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【本】瀬尾まいこ「幸福な食卓」感想・レビュー・解説

パリっとしたシーツは、僕は好きではない。


それは、僕にとって、不自然なものの象徴である。


意味がわからないかもしれないけど、そうだな例えば他に上げるなら、綺麗に揃った食器セットとか、毎日取り替えられる花瓶の花とか、お店の店員の笑顔とか、そういうものは僕にとって不自然なものでしかないのだ。なんとなくわかるだろうか。


パリっとしたシーツは、なんか嫌だ。まったくしわがなくてぴっしりとしているシーツを見ると、何だか疲れてしまう気がする。そのシーツと自分が同じ空間にいることが、恐ろしく間違っていることに感じられるのだ。もっと、崩れていてくれたらいいのに、と思ってしまう。シーツとしての役割を果たしすぎているんではないか、と不自然に思えてしまうのだ。


僕の言っていることはなんとなくわかるだろうか?


僕にとって、家族というのは、パリっとしたシーツみたいなものなのだ。それは、僕の中では限りなく不自然の象徴であり、僕とは相容れない存在だ。


家族というのは、家族の数だけ形があるはずなのに、どれもが同じような幻想を抱えているような気がする。例えばこんなイメージだ。りんごやみかんやキウイなど、いろんなくだものがあるとする。しかし、その皮を剥いて中を見てみると、全部同じ果物だったみたいな、そんな感じ。家族も、見た目全部違う。しかし、皮を剥いて中を見てみると、そこには必ず同じような幻想が潜んでいるものだ。


その、どこにも共通しているように思える幻想が、僕にとっては不自然なのだ。まるで、形を変えてはいけないと言われているかの如く、それはいつまでも不変のまま存在し続ける。


これはなんなんだろう、と僕は思うのだ。この、家族という形のどうしようもない不自然さは、一体どこから生み出されるのだろうか、と僕は思うのだ。


パリっとしたシーツに不自然さを感じるようにして僕は、家族というものに不自然さを感じる。僕が知っていると言えるのは、自分の家族だけだ。他の家族のことはわからない。それでも、家族という幻想は恐らく共通しているのだろう、と思えてしまう。


僕は、その家族という幻想に呑みこまれたくなかった。それは、僕とは相容れないものでしかなかった。家族という幻想の中に呑みこまれ染まってしまったら、自分の大切な何かを失ってしまうような気もした。


だから僕は、家族という存在から必死に自分を防御しようと努力したし、そのために自分というものを偽って生きてきた。その努力の延長に今の自分がある。人間が歪んでしまったとしても、まあ仕方がないだろう。


家族というのは、結局のところ、同じ幻想を共有できる共同体ということだろう。そこは、常に閉鎖空間であり、幻想という鎖で閉じこめられている。その状況に満足できる人間がたくさんいるというのもわかる。幻想の中に取り込まれてもなお自分を失わずにいられる人間もいるのだろうし、家族という閉鎖空間に閉じ込められながらも社会と隔絶せずにいられる人間もいるのだろう。というか、それが人間として一般的で普通なのだろう。


僕には、それがどうしても出来なかったのである。


僕は昔こそ、両親がすべて悪いのだ、と思っていた。それは、少なからず正しいし、全面的に間違っているわけではないと思うのだけど、しかしそれで全部ではなかったのだと思う。要するに僕は、家族という共同体の中に嵌まることの出来ない異分子として生まれてきたのである。システムとしての家族というものに、そもそも拒否反応を示すように出来ているのだろうと思う。なるべくこういうことは考えないようにしているのだけども、時々考える思考の積み重ねで、こう考えるようになった。


本作に出てくる家族は、家族という幻想から解き放たれているように僕には思える。本作を読んだ多くの人がどう思うかわからない。普通の人間なら、この家族についてどう思うのか、僕には判断できない。

しかし、僕にはこの家族は、すごく羨ましく映る。家族という形に囚われていないし、不自然さがかなり払拭されている。もちろん、こんな変な家族の中での生活は、それなりにめんどくさいこともあるだろう。しかしそれは、学校生活のクラスの中での面倒ごとと大差はないように思える。めんどくささのレベルが、普通一般の家族とは違うと思うのだ。


いろんな正しさを問う人が世の中にはいる。戦争の正しさ、憲法の正しさ、教育の正しさ。時には、家族というもののあり方の正しさについて問う声も聞かれもする。


しかし、その正しさはどこから発せられるのだろう。大多数の家族を基準とした正しさならば、僕は認めない。それは僕からすれば、不自然の集積した不自然な結果でしかないのだから。

本作に出てくる家族の形は、世間一般の基準からすれば正しくないだろうし、大きく間違っているだろう。しかし、だからどうということはない。その間違いすらも許容し消化できるその強さこそ、家族というものに求められる第一義のものではないだろうか。


誰しもが、家族の正しさばかりを追い求めて、どんどんと弱い共同体になっている。穴が空こうがどこかに傷がつこうが正しければ問題ない、という家族のあり方なんて、僕には信じられないのだ。どんなに間違っていても、どんなにみっともなくても、家族であることの意味を十分に確認できる家族であれば、それが僕の思う正しさになる。


作家の森博嗣の日記を日々読んでいる。最近の日記で、同じ家に住んでいても奥さんとはほとんど会わない、というようなことが書いてあった。他人行儀な家族だとも。多少の誇張はあるかもしれないが。


人は、こんな家族のあり方を間違っているというかもしれない。しかし、僕には正しく思える。素敵だ。家族という幻想から抜け出した形を維持している家族は、とても素敵に思える。その美しさを、もっと昔から理解していれば、僕にはもう少し違う選択肢もあったのかもしれない。どうだろうか。
そろそろ内容に入ろうと思います。


本作は連作短編集になっているので、それぞれの短編の内容を紹介しようと思います。

「幸福な食卓」
「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」
私と直ちゃんと父さんの三人の朝の食卓。どんなことがあっても必ず朝食は三人で摂るのがうちの決まり。そしてそこは、重大な話をする場だという認識も共通だ。今日は、父さんが口火を切った。


私には、何を言っているのかよくわからないけど、兄の直ちゃんは、別段驚いた様子もない。いいんじゃない、なんて言ってる。


とりあえずどうするのか聞いてみると、まあ仕事を辞めてみようか、とのこと。なんだか大変なことになりそうだ。


母さんはこの家にはいない。近くのアパートに一人暮らしをしている。離婚したわけではないし、別居とも少し違う。母さんだけが外に出た。ただそれだけのことだ。


学校では、仲良くなった転校生がまた転校すると聞かされる。私は、寂しい。でも、どうしようもない。


父さんが父さんを辞めてから、別段大した変化はなかった。しかし父さんは、受験をする、とある日突然言い出した。薬学部のある大学に行くのだそうだ。そうして父さんは、父さんから浪人生になった。


「バイブル」
直ちゃんは、学生時代は天才児と呼ばれるほどの秀才だった。どの教科も一番。いろいろあって大学には進学しないで今は農業をやってるんだけど、でもなんでもそつなくこなせる人間だった。


でも、どうも恋愛だけはうまくいかないようだ。付き合って三ヶ月もすると別れてしまう。何が悪いのか、本人にもわからないらしい。私も、おかしいと思う。


塾では変な男の子に出会う。いきなり、「お前って中原さんの妹だろう?」と言われ当惑しているところに、「俺、お前に勝負挑むから」と言ってきた大浦君。恥ずかしがって教えてくれなかった下の名前は勉学。親のセンスがないとぼやいている。


直ちゃんは、新しい彼女を連れてきた。名前は、小林ヨシコ。今までで、最悪だ。いいところが見つけられない。化粧はケバいし、服装も派手、しかも彼氏の家に来るのに持ってきた手土産がなんと油。どうみても、お中元の回し物だ。なめられてる。直ちゃんは、あんな女のどこがいいんだろう。


「救世主」
直ちゃんが目覚めた。やっぱり、今まで眠ってたんだ。


直ちゃんは、明らかに喧嘩をしたって顔で帰ってきた。小林ヨシコの他の彼氏と鉢合わせになったんだとか。


さて目覚めた直ちゃんは、よくわからないことをいろいろと言ってくる。家族の形を直さなきゃいけないんだ、とかなんとか言って、直ちゃんじゃなくて兄さんとかって呼べ、みたいな具合だ。目覚めたのに、よくわからなくなった。


大浦君と同じ高校に入学できた私は、早速高校生活に暗雲たちこめることになる。なんと、学級委員になってしまったのだ。もちろん立候補したわけではない。くじ引きだ。


最悪だ。私が学級委員になったことを知った大浦君はなら俺もって学級委員になってくれたからそれは助かったけど、でも学級委員なんて私の器じゃない。全然、うまくいかない。担任の先生も、生徒に直接言うんじゃなくて私に言ってくる。学級委員がもっとしっかりしないとダメだって、あーもう最悪。


次第に、クラスもみんなから疎まれ始めているのがわかる。どうしよう。今までちゃんとやってきたのに。


「プレゼントの効用」
高校二年の冬。クリスマスまであと一ヶ月。大浦君はある決意を私に宣言した。


「俺、明日からめちゃくちゃ働くから」


よくわからない私が話を聞くと、どうやらすっごいものをプレゼントするために新聞配達の仕事をする、ということらしい。お金持ちの大浦君は働かなくてもお金はあるのに、働いたお金でプレゼントすることが大事なんだと言う。よくわからないけど、大浦君は実際頑張って新聞配達のアルバイトを始めた。その姿を毎朝確認する私。新聞だって、隅々まで読んじゃう。別に、大浦君が作ってるわけじゃないのに。


私も何かあげよう。どうしようかな。アルバイトして何か買うっていうのも悪くないけど、真似してるみたいだし。まあ、マフラーでも編もうかな。そう思って、母さんのところへ行ってみる。


直ちゃんは、鶏を前にして難しい顔をしている。何を考えてるのかと思ったら、どの鶏にするのか決めかねているのだという。なんの話かと思ったら、クリスマスプレゼントらしい。小林ヨシコにあげるのだ。絶対喜ばないと思うんだけど。


その小林ヨシコもうちにやってきた。研究のためらしい。よくわからなかったけど、話を聞いてみるに、こちらもプレゼントに何をあげるのか研究だそうな。


そうやって、クリスマスに向けてみんながあれこれ動いている。

こんな感じの話です。


これは、すごくいい作品でした。瀬尾まいこという作家は、かなり注目すべしって感じになりそうです。


ホントに、中原家という、ちょっと変わっているけど別段なんということもない家族を中心にした、別段なんということもない日常を淡々と描いている作品なんだけど、どこがと聞かれると難しいんだけど、すごく和む作品でした。


あっさりした文章で、ストーリーもあるようなないようなという淡い感じなのに、どことなく深く心の奥底まで届いていくような力を持っているし、小説の中ののんびりした日常に、こっちの時間まで合わせているような、そんなゆたりした世界を味わうことができます。


不思議ですねぇ。ホントに、ストーリーとかなんでもないんだけど、どうしてこんなに迫ってくるような作品に仕上がるんでしょうか?


登場人物も、すごく素敵な人間ばかりですね。僕は基本的に変人が好きなんで、父さんも直ちゃんも、母さんも小林ヨシコも、みんないい感じだったんですけど、でも本作の中で一番キャラクターとしてイケてたのは、大浦君だった気もします。彼は、すごく単純で分かりやすい性格だから、普通に考えれば僕好みのキャラクターではないんだけど、でもその単純さがずば抜けているというか、単純すぎて変というか、そういう奇妙な魅力を持つキャラクターで、不思議と僕との親和性があったようですね。大浦君と主人公の私との日常というのは、とてもほほえましくてよかったです。


あと僕がすごく気に掛かるのは、直ちゃんですね。というか、この直ちゃんというキャラクターは、僕と同一視できるんではないか、とそんな感じがしたんです。


彼は、すごく優秀だったのに大学に進学せずに、のんびり仕事ができてやりがいのありそうな農業の仕事に就いているし、家に帰れば、下手だけど続けているギターをかき鳴らしながらぼんやりとしている。僕も、まあ自分でいうのもなんだけどそこそこ優秀で、大学にこそ行ったけど中退して、今では自分の好きな本屋で働いているし、家に帰って本ばかり読みながらのんびりした生活をしている。


しかし、そういう部分だけでなく、もっと深いところで共通しているように感じてしまう。


主人公の私が、直ちゃんの部屋で、父さんの遺書を見つけてしまうシーンがある。その時、彼はこんな風に語る。

『俺ね、父さんが死んだ時、ああ、ついにって思ったんだ。やっぱりなって思った。そして、恐かった。父さんが死んだことじゃなくて、俺もこうなるんだってことがね。自分が父さんみたいに死ぬのも時間の問題だって思った。ああ、俺もこうやって死ぬときがもうすぐ来るんだろうなって思った。
(中略)
父さんが死んだ頃、ちょうど俺にもゆがみが出はじめていたんだ。子どもの頃から、なんでも完璧に、正しくこなしてきたのに、少しずつ、ずれが出はじめた。初めはそんなぞれはすぐに元に戻せたんだけど、中学生になって、さらに高校生になって、それはどんどんひどくなってきた。そのうちどうがんばっても、溜まっていくゆがみを戻せなくなるのがわかった。そうなったら、ゼロに戻すには、死ぬしかないんだな、って。俺もこの人みたいに死ぬんだなって思った』

ここの部分を読んだとき、同じだって思った。僕と同じだ、って。僕も、言葉で説明しようと思えば、似たようなことを口にすることができる。けどそういうことじゃなくて、僕以外の誰かの口から(まあ小説の登場人物だけど)、似たようなことを聞くことがあるとは思わなかったから、だから驚いた。ああ、直ちゃんと僕は同じなんだ、って思った。それで、直ちゃんというキャラクターにより共感するようになった。すごく近い存在だと僕は思う。


読む人が変われば、様々に別のことを考えさせられる作品だろうと思います。家族のこと、友達のこと、生きるということ、死ぬということ。人によってはまた別のことを考えるかもしれない。そういう、広くて深い読み方が出来る作品だと僕は思います。

著者は、今のところ現役の国語の教師だそうです。学校の描写がそれほど印象にあるわけではないけど、その自然な描写が出来るというのも現場にいるからでしょう。国語の教師というのも、なるほど文章がうまいわけだ、と思わされますね。


この作品は、是非読んで欲しいと思います。僕も、他の瀬尾まいこの作品をどんどんと読んでみたくなりました。これからの可能性をかなりはっきり感じさせる作家です。オススメです。是非どうぞ。


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