【映画】「オマールの壁」感想・レビュー・解説

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僕にとって「パレスチナ」というのは、歴史の教科書に出てくる名前だ。正直なところ、パレスチナという存在について、関心を持つことは難しい。とても、遠い存在だ。

歴史的に、何か複雑で、容易には解決出来ない問題がある、ということは当然知っている。知っているけど、それが何か説明しろと言われたら、僕にはできない。宗教や政治や歴史的な対立が入り混じった何かだろうと思う。きちんと説明できない、理解できていないことに、恥ずかしさは感じる。

対立というのは、容易には解消できない。特に、世代を積み重ねた対立はなおさらだ。最初に害を被ったのが自分たちの世代ではない場合、祖先たちが受けた害の報復をする、ということになる。それは、「どうなったら終わりであるか」を誰も決められない対立だ。また、祖先が受けた害に報復すべしという人間と、忘れて前を向くべきという人間とで、分断が起こる。結局、対立はより根深くなっていく。

この映画では、高い壁が登場する。ベルリンの壁のようなやつだ。その壁がどこにあって、何故作られたものなのか、僕は知らない。パレスチナに住む人たちであれば常識でしかないそんな情報は、当然映画の中では描かれない。僕は、最後まで、誰が誰と何故対立しているのか分からないまま映画を観終えた。

歴史的な背景を一切理解しないまま映画を観た感想を言えば、やはり、対立や分断では何も解決しない、ということだ。どちらの勢力が悪いのか分からないが、しかしやはりどんな理由があれ、誰かを殺したり、あるいは誰かをスパイに仕立てたりして解決することはない。それは歴史が証明しているはずだ。それでも人間は、対立や分断を回避できない。

背景が分からないなりにこういう映画を観ると、生きている人間にどうしようもなさを感じる。彼らを非難しているのではない。同じ環境にいれば、僕もどういう形かでどうしようもない人間になるだろう。

今、世界はかなり困難な状況に置かれている。それまでの日常をすべて放棄せざるを得ないような外的環境の変化にさらされた時、改めて思う。「優しさ」や「勇気」は「誠実さ」は、環境が生み出しているものなのだ、と。「優しさ」や「勇気」は「誠実さ」は、環境が変われば、いとも簡単に失われ得るものなのだ、と。そしてその上で、「異常さ」が「日常」になってしまった人たちに対し、軽々に非難することなど出来ないよなぁ、と感じさせられる。

内容に入ろうと思います。
オマールはパン屋で働く青年だ。彼は度々、分離壁を乗り越えて、思いを寄せるナディアの元へと通う。ナディアはタレクの妹で、オマール・タレク・アムジャドの三人は幼馴染だ。彼らは、なんでもない日々を過ごしつつ、一方で、占領下にあるこの現実を変えようと計画を企てている。そして、タレスが計画立案、オマールが運転手、アムジャドが狙撃という形で、イスラエル兵を撃つ。
その後食事中に秘密警察に追われ、オマールだけ捕まってしまう。彼は当然黙秘を貫くが、ある事情から釈放され…。
というような話です。

映画の中では、オマールたちが日々どのような抑圧状態にあるのか、ということはさほど描かれない。それは、前述したように、パレスチナの人たちにとっては常識的な、当たり前のことだからだろう。冒頭で、ワンシーンだけ描かれる。イスラエル兵(だろう)三人に、路上で取り調べを受ける場面だ。確かに、こんなことが日常なんだとすれば、苛立ちしかないだろうと思う。

僕はやはり、どんな理由があれ、暴力で物事は解決しないと思っているので、彼らがイスラエル兵を銃撃したことはやはり反対だ。パレスチナの現実については知らないから、「暴力以外に現状を変える手段がないのだ」という感じかもしれない。それでもやっぱり、もっと別の方法を模索するべきだ、と感じられてしまう。

でもやはり、それ以上に、警察に対する苛立ちを強く感じる。彼らも、職務を全うしているだけという感じかもしれない。でも、占領している側、圧倒的な権力を持つ側が、その権力を否応なしに行使して、他人の自由を奪う行為は、許容出来ない、と感じられてしまう。

パレスチナを取り巻く問題は、もはや市民レベルのものではなく、国際的な解決が必要とされるものだろう。市民レベルの対処で変わる現実は、恐らくない。だから何もするな、と言いたいわけではなくて、だからこそ、たまたまその国・地域に生まれたというだけの”無関係”な市民が害を被ってしまう、という状況に憤りを感じる。

国際問題である、ということは、これは僕の問題でもある、ということだ。それを忘れないようにしよう、と思う。国際社会が無関心であればあるほど、解決は遠のく。世界に存在するすべての問題について関心を持ち続けることは困難だけど、できるだけ、視界に入ったものへの関心は失わない人間でありたいと思う。

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