックリしたり、「なるほどそんな風に話が展開するんだ」と驚いたりしてました。全体的に、すごく良くできた脚本、という感じがします。

ただ先にちょっと、微妙だなと感じた点について触れておきます。

セリフのクサさみたいなものを、役者がうまく扱いきれてなかった気がするなぁ、ということです(演技についてよく知らないのにこんなこと言ってます)

この映画にベースとなる演劇があるということは知っていたので、セリフが演劇っぽいのは別にいいと思ってました。ただ、その演劇っぽい、ちょっとリアリティに欠けるクサいセリフが、役者の演技に合ってないなぁ、と感じてしまいました。

主演の二人、中川大志と岡山天音については、この点は上手くクリアされていたと思います。二人とも、リアリティの薄いクサいセリフを口にしているのに、演じているキャラクターの感じに合わせるようにしてよく馴染ませているので、この2人については全然違和感を覚えませんでした。

でも、残りの役者さんたちは、すごく演劇っぽいというか、映画という世界の中ではちょっとキャラクターの存在感もリアリティを失わせてしまうような、そういう感じの演技に見えました。

僕の感想としては、中川大志と岡山天音は非常に上手くやっていたので、全体のバランスが悪いと感じてしまったんですね。セリフは変えられないから仕方ないとして、「演劇的ではなく演劇的なセリフを言えるように馴染ませている役者さん」と「演劇的に演劇的なセリフを言っているように聞こえてしまう役者さん」が混在している点が、ちょっと違和感あったなぁ、と感じました。

という点はちょっと残念に感じましたけど、中川大志と岡山天音がメインだし、脚本も面白いと思ったので、全体的には満足です。

物語は、全然理屈の通らない荒唐無稽さから始まっていきます。図書館へ忍び込むとか、ウサギの頭とかそういう要素がまずバーンと提示されます。剣持聡というキャラクターも、冒頭からしばらくの間は、話の通じなそうなヤバい奴に見えます。

しかし徐々に、人物にも物語にも理屈が通っていく。まあ、理屈が通れば暴力的な行為を許せるのか、という問題はあるのだけど、この映画の雰囲気では、暴力的な行為を受けた側が協力者となる展開は不自然には感じられませんでした。まあそこは、剣持聡という、言葉で相手をねじ伏せに行くようなキャラクターの存在も大きかったし、それを結構見事に演じている中川大志という役者の功績は大きいと思うのだけど。

この映画の中で受け取り方が分かれるだろう点が、剣持聡が子どもの頃から抱いているある考え方でしょう。かつての旧友はそれを「危険思想」と呼んでいたし、漆原聡は「お前がやろうとしていることは正義だと思う」と叫びながらも、その行動を止めようとします。

僕の考えを書いておきます。僕は、基本的には「法律に従わなければならない」と考えています。しかし、法律は絶対ではありません。元々不備があるということもあるし、時代と共に古びてしまうこともある。だから、「法律に誤りがある」とも考えています。

この2つを両立させるためには、「法律を正しく変えなければならない」という結論になります。そして、誰もが「正しい」と考えるようにしている法律を変えるためには、並大抵の努力では無理です。そして、そんな並大抵以上の努力を投じることができるのは、剣持聡のような人間だと思っています。

だから僕は、「法律に従う必要はない」という剣持聡の考え方を否定しながらも、剣持聡という人間の情熱や行動原理は支持する、という立場を取ります。

歴史を振り返ってみても、何か巨大な変革を起こすためには、残念ながら犠牲も伴います。そのことを許容しているつもりはないのだけど、大きな犠牲無しに大きな変革は起こらないだろう、という諦めは常に自分の内側にあります。だからこそ、その大きな犠牲を引き受けようという個人に対しては称賛の気持ちが芽生えます。

だからといって、劇中で剣持聡が示唆している行動を許容している、というわけでもありません。剣持聡は、その情熱をもっと別の形で表に出すべきでしょう。しかしそもそも、大きな変革のために大きな犠牲を厭わない、と思って行動できる人間はそう多くはありません。だからこそ、外野がとやかく言うことでもないよなぁ、とも思ってしまいます。

そういう意味で、漆原聡は素晴らしかったなぁ、と思います。漆原聡は、剣持聡を「正義」だと言いながら、それでも止める。これもまた、相当の覚悟がないとできないことでしょう。あの場面は、すごくよかったなと思います。


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