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【本】神田憲行「一門 ”冴えん師匠”がなぜ強い棋士を育てられたのか?」感想・レビュー・解説

森信雄と聞いて、パッと誰だか分かる、という人はそんなにいないだろう。僕は、将棋は好きだけど、正直、本書を読む直前の時点で聞かれていたら答えられなかっただろう。『聖の青春』という本を読んだ直後だったら、たぶん覚えていたはずだ。村山聖という、ネフローゼ症候群という病気で29歳の若さで亡くなってしまった伝説の棋士だ。そして森信雄は、その師匠である。映画では、村山聖を松山ケンイチが、森信雄をリリー・フランキーが演じていた。

その森信雄は現在、12人のプロ棋士を育てた(村山聖を含む)。女流棋士も含めれば、15人だ。これは、戦後、師弟関係が正確に記録されるようになってから最も多い。

しかし、森信雄自身は、さほど強い棋士ではなかった。既に引退しており、生涯成績は403勝590敗。また、引退の前にはこんなエピソードもある。

【連盟の職員さんやったかな、(※引退を)宣言したら定年が5年延びますよって言われて、『やったー』という感じで選びましたね。これでもう順位戦で胃が痛くなるようなことはないし、5年間お金もらえるし。エエことずくめやのに、なんでみんな(宣言を)せえへんのが不思議やわ】

少し説明が必要だろう。棋士は、「順位戦に在籍し続ける限り」は定年はない。何歳でも棋士であり続けられる。順位戦というのは、一番下が「C級2組」なのだが、ここで降級点を取ると、「フリークラス」に移ることになる。そしてこの「フリークラス」は60歳が定年なのだ。しかし一方で、降級点を取ったわけではなく、自分で「フリークラス」に移ることも可能だ。「フリークラス」の所属になると、順位戦に参加できないが、しかし自ら宣言して「フリークラス」入りすると、定年が65歳まで延びる、というルールがあるのだ。

森は、「フリークラス入りを宣言したら定年延長」というルールを知らなかったらしく、それを知って喜んだ、という話だ。この「なんでみんなせえへんのか」については、やはり「順位戦に出られない」というのが大きい。順位戦を勝ち抜くことで、「名人位」というタイトルに挑戦できる。この挑戦権を自ら放棄することに抵抗を感じる棋士が多い、ということだ。しかし森はそんなこと気にしない。

【そこが棋士としてのプライドのち外なんでしょうな。僕はあまりそんなんあらへんから】

だそうだ。

フリークラスに移ってまで棋士であろうとしたのは、もちろんお金のこともあっただろうが、たぶん、弟子を育てるという側面もあるのではないかと思う。

プロ棋士になろうとしたら、「奨励会」というところに入会する必要がある。ここで勝ち抜けばプロ棋士になれるのだ。もちろん、奨励会の入会試験がある。そして、その入会試験の受験資格として、プロ棋士の「師匠」が必要だからだ。形だけのものであっていいのだが、とにかく、「この子の師匠は誰々」ということが明確になっていないといけないのだ。

つまり逆に言えば、「師匠」でいるためにはプロ棋士でいなければいけない、ということでもある。弟子の一人である山崎隆之がこんな風に言っている。

【でも森門下に入ってくるっていうのは、基本的に、もうぱっと見た瞬間、相当努力しないとなれないっていう子が多いので。】

棋士の中では珍しいらしいが、森はどうも、プロ棋士になるのは難しいかもな、という子も弟子にとってしまうのだ、という。実際、彼の弟子の中にも、プロ棋士になれるかどうかギリギリの者もたくさんいた。だから、自分ができるだけ長くプロ棋士であり続けることで、ちゃんと弟子のことを見てあげられる、と思ったのではないか(これは僕の勝手な推測だけど)

「ギリギリ」というのは、能力の問題ではない。能力にも関係してくるが、プロ棋士になれるかどうかには、明確な期限がある。奨励会に何歳で入会しようが、満21歳の誕生日までに初段、満26歳の誕生日までに四段(四段になる、というのが、イコール、プロ棋士になるということ)になっていないと、基本的には奨励会から大会となる。現在奨励会には「三段リーグ」と呼ばれる地獄のシステムがあり、半年に1度行われる、三段の棋士たちによる総当たり戦のトップ1,2がプロ棋士になれる。つまり、年に4人(例外規定などもあって増えることもあるけど)しかプロ棋士になれないのだ。奨励会員たちは、そういうギリギリの戦いをしている。

しかし、本書の巻末に羽生善治がちょっと登場するが、彼が奨励会にいた頃は、「三段リーグ」は存在していなかったという。だから一年で6人四段になったりしていた、という。とはいえ、現在なら通常、奨励会には7~8年在籍すると言われている中で、羽生善治の在籍期間はたった3年という驚異的なスピードだ。

しかし、プロ棋士になった経緯で言えば森の方がもっと凄い。彼が関西将棋会館で奨励会員をしていた頃は、非常におおらかな雰囲気で、また関西には記録係などの人手も足りなかったようで、この規定は大らかに運用されていたという。森は、奨励会の入会の時も、「21歳までに初段」というルールにしても、「裏口」でクリアしたという。現在のように、厳格にルールが適応される時代なら、森はプロ棋士になれていない、ということになる。そんな森が12人ものプロ棋士を輩出しているのだから面白い。

森がプロ棋士を目指した理由は、もちろん将棋が好きで強かったこともあるが、仕事が絶望的にできなかったことも大きい。

【僕は世の中で自分がやれることは相当少ないと感じていました。働いても他人に迷惑掛けてばかりですよ。だから自分の力を発揮するんじゃなくて、人に迷惑掛けない仕事をしたかった。】

奨励会に入る前に働いていたゴム製品の工場ではしょっちゅう機械を止め、奨励会に入った後働かせてもらっていた洋品店からは3~4カ月で夜逃げ同然で逃げ出した(洋品店は、仕事が辛かったのではなく、将棋で勝てなかったからだが)。自分にできることが少ないから、一人でも戦える将棋という世界は合っていただろう。そして、ダメだった自分のことをちゃんと覚えているから、弱い子でも弟子にとってしまうし、『聖の青春』で一躍有名になったエピソードだが、弟子(村山)のパンツを洗うようなこともしてあげるのだ。

森について、弟子たちは様々な表現で称賛する。

【それだけ人に怒れるということは、他人に対して熱を込められるということです。僕はそこまで他人に熱を込められない。奨励会時代、師匠の周囲にいつも人のぬくもりを感じることができました。師匠の弟子でなかったら今の僕は全然変わっていたんだろうなと思う】(山崎隆之)

山崎が何故怒られたのか、という話が、山崎の性格を端的に象徴している。彼は、中学生の頃から森の自宅で生活していた。そしてそこで、阪神淡路大震災を経験することになる。森はこの震災で、弟子を一人亡くしている。福岡県から棋士になりたいとやってきて、森の自宅の近くのアパートで生活をしていた船越隆文だ。自分のせいで彼を死なせてしまった、もう弟子は取らない、というほど憔悴することになる。震災の時、森はすぐに船越のアパートに走って安否を確認にいった。しかしその時山崎は、公衆電話から将棋連盟に奨励会の対局について問い合わせの電話をしていたのだ。山崎にはそういうドライなところがあり、それが勝敗へのこだわりの苛烈さにも繋がっていくのだが、この行為は森の逆鱗に触れ、山崎は破門されかかった。

【うち一門はみんな師匠の影響で普及のことを考えていますよ。対局だけしておけばいいという者はいないと思います】(糸谷哲郎)

プロ棋士の仕事は当然「対局」だが、他にも「普及」がある。要するに、将棋を一般に広く普及する活動のことだ。糸谷は、森門下で唯一のタイトルホルダーであり、村山に次いで2人目のA級棋士である(順位戦では、A級が最上位のランク)。日本の最強棋士たちがA級にいる、と思ってもらえればいい。メチャクチャ強いし、当然その分、対局も増えるし、研究もしなければいけない。そういう意味もあって著者は、「A級に在籍するトップ棋士がここまで普及の仕事に精を出すのも珍しい」と書いている。

ちなみにこの糸谷、大阪大学文学部に入学し、大学院にまで進んでいる。しかも、四段(プロ棋士)になったのは高3の春。そこからプロ棋士としての対局をこなしながら受験勉強をし、大学に入学、さらにA級に上りつめているのだ。また、本を読むのも死ぬほど早い。1日8冊、ひと月で100冊ぐらい読んでいることもあったという。早いだけでなく、難しい本もスイスイ読む。『虚無への供物』を30分ちょっとで読んだというのは、異次元の頭の良さだろう。ちなみに彼は棋士の間では「怪物」と呼ばれている。

また森門下生は他にも高学歴な人間が多い。片上大輔はなんと東大卒であり、東大4年生の時にプロ棋士になった。初の東大卒プロ棋士である。また女流棋士の山口絵美菜は京都大学だ。なんなんだこいつらは。

【今まで将棋について師匠から直接教わったことはほとんどありません。でもプロになると、何回か精神的にきつい状況ってあるんですよ。そういうときに師匠と話をすると、後ろ盾の存在というか、大きな安心感が得られたんです。『ああ、これが師匠という存在なんだな』って思いました。今の私はとても他人の師匠にはなれない】(千田翔太)

【強いプレイヤーにかかわりたい気持ちはありますが、それは別に師匠でなくてもできることですから。心理的に支えることができるかどうかが、師匠業の真価ではないかと思います】(千田翔太)

この千田翔太という棋士は、将棋大好き人間が集まる棋界において、変態的に将棋が好きな男で、100%将棋ソフトのみで研究している変わり者だ。

【たしかに人と人の対局は魅力があるし、面白いですよ。でもプレイヤーとして見たとき、明らかに自分を超える存在がいるなら、そのプレイヤーと指すのが当然の選択でしょう】(千田翔太)

という、超絶合理主義の男なのだが、そんな彼も、合理を超えた部分で、森という師匠を捉えているように感じる。

片上大輔が、著者から「なぜ棋士は優しい人が多いのか?」と問われて、こう答えている。

【やっぱり負ける人を数多く見ているから優しくなれるんじゃないですか。勝つと優しくなれるかわかりませんが、負けるときつくなると思いますよ、人間に対して。棋士っていうのは勝ち上がってきているので、優しいんだと思いますよ】

とはいえ、森の優しさはずば抜けているように思う。巻末で羽生善治が、「なぜ弟子を取らないのか?」と問われ、理由の一つ(決してそれだけではないが)をこう答えている。

【将棋の棋士って基本的に自力で何とかしようとするっていう習慣があるんです。(中略)棋士の感覚からすると、他人の成長をずっと待ってなきゃいけないとか、見守らなきゃいけないとかってすごく日常と違い過ぎるんで、気が気じゃないんですよ】

森が優しさを発揮できるのには、幼少期のある体験も関係しているだろう、と著者は考えている。子供の頃、貧しかった森少年。父親は、森が3歳の時に失踪し、現在も行方知れず、母子家庭で生活保護を受給していた。義務教育課程でも教科書は有償だったが、生活保護を受給している家庭の子供は無料だったという。しかし教師は、「無料の子は前に来なさい」と、わざわざ他の生徒の前で教科書を渡した。森はこのエピソードを、自身がいじめられていたという経験以上に、憤りをもって語った。公平さとか差別という感覚に敏感なのだ。それは、大人の事情で村山の弟子入りが一年遅れた際にも発揮された。まだ正式に弟子になっていない村山のために、各所に頭を下げまくったのだ。そんな眼差しのお陰で、多くのプロ棋士が育ったのだろう。

森は自宅で将棋教室を開いているが、著者がその様子を見ていると、一組の30代の夫婦が見学にやってきたという。その夫婦と著者は話し始めたが、どうも会話が噛み合わない。というのも、その夫婦は「この教室を開いている森信雄が、『聖の青春』の師匠である」ということを知らなかったからだ。じゃあ何故見学に来たのか?と著者が問うと、こう答えた。

【近所の評判で、ここに来たら子どもが将棋を指すのが楽しくなると聞いたんですよ】

さすが、12人のプロ棋士を育てた名伯楽だけのことはある。本書には、森のダメダメエピソードも多数登場するし、世間一般の「師匠」というイメージからはかけ離れた存在ではあるのだが、「人を育てる」ということについて深く考えさせてくれる。僕も、こんな感じのダメダメの師匠(「上司」でも「先輩」でもなんでもいいけど)がいいなと思うし、自分が下の世代と関わる時にも、こんな存在でいられたらいいなと思う。


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