【映画】「イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり」感想・レビュー・解説

【でも、傍観者には世界は変えられない。選んで生きる者が、変えられるのだ】

うん、メチャクチャかっこいいじゃねぇか。
すげぇ良い映画だった。


【いつ雨が降るか、予想できると思うのか?】

1860年。今から150年前の話だ。

今では、明日の天気が分かる。明日の天気どころか、一週間先の天気だって大体分かる。いや、今季の天気の傾向すら、大雑把には分かる。もちろん、外れることもある。しかし、予想する未来が近ければ近いほど、天気はほぼ100%に近い確率で当てることができる。

150年前は、「天気を予想する」など、「占い」と同じ扱いだった。

【カエルのことだってロクに分からないくせに、天気とは!(哄笑の渦)】

イギリスの王立協会で、「天気」の研究に力を入れるべきだと力説していた、”自称”気象学者だったジェームズ・グレーシャーは、科学の力を信じていた。

【混沌に秩序を見出すのは、科学者の責務では?】

しかし、「天気のことなど理解できるはずがない」と思っている当時の学者たちは、そんなジェームズのり季節をあざ笑って馬鹿にする。

【僕の人生は、笑われ通しだった。今日だけは、例外にしたかったね】

僕らは日々、便利さを享受できる世の中に生きている。150年前には想像すらできなかった技術が、世の中に、当たり前のように存在している。そしてそれらは、科学による、少しずつの、しかし偉大な進歩がなければなし得なかったものだ。

しかし同時に、科学というのは、時代時代の「常識」に抗うものでもあった。ガリレオの「地球はそれでも回っている」というエピソードは、実際にはなかったという説の方が有力だが、しかしそういう話が今日まで残るのも、常に科学者が、時代の「常識」を打ち破らなければならない立場に置かれていることを、偉人の偉業を伝えようとする者たちはきちんと理解しているからだろう。

科学者は時に、時代を大きく飛び越えて新しい発想を抱く。しかしそれは、同時代の人間には理解できない。理解できないだけなら、まだマシだろう。時に、その斬新な発想を受け入れられず阻止しようと邪魔をしたり、間違った方向に進んでいると思いこんでその着想を無かったことにしようとしたりする。

確かに、科学は決して万能ではない。ノーベル賞が設立されたのは、人類のためになると思って発明したダイナマイトが人を殺戮する道具として使われてしまったことに心を痛めたからだったはずだ。アインシュタインが生み出した「E=mc2」という式は、物理学に革新的な視点をもたらし、科学を大きく前進させたが、しかし一方で、原子爆弾の開発の基礎ともなった。

しかし、問題は常に「人間」の側にある。人間が、いかに「科学」と関わるかで、人類の未来は決まると言っていいだろう。

【好機ではない。義務です。世界を変える機会は、皆にはない。あなたは、義務を課せられたのです】

彼らは、気球に乗って、酸素ボンベ無しで11277mまで上昇した。僕らが旅行などで乗るジャンボジェット機の高度は10000mを越える。ジャンボジェット機で飛ぶ高度を、生身の身体で体感したのだ。この挑戦が、【最初の科学的天気予報の道を開いた】。この挑戦が、人類が「天気」を理解するための、第一歩だったのだ。

酸素ボンベ無しで11277mへ到達した記録は、現在でも破られていない。

内容に入ろうと思います。
1862年、彼らは準備を整えて、ついにこの日を迎えた。気球の打ち上げ。
乗るのは、科学者であり、天気を解明しようと意気込むジェームズ・グレーシャーと、かつて夫と共に「気球乗り夫婦」と呼ばれていた、気球操縦士のアメリア・レン。ジェームズは、様々な測定器を持ち込み、科学的な計測を多数する予定だったが、しかし二人の目標は明確だった。

【いかなる男女も到達したことのない高度へとたどり着くこと】

当時、フランス人が、高度7000mという記録を打ち立てていた。人付き合いが苦手なジェームズとは対称的に、集まった観客を沸かせるエンタテイナーでもあったアメリアは、

【驚く準備はよくって?】

【今日歴史が作られる。皆さんは、その一部となるのです。】

と観客を煽りまくる。

【空の規則を書き換えたいんだ】と意気込むジェームズと、【私は優秀な気球乗りなの。自分の脳力を示したい】と決意するアメリア。共に、ままならない人生を重りのようにぶら下げながら地上に這いつくばるようにして生きていた二人は、【少なくとも空は開放されている】と言って大空へと羽ばたいていく。

【覚えておいて。気球乗りに、地上時間は関係ない】

というような話です。

これはメチャクチャ良かった!正直、タイトルは気にしてたんだけど、見なくてもいいかな、と思ってた映画でした。でも、これはマジで見てよかった。しかも、ホントに、映画館で見た方がいいと思う。

映画を見た後、この感想を書く前に公式のHPをざっと見ていたんだけど、驚いた。監督は、観客を気球に乗せる経験をさせるために、

『撮影はできる限り空中で行われた。最も命がけのシーンとなる、アメリアが気球の外面を登る場面も空中で撮影された』

そうだ。もちろん、実際にあの場面を、高度10000mで撮影したわけではないが、上空900m地点で実際に撮影されたという。イカれてる。しかしそのお陰で、迫力満点の映像に仕上がっている。

そもそもこの撮影のために、19世紀当時のガス気球を、完全に機能する形でレプリカを建造し、それを実際に飛ばして撮影したらしい。マジかって感じだ。撮影を担当したカメラマンは、『カメラマンとして、本当に神からの贈り物のような映画に出会えた。』と言っている。

気球が登場する映画は過去にも様々あったが、それらはどれも、ガス気球に見せかけて作られた熱気球だったという。この映画の制作のために、世界で初めて、19世紀のガス気球のレプリカを多額のコストを掛けて再現したのだという。気合い入りまくりだ。

役者たちも凄い。二人は、高所における低酸素状態を体験するための訓練を受けた。気球が凍ってしまうような高度の場面では、気球の周りに冷却ボックスが作られ、役者の白い息が見えるようにした。二人はテイクの合間、氷の中に手を浸していたという。震えや青い唇は、演技やメイクではなく、本物だという。アメリアは劇中、かなりアクロバティックなアクションが要求されるが、それらも、プロの空中曲芸師と訓練を重ねた上で、高さ600mの気球の上で撮影を行ったという。凄すぎる。

僕は映画を見る時点では、これらの情報をまったく知らなかったが、映像に圧倒された理由はこれで理解できたと感じる。とにかく、映像が凄い。もちろん、二人の関係性や物語のハラハラドキドキ感、またこれが史実を基にしているという部分ももろもろ凄い。でもやっぱり、何よりも、映像体験が凄かった。はっきり言って、それだけでも見る価値のある映画だったなぁ、と思う。

物語的には、科学が好きな僕としては、やはりまずジェームズの情熱に目が行く。誰もが不可能だと感じていた、天気を予測するというミッションのために、これまた無謀と思われていて、気球による調査を行う。途中彼は暴走気味になり、【(今やっている研究は、僕の)命より重要だ】と発言する場面がある。それはある意味で、低酸素状態による脳の錯乱でもあるのだが、しかし同時に、ジェームズがそこまで信念を持って科学に身を捧げていることが分かる場面でもある。

しかし、物語全体で見ればやはり、アメリアの方に惹かれるだろう。

そもそも彼女は、明確には描かれないが、裕福で恵まれた家庭に生まれ育っているだろうと思う。妹の服装や、パーティーに呼ばれることや、彼らが住んでいる屋敷の感じからそう思う。妹は、姉が気球なんかにかぶれているのが気に食わなくて、

【少しは不安の声に耳を傾けて】

と、アメリアが気球に乗るのを押し留めようとしたり、あなたの幸せを願っているのというようなことを言ったりする。

しかし、そんな話を聞くアメリアではない。

【結婚して、男に尽くせってわけ?】

当時は、現代以上に女性が権利を主張しにくい時代。ジェームズに会うために王立協会の敷地を歩いていたアメリアは、女性がこの敷地内にいることを咎められるという場面がある。あからさまな男性優位の社会の中で、それでも、自分の力を試してみたいと感じている、強い女性だ。

しかし一方で、彼女には大きな後悔もある。それについて詳しくは触れないが、気球の上でジェームズに対してこんな話をする。

【再び飛ぶ理由を、妹が知りたがった。
確かめたかったの。私の知識。彼に教わったこと。そして失ったこと。
すべてに意味はあったのだと。】

アメリアが抱えているものも、とても大きなものだ。ジェームズは科学を背負っている。しかしアメリアは、人命を背負っているのだ。

【決して、誰かの死の責任を負ってはダメ。一度の失敗で、自分を許せなくなるから】

地上に戻ったジェームズは、王立協会の男たちの前で、こう宣言する。

【この成功は、少しの寄付と、少しの協力と、そして、レン女史の非常な勇気によるものです】

カッコイイやつらの物語だよ。

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