【欅坂46】表現者集団・欅坂46、そして平手友梨奈の存在感

※乃木坂46に関する他の記事は以下:
<索引>【乃木坂46】
https://note.com/bunko_x/n/n63472c4adb09

僕は、「人」的な意味で言えば乃木坂46が圧倒的に好きだ。しかし、「表現者」としては欅坂46に圧倒的に惹かれてしまう。そこで今回は、「表現者集団・欅坂46」という切り口で文章を書いていきたいと思う。

●●●●●何故「欅坂46」の記事を書こうと思ったのか?●●●●●

書こうと思ったきっかけは2つある。

1つ目は、「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」の平手友梨奈へのインタビューだった。インタビューアーは冒頭で、こんな文章を載せている。

【JAPANではこれまでたくさんのアーティストに登場してもらい、2万字インタビューアーとして半生を語ってもらってきたが、それが「17年」という短さであったことはない。
アイドルグループの、ただひとりに何度もインタビューをさせてもらってきた前例もないし、もちろん表紙に登場してもらった例も過去にはない。
未来のことはわからないが、きっとこれから先にも、そうはないだろう。
JAPANの表紙が何かの基準であると言いたいわけではないが、平手友梨奈という人の無二の存在感と革命的な実績を示すひとつの証明にはなっているのではないか。】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<I am eccentric 変わり者でいい
理解されない方が よっぽど楽だと思ったんだ
他人の目 気にしない 愛なんて縁を切る
はみ出してしまおう 自由なんてそんなもの>(エキセントリック)

僕は「ロッキンオンジャパン」の2万字インタビューをあまり読んだことがないので、どんな人が取り上げられてきたのか、具体的に知っているわけではない。しかし、冒頭にここまで書くからには、2万字インタビューで「平手友梨奈」を取り上げることがどれほど異例であるかということが伝わってくる。そして実際にインタビューを読んで、改めて、平手友梨奈という人物への驚きや敬意と言ったものを感じさせられた。この凄さを伝えたい、という衝動が、この記事を書かせた動機の1つだ。

2つ目は、『黒い羊』という曲の存在だ。これまでも欅坂46の楽曲には心を奪われてきたが、『黒い羊』ほど突き刺さった曲はない。僕自身が今、個人的に変化の最中にいることもあって、『黒い羊』の歌詞やMVに“支えられている”と言っても言い過ぎではないぐらいだ。そういう意味で、僕の中で今、人生で一番の「欅坂46ブーム」を迎えていると言っていい。そのことも、この記事を書かせた動機の1つである。


それでは、アイドルとしてあまりに異質な「表現者集団」という特異な個性をいかに獲得していったのか。その軌跡を、欅坂46のメンバーや、彼女たちを取り巻く様々な人たちの話を参照しながら見ていくことにしよう。

●●●●●「欅坂46がどう表現するか」を試す作り手●●●●●

まず、欅坂46のメンバー以外の人たちが、欅坂46をどう見ているのかに触れていこう。

欅坂46はこれまでも、圧倒的なクオリティのMVで、ファンのみならず、様々な人たちを熱狂させてきたが、最新作である『黒い羊』のMVもまた、圧倒的な評価を持って迎え入れられている。『二人セゾン』から連続でシングル表題作のMVを手がけてきた新宮良平氏は、『黒い羊』の撮影についてこう語っている。

【最初に言いましたけど、演技は全部アドリブですよ。これは彼女たちが他のアイドルとは違うラインにいて、表現力とかパッションとかが凄いからできることなんです。特にみんな感情表現が本当に凄くなってる。彼女たちが結構ディープに役へ入りきっちゃってるから、僕は何を言ってるか知らないですもん。例えば、齋藤(冬優花)さんは座ってるだけだったんですけど、徐々に気持ちが入ってきて「私、缶を投げたい」と言い出して本番ではセリフをアドリブで叫んでいます。携帯電話を眺めながら歩いてくる小池(美波)さんだって、僕は表情の具体的な指示は一切していません。自分がその人物になりきって、それぞれの絶望を表現してくれている。一瞬しか映らないメンバーでも楽曲を届けるために本気で表現者としてやっている姿がすごかった。そういうムード感は欅坂46だからこそ出せることであって、みんなも理解しているんですよ。全てのメンバーが楽曲を伝えるために本気でした。】「BRODY 2019年4月号」

僕は映像表現を批評することに長けているわけではないが、『黒い羊』のMVは、様々な絶望の中を“僕(=平手友梨奈)”が駆け抜けながら「全部僕のせいだ」と叫び、しかし「ハグ」によって「善悪」「対立」「衝突」「不満」と言ったものを、感情のことはひとまず置いて身体的に乗り越えようとする姿を描いているように僕には思える。MV中に描かれる「絶望」は、確かに混沌としているが、しかしある程度の一体感がそこになければ、映像表現として一つにまとまることはないはずだ。しかし監督は、彼女たちにアドリブで演技させているという。

【新宮 平手さんが叫んだのは完全にアドリブです。そもそも、僕は舞台装置と設定を投げているだけで、出演者の演技はほとんどアドリブです。どうやって動くのかの動線や演出内容は秒単位で決まっていますが、表情とか仕草などは演出していないというか、主演者が自分の設定から自分で考えて沸き立ってくるものを大事にしています。
―それで、よくあんな緊張感が出ましたね。
ワンカットで進んでいくから、実際に現場を歩いていく平手さんがMVの世界観に没入していけるように計算して舞台装置を仕掛けているんです。それによってどんどん気持ちが出来てくる。その結果、あの叫んでいるシーンが生まれたということですね】「BRODY 2019年4月号」

映像制作の現場に詳しいわけではないから分からないが、やはりアドリブに任せるというのは勇気がいることだと僕は思う。やはりそこは、「表現者」としての彼女たちの能力を非常に高く買っているということだろう。もちろん、表題作のMVを撮り続ける中で、そのことは徐々に理解されていったはずだ。


【新宮 欅坂46の作品を撮る場合は、まず何よりも撮影に関わるカメラマンも照明部も、全スタッフが平手(友梨奈)さんやメンバーのことが好きなんですよ。だから、カメラマンが撮りたくて撮ったカットが多いし。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

「彼女たちが何をどう表現するのか見たい」という関心が作り手側にあるということだろうし、そう思わせるだけの表現を欅坂46のメンバーが積み重ねてきた、ということでもある。『サイレントマジョリティー』から『アンビバレント』までジャケット撮影に関わった米澤潤氏と神藤剛氏はこんな風に語っている。

【米澤 あらかじめ何となくの設計図というのはあるんです。(中略)ただ、おっしゃったように不確定要素というのもすごくある。でも、結局、そこにメンバーが入るとバチーンと決まったりするんですよね。いつの間にかメンバーの逞しさに助けられることも増えてきました
(中略)
神藤 現場に彼女たちが入ってから思い付くこともあるし。ある意味、そこで瞬間芸みたいなことが起こっている気がして、今回のType-A(※『アンビバレント』)にしてもこのカットを撮る予定はまったくなかったんです。いつ頃からか、特に平手ちゃんとの撮影は、ライブ感みたいなものを僕のなかで大事にしていて。現場で「こう動いてみようか」という話をしているときに、彼女は自分のアドリブも入ってくるし。良い意味で想定外のことが起こるし、それがビジュアルの強度にも繋がっているのはあるなと。だから、今回のType-Aにも、それがより強く表れているかもしれないですね】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

ここでも、クリエイターたちの、「欅坂46のメンバーとの化学反応がどうなるのか見てみたい」という関心が伺える。アイドルに限らず、アーティスト全般に対して言えることかもしれないが、作り手側に委ねてみたいと思わせるというのは、そこまで多いケースではないというのが、門外漢の僕の印象だ。製作期間の制約やコンセプトなどによって、作り手側の自由が狭められることはよくあることだろうと思うし、そういう環境下においては、委ねるという決断はなかなかリスキーになってしまうと思うからだ。

欅坂46は、そういう意味でも恵まれていると言える。

【米澤 ですが、そこは今野(義雄~欅坂46運営委員会 委員長)さんを始めとするマネジメントの皆さん含め、ジャケットの重要性というのをすごく大事にしているので、例えば「アンビバレント」に関しては検証する時間も含めて4日間かけて撮っているんです。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

【新宮 それこそレーベルも『顔が一瞬だけしか見えなくても構わない』と言いますからね(笑)】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

作り手側の「制約」になるような条件をなるべく排除する、という運営側のスタンスがあるからこそ、「メンバーに委ねる」という決断もしやすくなるという側面はあるはずだ。乃木坂46も、個人PVの撮影において、クリエイターたちに自由に撮ってくれと言って制約を課さなかったという話を昔読んだが、乃木坂46の系譜の中で生まれた欅坂46というグループだからこその自由度とも言えるのだろう。

●●●●●アイドルとしては異質のライブの世界観●●●●●

また欅坂46は、アイドルらしからぬライブの世界観も大いに人々を刺激していく。

「BUBKA 2019年7月号」での「欅坂46 3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE 日本武道館公演レポート」において、記者はこんな感想を書いている。

【「遂にここまで来たか欅坂46…」というのが率直な感想だ。MCは必要最低限、ユニット曲は一切なし、代表曲とも言える『サイレントマジョリティー』『不協和音』は披露されず、最新のリリース曲である『黒い羊』は最終日のみの特別仕様。さらにはアンコールにも応えなかったのだから驚いた。ものの見事に自分たちの世界観を構築し守り抜いた、欅坂46の3周年ライブを振り返る。】「BUBKA 2019年7月号」(欅坂46 3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE 日本武道館公演レポート)

<不協和音で既成概念を壊せ
みんな揃って同じ意見だけではおかしいだろう
意志を貫けここで主張を曲げたら生きてる価値ない
欺きたいなら僕を抹殺してからいけ>(不協和音)

僕は欅坂46のライブを見たことがないので、自身の実感として何か書けるわけではないが、欅坂46のライブに関する様々な記述を読んでいると、その異質さがよく伝わってくる。そもそも僕は、アイドルのライブというものに行ったことがないので、欅坂46のライブを見たとしても、それがアイドルのライブとして何が異質であるのか実感できないと思うが、ライブを見た人の「凄いものを見た」という熱量をいつも文章から感じる。

【欅は媚びない。だから、欅でいられる。見せたいものを優先する。そんなメッセージを投げかけているようだった】「BUBKA 2019年7月号」(欅坂46 3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE 日本武道館公演レポート)

【しかし、欅はあくまで自分たちのカラーを踏襲した。見せたいのはパッケージされた世界であり、“そこにしかないもの”だ。だから価値がある。大切なのは、時間の長短ではないのだ。】「BUBKA 2019年7月号」(欅坂46 3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE 日本武道館公演レポート)

<好きだというなら否定しない
嫌いと言われたって構わない
誰かの感情気にしてもしょうがない
他人に何を思われても
何を言われても聞く耳持たない
干渉なんかされたくない
興味がない>(アンビバレント)

「媚びない」「カラーの踏襲」というスタンスもまた、「表現者」としての矜持とでも呼べるものだろう。そういう意味で欅坂46のライブというのは、「アイドル以前に表現者である」という主張の最前線に位置づけられるものだと思う。ライブの世界観について、平手友梨奈がどういう意識を持っているのかについては後ほど触れるつもりだが、一つだけ印象的だったことを書いておこう。2018年の「共和国」において、ダブルアンコールで『アンビバレント』を初披露した際、「8月15日!7枚目シングル発売決定!!新曲のタイトルは『アンビバレント』」というような情報を一切言わずにいきなり歌いだしたことについて、ラジオ『スクール・オブ・ロック』で平手友梨奈の相手を務めるとーやま校長(遠山大輔氏)が「最高」と評価したことに対する平手の返答だ。

【最初は「次は新曲です、聴いてください」みたいに自分たちで言う、ってなったんですよ。でも、なんかカッコワルイなって。結局、自分たちの口からは言わないし、映像の告知も後で出すことにしたんです。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」


ここでもやはり、「アイドルとしてどうか」ではなく「表現者としてどうか」という判断が優先されている。もちろんそれは、運営からも承認されているはずだ。メンバーと作り手、そして運営が皆、「表現者」という意識で「欅坂46」を捉えているからこそ実現できるのだろう。

●●●●●振付師・TAKAHIRO氏が見る欅坂46●●●●●

秋元康に、「僕の歌詞は、TAKAHIROの振り付けによって完成すると言っても過言ではない」(『ゼロは最強』の帯コメント)と言わしめる、振付師のTAKAHIRO氏は、技術的な面からも「表現者集団・欅坂46」を評価する。

【完成した振り付けは、当時の彼女たちには難易度の高いものでした。『サイレントマジョリティー』で平手さんが真ん中を歩く動きがありますが、当初はこれが出来なかった時のために別の簡易な振り付けも準備していました。けど、平手さんは私が考える以上の存在感で表現をしてくださいました】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

【―技術的なことでいうと、今でもかなり難しいことを課してきているんでしょうか。
難しいです。『アンビバレント』のときも、まず僕のスタッフがテストで踊るんですけど、その中にいたBTS(防弾少年団)のバックダンサーを経験している人が「何これ、ムズっ!」と言っていました。なので、実際になかなかの難易度になっていると思います】「BRODY 2019年4月号」

<思い込んでいるだけ Oh!Oh!
やる前からあきらめるなよ
おまえはもっとおまえらしく 生きろ!>(ガラスを割れ!)

「表現したい」という意欲があっても、技術が伴わなければその意志は半分も実現できないだろう。欅坂46のメンバーは、ダンス経験者ばかりではない。むしろ、ダンス経験者は少ないはずだ。後でも触れるが、平手友梨奈はバレエをやっていたが、「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」の中で、バレエに限らずピアノやバスケについて、【やらされてて】【やめたくてやめたくて。練習も全然していかなかったし。】と発言している。そういう意味で、欅坂46に加入以前に技術的に高いレベルを持っていた、というわけではなさそうだ。それでもメンバーたちは、努力を積み上げ、表現のために必要不可欠な技術を身に着けていったのだ。

欅坂46がデビューする前のダンスレッスンについて、こんな文章がある。

【レッスンでは毎回さまざまなジャンルのダンスを学んだ。ヒップホップダンスやジャズダンスなど、どれも難易度の高いものばかり。アイドルらしいカワイイダンスを練習することはほぼなかった。「私たちは一体どこを目指しているんだろう…」。そう不安に思っていたメンバーもいたという。ハードなレッスンに逃げ出したくなるときもあったが、それでも彼女たちは毎日汗を流しながら必死にしがみついていった。その地道な練習が、やがて大きな花を咲かせると信じて。】「BRODY 2016年12月号」

<キレイな川に魚はいないと
したり顔して誰かは言うけど
そんな汚い川なら
僕は絶対泳ぎたくはない>(エキセントリック)

運営側は当初から、「ダンス」を主軸に考えていたことが分かる文章だが、メンバーとしては自分たちの先行きがどうなるのかまるで見えなかったことだろう。しかしここでダンスの基礎を目一杯叩き込まれたからこそ、今の「表現者」としての立ち位置を確固たるものに出来たと言える。

TAKAHIRO氏は、欅坂46のメンバーと初めて会った時のことについて、こう話している。

【このプロジェクトが始まる際、スタッフの方たちに『この子たちは自分たちの意思で道を切り拓いていくグループになると思う』と言われていたので、控えめなご本人を見て事前に抱いていたイメージとのギャップを感じました。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

<君は君らしくやりたいことをやるだけさ
One of themに成り下がるな
ここにいる人の数だけ道はある
自分の夢の方に歩けばいい
見栄やプライドの鎖に繋がれたような
つまらない大人は置いて行け>(サイレントマジョリティー)

そんな彼女たちが、「伝わるダンス」を出来ることについて、彼は【やはり圧倒的な歌詞特化グループだからじゃないでしょうか。】「BRODY 2019年4月号」と指摘する。僕自身も欅坂46の楽曲の歌詞に惹かれているから、この指摘はその通りだと感じる。そしてその認識は、メンバーとも共通している。

●●●●●「歌詞」を「伝える」ための欅坂46●●●●●

【月日とともに垢抜けていくのも大事だと思うんですけど、いただいた曲と歌詞の世界観をいつまでも大切にし続けられるグループでありたいなって。一般的に『欅坂って笑わないんだよね?』とよく言われる通り、そういうイメージがあると思うんですけど、それは楽曲を大事にしてきたから、3年経ってもそういうふうに見てもらえているんだなって、私はプラスに捉えています。】「BRODY 2019年7月号」(石森虹花)

【みんなで歌詞の解釈を一行ずつ考えていったり、そういうことの積み重ねがパフォーマンスに出ているんだと思います。】「BRODY 2019年4月号」(菅井友香)


他のアイドルがどういう意識で楽曲に向き合っているのか、具体的には知らない。しかし、ごく一般的なイメージとして、やはりアイドルというのは「(視覚的に)どう見られるか」を重視してしまうはずだ、と僕は感じる。しかし欅坂46の場合は、「歌詞の世界観を表現する」ことが第一に来る。そのためなら、視覚的な見られ方は捨ててもいい。実際に欅坂46のMVでは、女性アイドルとは思えないような振り付けが普通に登場する。『エキセントリック』も非常に好きな曲だが、このMVの中の振りなど、「女性アイドル感」を一切感じさせないものになっていると僕は感じる。それが歌詞の世界観を伝えるためであれば、彼女たちは何を切り捨ててでもそれを優先出来る。それは、元乃木坂46の橋本奈々未のこんな発言にも表れているし、「坂道グループ」というアイドルの特色と言えるかもしれない。

【かわいく明るく撮ることを優先しているアイドルグループは多いと思うんですけど、乃木坂の場合、メンバーは「かわいく撮ってもらいたい」とはもちろん思うんですけど、求められるのはそこじゃなくて作品としての完成度が優先されるというか】「MdN 2015年4月号」

「伝える」ということについて、欅坂46のメンバーは恐ろしいほどにストイックだ。例えば守屋茜は、音楽番組でのカメリハなどの場面におけるこんなエピソードを語っている。

【欅のダンスってすごく体力を使うけど、だからといって手を抜けるものでもなくて、いつもそこの計算が難しいんです(笑)。だからよく「軽くでいいですよー」と言われたりするんですけど、その“軽く”っていうのができないんですよね。欅のダンスを軽くすると確認にならないですし。】「BRODY 2019年4月号」(守屋茜)

練習で全力を出さなければ本番で100%が出せない、という話はよく聞くが、これはそれとはまた違う話だろう。彼女たちは、普段の練習で全力を出しているはずだ。カメリハなどは立ち位置を確認するなど目的であって、「練習」とはちょっと性質が違うはずだ。しかしそういう状況でも、彼女たちは全力でやってしまう。それはつまり、「全力である」ということが彼女たちの「表現」に大前提として組み込まれているということだ。「表現」の確認のために「全力である」ことを捨てられないという意識が、恐らくメンバー全員に浸透しているのだろうし、その共通意識が、彼女たちを「表現者」として高みへと連れて行く一因になっているはずだ。

また、「表現」のために全力を注ぎ込むことについて、佐藤詩織は「NHK紅白歌合戦だからと言って特別気合いを入れたわけでもなく、どこでも気を抜かずに表現したいと思える特別感を感じている」と語った後でこう続けている。

【―その向き合い方って、どうやって培われたものなんでしょうね?
やっぱり最初から全員選抜っていうのも大きいのかな。卒業した子はいるけど、曲を作り上げていく過程でみんなずっと一緒だったので、すべての感情を全員が味わっているわけじゃないですか。すべての過程や気持ちを共有しながらここまで来たので、同じような気持ちになるのかなと思います】「BRODY 2019年4月号」(佐藤詩織)

欅坂46にも2期生が加入し、既に状況は大きく変わっているだろうが、「全員選抜」という、48グループ・坂道グループでは異例のスタンスが、メンバーに与える影響はもちろん大きいだろう。「選ばれるか否か」という、アイドルとしてはある種避けがたい状況が存在しないというのは、「アイドル」というものの見せ方としては恐らく不利にもなるはずだ。「選ばれるか否か」ということに、物語が生まれる余地があったり、ファンの応援の仕方に変化が出たりもする。それを捨てることで彼女たちは「表現」に全力投球できる、という意識がある。

また、同じ選抜であっても、ポジションの問題がある。しかしこれについても守屋茜がこんな発言をしている。

【―それから、欅坂46はほかの大人数アイドルグループと違って、ポジションに対する概念も異なるなと。(中略)
それこそTAKAHIRO先生がそこまでしっかり考えて作ってくださっているので。どこにいてもそれぞれに役割があるし、曲によってフォーメーションがすごく移動することもあるので、そういう意味で言うと最初からどこにいても関係ないし、どこに行ってもやることは変わらないと思います。】「BRODY 2019年4月号」(守屋茜)


やはり、「全員で表現するのだ」という、メンバーや欅坂46を取り巻く面々の強い意識が、欅坂46という「表現者集団」を生み出し、成立させ続けていると言えるだろう。

●●●●●「世界に没入する」平手友梨奈の存在感●●●●●

しかしやはりその中でも、不動のセンターである平手友梨奈の存在は欠かすことはできない。

平手友梨奈は既に、「欅坂46の平手友梨奈」以外の評価もされている。2017年12月6日放送に『FNS歌謡祭』で平井堅の『ノンフィクション』に合わせて平手友梨奈が行ったパフォーマンスの振り付けを担当した振付ユニット・CRE8BOY(山川雄紀と秋元類)は、パフォーマーとしての平手友梨奈をこう評価している。


【秋本 今の時点で彼女は完成形だと思います。足りないところはないんじゃないかな。将来はダンサーとして世界に出ていくことも出来るでしょう。言葉が通じなくても心に直接訴え掛ける表現が出来る人ですから。将来が楽しみである反面、このままでいてほしいという気持ちも正直あります
山川 平手さんのパフォーマーは、今この瞬間でないと観られない輝きがあるんです。今後は、共に踊る人と響き合うようなタイプのパフォーマンスにも挑戦してほしい、でもそれをすると「今の平手友梨奈」はいなくなってしまうかもしれない。だから余計なアドバイスはしたくないです(笑)】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

個人としてこれほど高い評価を得ている平手友梨奈という存在抜きには、欅坂46を語ることは出来ないだろう。

平手友梨奈の凄さについては、多くの人が語っているが、その凄さの核にあるのが、「世界に入り込む」ということだ。

【TAKAHIRO 特に、歌詞については最も大切にしていて、平手さんは深く考えています。そして毎回、パフォーマンスをする中で『今回は“僕”(私)の気持ちに出会うことが出来た』とか『今日は、曲の途中で少し“僕”(私)が遠ざかってしまったから、次は…』など自問自答を繰り返します。平手さんがパフォーマンスの良し悪しを判断する際は、『私がうまく出来た』や『私がカワイく映った』ではなくて、『この歌詞の中で生きている人物にちゃんと出会えて、どれだけその人物になれたか』ということが主体になっていると思います。

(中略)作り込まれたライブや作品を作り物ではないドキュメンタリーの世界に変えてしまう力が、平手友梨奈という表現者の大きい魅力のひとつだと思っています】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

<自らの真実を捨て白い羊のふりをする者よ
黒い羊を見つけ 指を差して笑うのか?
それなら僕はいつだって
それでも僕はいつだって
ここで悪目立ちしてよう>(黒い羊)

平手友梨奈に関する記述を読むと、多くの人がこういう表現で彼女の凄さを語る。僕らは、表現の受け手であり、完成されたものしか見ることが出来ない。もちろん、それら完成されたものからでも、平手友梨奈という人間が、どれだけその世界に没入しているのかということを、感覚的に理解することは出来る。しかし、作り手側は、彼女が世界に没入しているまさにその様を間近で見ている。そして、そういう作り手たちが、平手友梨奈という人間の、世界に入り込んでいく深さみたいなものに打たれていく。TAKAHIRO氏は、

【自分とグループの置かれている“今”が歌になって反映されていく。欅坂46は“今”だからこそ強く伝えられる歌を届け続けていると思います。そういう意味では、デビュー曲が『不協和音』でも、最新作が『サイレントマジョリティー』でもここまでは表現できなかったかもしれません】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

とまで語っている。

映画「響」の監督・月川翔、助監督・後藤幸太郎、企画・小野田壮吉の三人も、世界観に没入する平手友梨奈を絶賛している。

【小野田 でも、あそこまで完璧に響でいられたのは、やっぱり原作を読み込んで、響の気持ちを完全に理解していたからじゃないですか
月川 だからセリフが飛ぶこともなかったし、芝居もね。モニターを覗きながら、平手友梨奈でこの映画を撮れていることが幸せだと実感する場面がいくつもあったよ
後藤 おれがすごく覚えているのは、仲違いしていた凛夏(アヤカ・ウィルソン)が謝ってくる場面。響はただ『お帰り』と返すだけなんだけど、その表情で全てが一掃されたことが伝わってきた。その表情には、その場にいたスタッフ全員が『すげぇな…』と圧倒されてましたよね
月川 あの表情を撮れたら、もうこの映画は勝ちだな、とすら思ったね】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

『響』は平手友梨奈にとって初主演映画であり、役者としての素質は未知数だった。後藤氏は『響』の撮影において、【正直、最初は平手さんに懐疑的なスタッフもいたんだよ。それこそ目も合わせてくれないし(笑)、本当にこの子で大丈夫なのかって。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」と、平手友梨奈の役者としての力量を疑問視するような雰囲気があったと話している。まあそれはそうだろう。確かに欅坂46という話題になっているグループのセンターだが、まだ15,6歳そこそこに女の子であり、演技の経験だってない。『響』については、原作者が「映画化するなら平手友梨奈しかない」と言ったというエピソードがあるが、そんな風にして決まった配役に疑問を抱く人がいても不思議ではないだろう。しかし後藤氏はその後、

【後藤 でも撮影が進むに連れて、誰もが平手さんに惹かれていくのが目に見えてわかった。クランクアップの日は割と最小限のスタッフで撮れるシーンだったから、普通なら持ち場をバラして帰ってもいいんだけど、全スタッフが平手さんのアップを待ってたよね】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

と語っている。現場の雰囲気がいかに一変したのかが、非常によく理解できるエピソードだ。

<君は君らしく生きて行く自由があるんだ
大人たちに支配されるな
初めから そうあきらめてしまったら
僕らは何のために生まれたのか?
夢を見ることは時には孤独にもなるよ
誰もいない道を進むんだ
この世界は群れていても始まらない
Yesでいいのか?
サイレントマジョリティー>(サイレントマジョリティー)

『響』についてもう少し触れていこう。平手友梨奈は、スタッフから称賛されるほど、主人公である「鮎喰響」になりきっていたわけだが、そんな彼女は現場に台本を持っていかなかったという。

【後藤 そもそも現場に台本を持ってきてなかったよね。若手の子には『現場には台本を持ってくるな』っておれから言うことが多いんだけど、平手さんには最初から不要だったね
小野 やっぱり、前日とかに相当台本の練習をしてきてたの?
平手 練習というか、一応撮影するところは読んでいきましたけど…
月川 台本というか、平手さんは原作の読み込みも深かったと思う。クランクイン前のディスカッションでも、『原作でこんな場面がありましたよね』ってスッと出てきて、それが台本に反映されたこともあったし
(中略)
月川 ここまで原作を読み込んでくる役者さんって、滅多にいないんだよね。どちらかというと台本のほうを読み込んでくる人のほうが多いから】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

平手友梨奈は本当に鮎喰響が好きだったのだろう。だからこそ、自然と鮎喰響として生きることが出来た。平手友梨奈が鮎喰響をどれほど好きだったかという、特異なエピソードがあるので紹介しておこう。

【とーやま 『響』の撮影が全部終わった時は、平手友梨奈の中にはどんな感情があった?
平手 「ずっと響でいたい」。名前も、改名したかったです。鮎喰響になりたかった。
とーやま マジか!
平手 秋元さんに言いましたもん、「改名したい」って。そしたら「いいよ」って言ってました(笑)
とーやま いいんかい!!「欅坂46の鮎喰響です」って言われても、こっちは戸惑いしかないからね。
平手 えー。ちょっと面白いじゃないですか。
とーやま マンガを書いてる柳本(光晴)先生が困ると思うよ(笑)
平手 確かに、柳本先生は困るかもしれない(笑)。
とーやま でも、それぐらい本気で思ってるってことだもんね。
平手 うん、思ってました。今もちょっと思ってるけど。たぶん、その気持ちは消えないと思う】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

<敬遠されたって 好きなように生きてくよ
カメレオンみたいに同じ色に染まれない>(エキセントリック)

その世界に没入できるかどうかということが、平手友梨奈という表現者にとっては最も重要なポイントだ。だからこそ、『黒い羊』のMV監督である新宮氏もこう言っている。

【新宮 平手さんとも、作品を重ねるごとに会話する量が増えています。それは彼女が歌詞を本当の意味で理解しないと、パフォーマーとして打ち込めないというのがあると思うから。だから、彼女が納得するまで何時間も話すようになりました】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

●●●●●平手友梨奈への絶大な信頼感●●●●●

パフォーマーとしての平手友梨奈に対する、作り手側の信頼感は非常に大きい。例えば『黒い羊』のラスト、他のメンバーと向い合せになって平手友梨奈がたった一人で踊るシーンがある。このシーンについて新宮氏は「賭けだった」と発言している。

【新宮 僕はTAKAHIROさんと「ここは1つの賭けになるね」と言ってたんですよ。「ここで平手さんが踊れなかったら、このMVはダメだ」って。現にあそこが一番時間かかっているし、本人のマインド的にもみんなの前で自分をさらけ出す作業って、ある意味で羞恥プレイでもある。でも、そこを“僕”というものになりきってパフォーマンスし切った彼女は並大抵じゃない。だって自分にも重ねるところがあるわけですし、普通は踊れないですよ。ここを踊りきったことで、彼女は何かを1つ超えた部分があると思うんです。】「BRODY 2019年4月号」

MVにおける最も重要なシーンを、平手友梨奈に賭ける。新宮氏もTAKAHIRO氏も、平手友梨奈にはそう期待するだけの価値があると感じているということだ。

そもそもMVにおいて平手友梨奈は、ほとんど指示を受けていないらしい。

【とーやま (『アンビバレント』のMVについて)どういうディレクションを受けてるの?
平手 最近、放っておかれてるんですよ、私。
とーやま 放っておかれるって、どういうこと(笑)
平手 私ってだいたい、ダンスだったり、動きがみんなと違うんですよ。もちろん、「このタイミングでパンチ」っていうアクションの指示はもらいますけど、基本は自由なんですよね。
とーやま 自分でその時に思った動きをするってこと?
平手 はい。イントロのひとりで歩いてるところとか、若干の振りはあったけど、監督からは「感じたままやって」って。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

<リードで繋がれなくても
どこへも走り出そうとしない
日和見主義のその群れに
紛れていいのか?>(ガラスを割れ!)

前述したが、やはりパフォーマーとしての平手友梨奈が、どんなものを出してくるのか見たい、という気持ちが強いということだ。作り手側にそういう気持ちがあるからだろう。『エキセントリック』のMV監督を務めた池田一真氏も、MVのラストを平手友梨奈に委ねた。しかも、「絶望か希望かを選ぶ」という、MV全体の核に関わる判断を彼女に任せるのだ。

【『海の向こうに街があって、それを見たときに絶望を感じるのか、希望を感じるのか、選んでください』という話を僕から平手さんにしたんですね。彼女が自分で解釈したものをそのまま撮りたいから。そしたらこの時、平手さんは希望を選んだんですよ。海があるから先に進めないっていう絶望ではなく、海の向こうにある知らない世界を発見したことへの希望を。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

しかも、何故「希望」を選んだのかについて、平手友梨奈とのこんなやり取りを語っている。

【MVで海の向こうに見えている街は幕張だったんですけど、撮影当時は僕が適当に『横浜のほう』って言ったんです。そしたら『不協和音』のロケ地が山下埠頭だったみたいで、平手さんが『「不協和音」に繋がるから、ポジティブな気持ちで観たい』って言ったのが印象的でした】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

TAKAHIRO氏は平手友梨奈について、【私が感じている平手さんの魅力は、とてもとても欅坂46のことを考えているということです。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」と語っているが、まさに、常に欅坂46のことを考えているからこそ、こういう発想が生まれるのだろう。また『黒い羊』においては、監督に提案さえしている。

【―すごく印象に残ったのが、幼少期の“僕”が家族に誕生日を祝ってもらうシーンです。あれは何なんだろうと。
新宮 元々このシーンはなかったんです。そしたら平手さんが「幸せを感じるものが少しあった方がいい」と。その話を聞いて「すごい子だな」と思いましたね。1階から2階の廊下までが、「全部僕のせいだ」って2サビまで“僕”に言わせるための舞台装置なんですが、確かに“僕”の存在を肯定する要素が必要でした。】「BRODY 2019年4月号」

<君はYesと言うのか
軍門に下るのか
理不尽な事とわかっているだろう
君はYesと言うのか
プライドさえも捨てるか
反論することに何を怯えるんだ>(不協和音)

これも、世界観に没入する平手友梨奈だからこそのものだろう。表現するということを常に最優先にしているからこそ、「これがなければ伝わらない」というものが見えてくる。後で触れるが、この発想は、「彼女自身がこういう表現をしたい」という意志の表れではなく、「こういう世界観を打ち出すのであればこう表現すべき」という提案であり、平手友梨奈の凄さの一旦は、「表現の核に自分自身がいないこと」でもある。

また、振付ユニット・CRE8BOYの山川氏は、平手友梨奈のことを「いちアイドル」として見ていないということが伝わるこんな発言をしている。

【山川 普段アイドルの振り付けは本人の技量を鑑みながら、どこまで出来るかを考慮に入れなければならない。でも「平手さんなら大抵のことは出来るだろう」と判断したので、そうした面で動きを制限する必要はありませんでした。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

これら、作り手側の絶大なる信頼感の最大値を成すものとして、『響』の監督のこのエピソードに勝るものはないだろう。

【小野田 クランクアップまで本当に順調でしたよね。だけど、CGはけっこう時間がかかりましたね
月川 それは、少しでも妥協したものは絶対に平手さんに観せられないと思ったから。平手さんにはそういうことも全部見透かされそうな気がして。だから、自信がないときは会いたくないんだよね(笑)
平手 確かに、人が自信がないときって何となくわかります
後藤 こえーなあ(苦笑)。大人の世界では納得出来なくても、イエスと言わなきゃいけないときもある。でも、そこでちゃんとノーと言って闘えるかどうかなんだよね、モノづくりって
月川 それはこの作品が描いていることでもあり、平手さんの振る舞いが周りの大人に影響を与えたところでもある。本当にこの映画は完全に自分にとっての転機になってしまって、モノづくりをしているといつも頭の片隅にチラつくんですよ。もしこれを平手さんが観たら、何て言うだろうって
平手 私が思うのは、大人の世界にはいろいろあるとは思うんですけど、負けてほしくないんです。監督さんだけじゃなく、その映画に関わったスタッフさん一人ひとりが伸び伸びと映画を作れることが一番いいんだろうなって。まるで学生が映画をつくるときのように…。監督の次回作も、絶対に観ます。後藤さんも小野田さんも関わる作品は教えてくださいね。ちゃんと感想をお伝えしたいから
月川 怖いけど(笑)、でももしダメだと思ったときは正直に言ってよね
平手 はい、ちゃんと言います(笑)】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

<白い羊なんて僕は絶対なりたくないんだ
そうなった瞬間に僕は僕じゃなくなってしまうよ
まわりと違うそのことで誰かに迷惑かけたか?
髪の毛を染めろと言う大人は何が気に入らない?
反逆の象徴になるとでも思っているのか?
自分の色とは違うそれだけで厄介者か?>(黒い羊)

僕は正直このインタビューを読んだ時、大袈裟ではなく心が震えた。平手友梨奈というのは、確かに主演として重要な立ち位置を占める存在ではあるが、とはいえ一人の10代の少女でしかない、とも言える。そんな存在に対して、「少しでも妥協したものは絶対に平手さんに観せられないと思ったから」と言える大人も凄いと思うし、言わせる平手友梨奈も凄いと思う。「もしこれを平手さんが観たら、何て言うだろうって」頭にチラつくほどの存在感を、たった一作の映画で示してみせた平手友梨奈に、作り手が圧倒的な信頼感を寄せるのは、当然と言えるだろう。

●●●●●平手友梨奈の努力と葛藤●●●●●

そしてその信頼感は、「表現そのもの」以外の部分の積み重ねによっても生み出されているものだ。

【秋元 平手さんはとにかく練習熱心でした。反応がすごく素直で、こちらが言ったことをすぐに吸収してくれる。特に意見を言うわけではないけれど、一つひとつ納得しながら進めていくタイプなのだと思います。
山川 振り付けの解釈はすごく尋ねられた印象があります。歌の解釈と振り付けのリンクをとても重視しているようでした。練習中はとにかく振りを覚える作業に徹して、身体の使い方も真面目。動きに変な癖もないので、振付師が共に仕事をするには理想的なパフォーマーだといえます。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

【後藤 だってセリフが飛んだことなんて、一度もなかったじゃない。
月川 なかったね。セリフが止まるのは何かに納得がいかないとか、意味が通らないときだけ。で、その場でセリフを足したり、変更したりしても、メモとか一切取らずに、納得したら『わかりました』と芝居に戻っていく
後藤 今だから言うけど、当初はこのセリフ量に耐えられるのかがすごく不安で。それは平手さんだからじゃなくて、普通に考えて10代の女の子がはじめての映画で、しかもこんなに多くのキツいシーンに向き合ったら、絶対に音を上げるだろうと思ってたの】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

平手友梨奈は何故か(「何故か」と表現したくなる理由は後で説明する)、「基礎力」とでも呼ぶべきものが高い。バレエを多少かじってたとはいえ本格的にやっていたわけでもないはずだし、パフォーマンス的なダンスは恐らく欅坂46に入るまで未経験だっただろう。しかしそれでも、プロに「理想的なパフォーマー」と言わしめるほどの「基礎力」を持っている。演技にしても同じで、初主演映画で膨大なセリフがある中で、セリフを飛ばすことが「一度も」ないという、ちょっと考えられないような振る舞いを見せる。守屋茜もこんな風に平手友梨奈の「基礎力」の高さを表現している。

【特に『不協和音』のMV撮影がすごく記憶に残っていて。同じシーンを何テイクも撮るじゃないですか。ほかのみんなはカメラが回るギリギリまで振り確認をしているんですけど、平手だけはすでに曲の世界観に集中しているのか、もう“入って”いるんですよ。それを見たときに「ああ、こういうことなのか」と思ったことがありました】「BRODY 2019年4月号」(守屋茜)

他のメンバーがギリギリまで振り入れをしている時に、彼女だけはその次元を超えてしまっている。ずっとセンターを務めてきた彼女は、恐らく他のメンバーよりも覚えることが多いはずだ。それにも関わらず、その段階はあっさり突破してしまう。何故か持っている、この「基礎力」の高さは、平手友梨奈にとっての大きな強みと言える。

しかし、「表現」を突き詰めるように突っ走ってきた平手友梨奈もやはり、葛藤を抱えているように見えるようだ。欅坂46の表題作のMVを多く撮る中で、平手友梨奈の成長を見てきた新宮氏は、

【平手さんを例にとると、彼女はどんどんストイックになっていて、昔ほどスッと入れなくなってきているように僕には見えます。彼女の中にもいろんな葛藤があると思うし、大きな期待を背負いながら、自分に求められているものをワッと出すのはすごい難しいことだと思います。】「BRODY 2019年4月号」

【彼女はこの2年ちょっとで急成長したことで、昔の荒削りさとか失ったものもあると思います。そういう意味では“丸く”なった部分もあるんですけど、僕もTAKAHIROさんもそれがイヤなんですよね。だから、「思い出せ!」ってテンションで叫ぶんだと思います(笑) そうやって、今の本人で撮れるものを出来るだけ引き出してあげたいなと。ハマった時はすごいことを僕たちこれまでの現場で何度も見て知っているし、ファンのみなさんもそういう姿を観たいわけですからね】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

と語っている。「周囲からの期待」というものが、どれほど彼女の「表現」に影響を与えているのか窺い知ることは困難だが、「表現者」としての平手友梨奈が壁にぶつかっていると新宮氏は感じているようだ。というかまあ、それは、我々が平手友梨奈という存在に対して過剰に期待しすぎているだけとも言える。何にせよまだ彼女は、20歳にもなっていない少女なのだ。平手友梨奈に大きなものを背負わせながら、それでもそれを乗り越えてほしいという過大な期待こそが、彼女がぶつかっている「壁」の正体と言えるかもしれない。

<今あるしあわせにどうしてしがみつくんだ?
閉じ込められた見えない檻から抜け出せよ>(ガラスを割れ!)

●●●●●メンバーが見る「平手友梨奈」●●●●●

そんな平手友梨奈を、メンバーはどう見ているのか。

【―2人も自分さえよければいいという考え方じゃないですよね
でも、その空気を作ったのは平手だと思うんです。先頭を切ってる子がそういう気持ちだから、他の子も「私もメンバーの役に立ちたい」と思える。最初の頃は他のメンバーに「負けたくない」という気持ちが強い子もいたと思うけど、平手の行動を見てると、誰も「自分さえよければ」とはならないはず】「Top Yell 2018年1月号」(原田葵)

【てちの存在って、すごく大きいと思います。私たちがパフォーマンスについて深く考えるようになったのも、てちが先陣を切って歌詞と向き合って、その先を行く表現をしていたから。一緒にいるのといないのでは、なにかが大きく違う気がする。】「BRODY 2019年4月号」(菅井友香)

メンバーはこのように平手友梨奈を評価しているが、実は平手自身は、「欅坂46の中の平手友梨奈」というあり方に葛藤を抱えている時期もあった。

【私に直接言う子はいないけど、メンバーによっては「(MVに)私、映ってないから…」と漏らしている子もいるみたいで、そういうのを聞くと、それはまあそうだよなぁ、と思うし。だから、悩みとかも、人には言わないようにしてるんです】「AKB新聞 2016年12月号」

まあそれはそうだろう。最年少メンバーとして欅坂46に加入し、デビュー作からずっとセンターを務めてきた彼女は、当然、自分の立ち位置に悩み続けてきたはずだ。孤独も感じるだろうし、「自分ばかりが注目されてしまっている」という状況への複雑な感情も抱いていたという。しかし、欅坂46として活動をしていく中で、少しずつ変化してきた。

【この前ずっと聞けなかった『私のこと、どう思ってる?』ってことを、守屋と志田と鈴本の3人に聞けたんです。そうしたら『てちは本当に頑張ってくれてるから』って言ってくれて、うるってきちゃいました。】「BRODY 2016年12月号」

【ああ、1コ言えるのは、メンバーという存在が大きいかもしれない。メンバーを見られるようになったというか、しゃべれるようになったというか、受け入れてもらえるようになったというか。うまく説明できないけど、メンバーが話しかけてくれるようになったので、ツアーを通じて。メンバーに心を開けるようになったのかなあ…。今までは私はちゃんと見てなかったんだなっていう】「ロッキンオンジャパン 2017年12月号特別付録」

<誰かと一緒にいたって
ストレスだけ溜まってく
だけど一人じゃずっといられない>(アンビバレント)

平手友梨奈がどんな葛藤を抱きながら生きてきたのかはまた後で追っていくことになるが、彼女は、

【なんか、自分が生きてきたと思えない。思いたくない。だかもう、それこそ、欅坂に入ってからスタートした、みたいな感覚が大きいかな】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

と発言しており、欅坂46の活動を通じて様々な感情に出会い、それが「表現」に活かされているということだろう。それもまた「表現者」としては、非常に特異な立ち位置ではないかと思うのだ。

●●●●●「楽曲が合ってくる」という感覚●●●●●

そんな彼女は、欅坂46の楽曲に対して、「楽曲が合ってくる」という表現をしている。

【ちょうどそう思っていた時にいただいた曲がまさにそういうことを歌った曲だったり、だからこそ表現しやすかったり。『成りきる』とか、最近だと『憑依型』って言われるけど、成りきってるわけじゃなくて楽曲が合ってきちゃってるので、そのままの自分っていう感じでもあります。】「ロッキンオンジャパン 2017年12月号特別付録」

【周りのみんなからの視線をすごく感じる時もあったし、いつも何かを言われているような気もしたし、誰ともしゃべりたくなかったし。そんな時期に“不協和音”っていう曲が来たので『え?』とは思わなかったですよね。普通に『うんうんうん』『これ、私の気持ちじゃん』みたいな感じになって歌いました
―時には曲の世界に自分を近づけていく作業が必要だと思うんだけど、“不協和音”に関しては「今の私のままだ」という感じだったんですか?
“サイマジョ(サイレントマジョリティ)”から、自分が思ってることがそのまま曲になってたので、あまり自分から成りきろうみたいな感じではなかったです。】「ロッキンオンジャパン 2017年12月号特別付録」

まさにこれこそが、「欅坂46」というグループの一番の核なのだと僕には感じられる。作詞の秋元康が、平手友梨奈に当て書きをしたのか、あるいはたまたまだったのか、それは僕には分からないが、秋元康の歌詞が平手友梨奈の感覚と一致した。そこから欅坂46は始まったのだと思う。TAKAHIRO氏の「デビュー曲が『不協和音』でも、最新作が『サイレントマジョリティー』でもここまでは表現できなかったかもしれません」という発言は前述の通りだが、平手友梨奈の感覚からもそのことが窺い知れるだろう。平手友梨奈という、何故か「基礎力」がメチャクチャ高いパフォーマーがいて、そのパフォーマーの感覚にピタリと寄り添う歌詞が存在したことで、平手友梨奈の中で「表現したい」という欲求が生まれた。その燃料がなければ、きっと欅坂46はここまでの成功を収めることは出来なかっただろう。

●●●●●「没入できない」という葛藤●●●●●

とはいえ、だからと言って曲の世界観に簡単に入り込めるのかと言えば、そうでもないようだ。平手友梨奈は、「“今”の自分に合っている」と言っている。『サイレントマジョリティー』の時の自分と『不協和音』の時の自分は違うのだから、「その時」はすっと曲の世界観に入ることが出来ても、日によっては入れないということになる。

【逆に言えば“不協和音”は気持ちが入ったり、その世界に行かないとできないです。だから、できる時とできない時がだいたいわかるので、(ライブで)『今日はできないな』と思ったらできないし、やれるとしても自信はないですし、もうあの時とはモードが変わってるので、その点については大変だったりはしますね
―“不協和音”という曲は本当にすごい曲だと思うんだけども。というのも、ただ歌詞を追って歌うだけでは成立しない曲ですよね。自分の何かを削らないと成立させられないという。
どうだろう、今の自分ではわからないです。その人にならないと何考えてるのかわからない
―曲のなかの「その人にならないと」という感じなんだ、“不協和音”を歌う時は。
はい。『あの子』っていう表現のほうが合ってるのかもしれない。『あの子、すごいなあ』とか思います。だからライヴが大変です
―ロック・イン・ジャパンの時も最後まで“不協和音”をやるかやらないか悩んでくれてたもんね。
自分のなかで勝負に行かなきゃいけない場っていうことはわかってたし、だからできるだけ今までのツアーのなかでやってこなかったんです。スタッフさんも理解してくださったので。で、ここでやってしまったら、できたらすごくいい気分になるけど、できなかったら心が折れるから、そうなった時にどうなるかが自分でもわからないから、ほんとにギリギリまでスタッフさんと相談しました】「ロッキンオンジャパン 2017年12月号特別付録」

<僕はYesと言わない
首を縦に振らない
周りの誰もが頷いたとしても
僕はYesと言わない
絶対沈黙しない
最後の最後まで抵抗し続ける>(不協和音)

初めてこのインタビューを読んだ時に、平手友梨奈は凄いなと感じたものだ。なにせこのインタビューによれば、「ツアーで『不協和音』をやらない」のは、平手友梨奈の感覚次第、ということあからだ。平手友梨奈が「出来ない」と言えば出来ない。そうスタッフが納得している、ということだ。平手友梨奈に対するそういう理解が根底にあるのだろうとはいえ、これは非常に勇気の要る発言だ。一歩間違えれば、ワガママに受け取られかねない。「『不協和音』はやりたくないんです」というワガママに。もちろん、平手友梨奈にとってはそうではない。「あの子になれるかどうか」という瀬戸際で、常に彼女は葛藤している。しかし普通なら、そういう葛藤を抱えながらも、「自分の感覚一つで、『不協和音』をライブでやるかどうか決まっていいはずがない」と考えてしまわないだろうか?僕なら、無理かなと思う。「出来ません」と伝える勇気を持つことが、非常に難しいだろうと思う。しかし平手友梨奈は、あくまでもベストな表現が出来るかどうかにこだわる。それが、「楽器の不調」など外形的に理解しやすいことではなく、「あの子になれるかどうか」という非常に感覚的な事柄であっても、平手友梨奈は、中途半端な表現をするくらいなら表現しない方を選ぶという勇気がある。その凄さを、僕は感じたのだ。

とはいえ、そういう葛藤に苦しみつつも、やはり平手友梨奈には「メッセージ性」が必要だ。次の発言は、『風に吹かれても』についてのものだが、

【でもやっぱり、すごい強いメッセージ性がないと落ち着かない自分もいます。“不協和音”はカメラに向かって『嫌だ』とか『もっと反抗していいんだよ』っていうメッセージを伝えてたけど、『今は何を伝えたらいいんだろうなあ』ってちょっと思いますね】「ロッキンオンジャパン 2017年12月号特別付録」

というのは、「自分自身が追い詰められるほど辛くても、訴え掛ける強烈なメッセージ性が自分には必要だ」という認識を改めて確認したということだろうし、やはり平手友梨奈の核には「表現欲」がしっかりと根を張っているのだということを実感させてくれる。

●●●●●「表現欲」に気付いてしまった平手友梨奈●●●●●

【―表現欲はやっぱり失えない?
うん…欅坂は、ずっと、世の中に何かを届けていくグループだと思ってるから、それがなくなったら、終わりかなあって思う
―表現したいっていう気持ちがなくなったら?
うんうん
―もう、平手はいる意味がなくなっちゃうんだよね、そうしたらきっと。
うん】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

【― 一番最初にインタビューさせてもらった時に、「とにかく表現するのが楽しいんだ」って言っていたよね
うんうん
―あの時に、僕は思ったわけですよ、「欅坂はこの人にとって呼吸装置なんだなあ」って。で、きっと本人もそう思ってたと思うんだよね、あの時。
たぶん、思ってた。早く表現したいって思ってた】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

インタビューアーの「呼吸装置」という表現は実に的確だと感じる。後で見るように、平手友梨奈の生い立ちなどを知ると、「彼女は欅坂46に入っていなかったら、一体どんな風に生きていたんだろう?」と心配させるほどだ。何故こんな生き方をしてきて、「欅坂46の平手友梨奈」という「強烈な表現者」が生まれ得たのか、疑問に感じてしまう。彼女自身も、「欅坂46で初めて感情というものに出会った」という驚くべき発言をしているし、それを「表現のレパートリーが増えるという意味ではいい」という、なんともドライな捉え方をしている。

【―きっと、平手という人が人生で初めて自分を形作っているもの(※表現欲)に気づいた瞬間だと思うんだよね。たったひとつだけど、自分自身の中には「これがある!」っていうものに初めて気付いた。
それはそうだと思います
―それは自分にとって嬉しいことだったのか、「厄介なものに出会ってしまった」だったのか、驚きだったのか。どういう感覚だったのかが知りたい。
え、全部なんじゃないかな。たぶん。嬉しいこともあったんだろうし、つらいこともあったから。それは今も変わらずあるし…うん。初めて感情っていうものに出会ったかもしれないです、欅坂に入ってから
―自分自身の中に湧き上がってくる感情に、ってこと?
うん。人と触れて感じる感情も、すべてを含めて、ここで出会ったんじゃないかなとは思います
―驚いた? 自分の中にある怒りとか。
ああ、なんて言うんだろ、知らないことが多すぎて。今でもびっくりします。話がわかる人、波長が合う人と出会えば嬉しいし、話してて面白いなあって思うし、身近で悲しいことがあれば、悲しいっていう感情を覚えたし、とか。いろんな感情に出会ってるなと思います
―それは、平手にとっていいこと?
表現するにあたっては、いいことだと思います。うん、レパートリーが増えるのかなとは思う】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

●●●●●「無」だからこそ表現できる●●●●●

この発言から見えてくるものがある。何故平手友梨奈がこれほどまでの「表現」が出来るのか、という疑問に対する一つの答えがだ。キーワードは「無」だ。平手友梨奈には何も無いからこそ、あれだけの表現が出来る。それを指摘するのは、とーやま校長だ。

【とーやま 友梨奈ちゃんとは1年以上、ラジオとかでも話させてもらったりしているけど、自分というものがあるようでない人だなって思っているわけ。アンケートで、「自分を漢字一文字で表すと何ですか」って訊かれて、「無」って答えたことがあるでしょ。
平手 はい。「無」ですね。
とーやま 『響』の友梨奈ちゃんを観ていて思ったのは、自分は無で、「響がどう思っているか?」を伝えるのが自分っていう感覚なのかなって。
平手 うーん。でも、『響』は自分が表現したいって思ったから。
とーやま きっかけは、そうよ。そうなんだけど、楽曲のときだってそうじゃん。自分を表現しているんじゃなくて、楽曲の主人公を表現してる。そのときは平手友梨奈っていう存在はいなくなってる、無なんだなって思うわけ。
平手 あっ、それは考えたことあります。あるある。
とーやま 実現するときに、自分がよく見えたいからとか、目立ちたいからっていう気持ちはまったくないでしょ。なんなら目立ちたくないでしょ?
平手 はい。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

【とーやま どこまでも主語が自分じゃないのが、ホントにすごいなとおれは思ってますよ。
平手 主語が自分じゃない?
とーやま 「私が」こうしたいからこうする、とかじゃないんだよ。届けたいと思う誰かがちゃんといて、そのために行動している。
平手 あぁ、確かに誰かがいるかも。
(中略)
とーやま 普通は、最終的に矢印が自分に向いているんだよ。でも、友梨奈ちゃんは矢印が最初から最後まで外に向いている。届けたい対象がいるからこそ、人の心を打つことが出来るんだなと思うよ。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

この指摘は、平手友梨奈という人物を捉える上で非常に本質的なものだと感じる。平手友梨奈が「表現」していることは、「平手友梨奈が伝えたいこと」ではない。「歌詞中の“僕(私)”が伝えたいと思っていること」であり、また「届けたい相手が伝えてほしがっていること」だ。そこに、平手友梨奈自身はいない。そしてこのことは、「表現者」としては非常に異質だと思うのだ。何故なら、何らかの形で「表現者」として存在するためには、一般的には、何かを表現し続けることによって誰かに認められる必要があるはずだし、そしてそのための「表現」は、一般的には、その人自身の個性を伴ったものでなければなかなか認められにくいはずだからだ。しかし「平手友梨奈」という「表現者」は、そういう一般的な登場の仕方をしていない。彼女は、「自分自身を表現することによって見出された人」ではなく、「見出されたことで表現という手段を手に入れた人」なのだ。そして、「表現すべきもの」は誰かが与えてくれた環境だったからこそ、「平手友梨奈自身」を表現する必要性がなかった。平手友梨奈というのは、そういう特異なプロセスによって生み出された「表現者」なのだ。とーやま氏が、「矢印が最初から最後まで外に向いている」と指摘しているのはまさにその通りだと思うし、そして、そのような形で「表現者」として存在できるという奇跡的な環境が、「平手友梨奈」を生み出したと言える。

●●●●●「表現しきれた」に到達できない●●●●●

だからこそ彼女は、恐らく、一生自分の「表現」に納得することは出来ないだろう。「自分自身」を表現しているのであれば、「表現しきれた」という感覚に到達出来る可能性はある。しかし、彼女は常に「誰かのための表現」をしている。しかもその「誰か」は、歌詞中の“僕(私)”という「実在しない人物」であり、また、同じような葛藤を抱えながら生きている同世代の若者という「不幸にも平手友梨奈が日常でなかなか関わることが出来ない人たち」である。平手友梨奈は、そういう「誰か」の「代弁者」という意識を常に持っているはずだ。だからたぶん、「表現しきれた」と言いにくい。「代弁者」である自分には、そういう自己評価をすることは許されない、と感じているのではないだろうか。

【自分のパフォーマンスに満足したことがなくて、毎回やるたびに落ち込むんです。「今日は満足できた!」と思ったことが一度もなくて】「BRODY 2016年10月号」

【や~、すみません(笑)。ほんとすみませんって感じです。やっぱり、自信を持って「かっこいいライブがやれました!」って顔はできなかったです。でも、いつもそんな感じなので…】「OVERTURE 2017年3月号」

また、「欅坂46のセンター」に対しても、彼女が考えるのは、「自分がその立場にいることが、曲にとって正解か否か」ということだけだ。

【―すごく複雑だなと思うんだけど。デビューが決まって、平手はセンターのポジションに立つわけだよね。
はい
―でも、「センターだよ、すごいね!」って言われても、「あ、そうなんですか?」っていう、その気持ちのままここまで来てるわけじゃない。
うん。それは変わってないと思う
―でも、絶対にやりたくないんです、ってことでもないんだよね。
うん、曲を届けるためであれば、って思う。でもそれ以外であれば、やる意味はないなって思います
―「曲を届けるため以外のことだったらやりません」って?
うん。センターに対して、抵抗感はまだ全然あって。できるだけ立ちたくないしって思うけど、うーん、さっきも言ったように曲を届けるため、表現するためであるならば、じゃあやってみます、っていう感じです。本当に自分にやれるかわからないけど、やれるだけやってみますって感じです。でも、大体『ごめんなさい』ってなっちゃう、毎回。ちゃんと届けられなくてすいません、って毎回なっちゃう
―その「すいません」は、何に対して?
自分が真ん中に立って表現してしまっていることに対して。『ああ、もっと他の人だったら良かったかなあ』とかっていうのはまだ、全然思うし、その気持はなかなか消えない
―平手はシングルで8作品、真ん中に立ってきて。
はい。8作か、もう
―でもその感覚は変わらないんだ?
うん! まったく
―楽にならないね。
ならない。なる日が来てほしいけど】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

8作センターを経験しても、彼女はまだ、「欅坂46のセンターとしての平手友梨奈」に納得がいっていない。もちろん、「納得いっている」と発言するはずがない、という見方は当然であるが、しかしそういうレベルの話ではないだろう。彼女が見ているのは「理想的な表現」というその一点だけであり、そのために相応しいかどうかという判断基準しかない。「他の人だったら良かったかなあ」という思いはありつつも、とりあえず「自分がやるしかない」という責任感のようなものが、彼女を突き動かしている。何度も言うが、平手友梨奈には「表現欲」はあっても、その中身は「自分自身が表現したいと思っていること」ではない。常に彼女は「代弁者」なのだ。「自分自身が表現したいと思っていること」であるならば、うまく表現できなくてもある程度「仕方ない」と思えるだろう(もちろん、アイドルグループとしてはそう捉えられないだろうが、平手友梨奈個人はそう思ってもいい)。しかし彼女は常に「代弁者」であるが故に、「うまく表現できなくても仕方ない」とは思えない。「代弁者」としての立場を求められるのであればやるしかない、という責任感が、彼女を突き動かしている。

●●●●●平手友梨奈の「責任感」●●●●●

その責任感は、「欅坂46」というグループ全体に対しても発揮される。「欅坂46 3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE」は、武道館公演よりも前に大阪公演が先に行われたが、大阪公演で平手友梨奈は、珍しくライブ全体のディレクションに関わらなかったという。そして、大阪公演を振り返ってみて、彼女はこう語っている。

【そうですね…任せてしまった分、言い方悪いですけど、これこそが欅坂なんだって思われたくなくて。だから、イヤでした…うん
(中略)
うん…でも、できるだけ責任を負わなきゃっていうのはわかりました。
―やっぱり、「自分自身で責任を負わないと、わたしのなかではこれで良かったんだと思えないんだな」ということ?
うん。まずはその段階にいきたいなって思います。もう1回チャレンジできるっていうありがたさに感謝しないといけないなって思う】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<全員が納得するそんな答えなんかあるものか!
反対が僕だけならいっそ無視すればいいんだ
みんなから説得される方が居心地悪くなる
目配せしてる仲間には僕は厄介者でしかない>(黒い羊)

この発言も凄いなと思う。はっきりとそうは言っていないが、彼女にとって大阪公演は「失敗だった」と言っているのと同じことだと思う。そして平手友梨奈自身も、「責任」という言葉を使っている。自分が責任を負わなければいけないのだ、と。しかも彼女の凄さは、「自分で責任を負って自分が良かったと思えること」を一つの段階と捉えている、ということだ。もちろん、そうだろう。彼女としては、「届けたい誰か」というのが常にいるのだし、「代弁者」としての責務があるわけだから、最終的な目標がそこに定まる、というのは当然だ。しかし、僕が凄いなと思うのは、まず「自分が良かったと思えること」を前段階として捉えた、という点にある。それはつまり、「最終的な目標」には現時点ではまったく到達できる気がしていない、ということだろう。まずその前段階にたどり着かなければ、その先には行けない。そういう判断をするということそのものが、彼女のストイックさを如実に表しているだろう。

また、彼女のストイックさはこんな発言からも理解できる。インタビューアーが、子どもの頃の嬉しかったことを聞いた時の返答だ。

【うーん………まあ、たくさんあるはあるけど。でも、話したら、今いる自分の欅坂っていうグループに対して、余計なことを足してしまう気がする。あたしがなんかいろいろ喋ってしまうことで、お客さんがそれに囚われすぎてしまったらヤだなって思うから。余計なことは言わないほうが欅のためなんじゃないかなあ、とかいつも思う。でも話したら話したで、いいこともあるのかなあとも思って。それは自分の中でも、まだ答えは出てなくて。】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<今だから言えることは語るな
墓の中まで持って行け
言葉にすれば安い願望と
オーバーに盛った真実
過去など自己嫌悪しかない
語るなら 予言を…>(語るなら未来を)

ここでも彼女は、「平手友梨奈」という個人を消している。自分自身が表に出ることよりも、グループの表現がより伝わる方を選ぶ。自分の話をすることよりも、グループの表現に雑味が加わらない方を選ぶ。彼女自身も、「表現」にとって何が正解なのかは、未だに迷っている。しかしそれでも、とりあえず前に進んでいくしかない、という意志は強く持っている。

【―平手自身、「ほんとはこう思ってるのに、どうしてそう思われちゃうんだろう」とかそういう葛藤はあるの?
それは…ありますね。でも、しょうがないかなって思っちゃう。うん…うん、それはめっちゃあるけど
―あるよね。
ある! めっちゃある(笑)
―だと思う。平手は「そうじゃないんですよ、こうですよ」とは言わないけれども、でも、「あたしはこういうものが好きだし、こういうことがやりたい」っていうことは喋るじゃない?
うん。でも正解はあんまり伝えたくなくて。絞られちゃうなあと思って。決めつけたくない
―それはすごく感じるよ。平手のパフォーマンスを観てても。
ああ、ほんとですか?
― 一回、どこかで書いたことがあるけど、今日の“サイマジョ”は今日の“サイマジョ”であって、明日の“サイマジョ”は明日の“サイマジョ”であって、要するに同じことを再現しているわけじゃない、っていう。
うんうんうん。そうなんですよね
―それは、平手の中ですごく、自信を持って言えることなんだよね
うん。そうですね。でもどうなんだろう、どう捉えられてるのかもわからないし、もう信じるしかない。『これでわかってくれる。きっと!』みたいな感じでやるしか、もう方法がない】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<意外にああ見えてこうだとか
やっぱりそうなんだなんてね
本人も知らない僕が出来上がって
違う自分 存在するよ>(エキセントリック)

●●●●●自分の人生をスタートさせてくれた「恩返し」●●●●●

平手友梨奈は、どうして大きな責任を自ら負うようにして「表現」に突き進もうと思えるのか。もちろんそこには、「表現欲」という、自分の内側に唯一ある大きなものに気付いてしまった、という理由もあるのだが、恐らくそれ以上に、「恩返し」という感覚が強くあるようだ。

【―この前のインタビューでは、「恩返しをしなきゃいけないから」って言ってたよね。その感覚は今もまだある?
ああ、それはずっとあります
―もしかしたら、欅坂に入った最初からずっとあるのかな?
ああ、それはそうかもしれない。それこそずっと支えてくれたスタッフさんとか、メンバーとかに、恩返しをしたいっていうのはずっと思ってます
―大袈裟に言うと、欅坂っていう居場所、自分を変えてくれた場所に対する恩返しをしたいというか、さっき平手本人が言ってくれたけども、欅坂が始まって、ようやく自分の人生が始まったという感覚はあるんだよね。
うんうん】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

似たような話を、乃木坂46の齋藤飛鳥もしていたことを思い出す。

【乃木坂46で人間を作って頂いたからです。前までの私は、たぶんそのまま生きていたら、はぐれ者になってしまう人間だったと思います。でも、そんな自分をこのグループで更生してもらいました。】「BRODY 2017年2月号」

それまで人生には何もなかったが、欅坂46に入ったことで人生をスタートさせてくれた。そのことに対する「恩返し」の気持ちが、彼女の中にずっとあるのだという。とはいえ、

【―じゃあ逆に、「平手さん、そこまで欅坂のことを愛してるんですね」って言われたら、平手はなんて答える?
『そうかな?』って答えちゃう(笑)】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

とも発言していて、これは一種の照れ隠しかもしれないが、しかし恐らく、「依存しているわけではない」という主張なのだと思う。寄りかかっているわけではない、という意思表明なのだろう。どうしてそう感じるのかと言えば、やはり平手友梨奈は、「欅坂46」という存在を、常に全肯定しているわけではないからだ。

【―そこで平手は自分の人生に対してまた違う責任の背負い方をすることをしたんじゃないの?
うーん…
―自分がやりたいと思ってることがあって、それを信じているんだとしたら、それを言う人生を生きていかないと、これから先、ただやりすごすにはこの日々は重すぎる、というかね。
えー、どうだろう…そこまで細かくはわかんない………でも、一個はライブが大きかったです。おととし?一番最初のアニバーサリーライブ。
―代々木の。
うん、うん。が、もうほんとに、イヤでイヤで。そこからかなあ
―要するに、自分がやりきるためには、自分でそのための意見を出さなきゃいけないんだっていう?
そこまで深くは考えてなくて。どうやったら欅坂をもっと良く見せられるかっていう方向に考えてました。こうしたらもっと良くなるなとか、欅坂はもっと新しい一面を見せられるっていうことばかりを考えてました
(中略)
―それで「じゃあどんどん言おう!」とはならなかったの?
ああ…でも、思ってたかな。言うことで欅坂がよくなってくれたらいいなと思いました。でもあんまり自分の意見として、『絶対こうしたいです!』っていうのではなくて、自分の意見を話して、逆に『みなさん、どう思います?』っていうところから大抵始まるので。そういうのはすごくおもしろいなって思いました、もの作りは】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<人生の大半は思う様にはいかない
納得できないことばかりだし諦めろと諭されてたけど
それならやっぱ納得なんかしないまま
その度に何度も唾を吐いて
噛みついちゃいけませんか?>(黒い羊)

つまり彼女にとって「欅坂46」というのは、「良くあり続けてほしい存在」ということだ。自分がそこにいてもいなくてもいい。そこから求められても求められなくてもいい。とにかく、私が思うような形で「良くあり続けてほしい」と平手友梨奈は思っている。しかし、自分がその中に今はたまたまいて、さらに「良くあり続ける」ための提案が浮かぶのだから、じゃあ自分に出来ることは頑張ってみます。そういうことだろう。確かにこういう感覚だとすれば、「愛」とはちょっとズレそうではある。いや、端から見れば「愛」そのものだが、そうではない、と否定したい気持ちも分からないでもない。

そしてもう一つ、平手友梨奈を突き動かすものがある。

【―そんな1年間、何が平手さんを走らせていたんですか?
大っ嫌いなものと戦おうとしたからかな。
―負けられなかった、ということ?諦められなかった、ということ?
仕返ししてやりたかった(笑)】「ロッキンオンジャパン 2017年12月号特別付録」

<不協和音を僕は恐れたりしない
嫌われたって僕には僕の正義があるんだ
殴ればいいさ一度妥協したら死んだも同然
支配したいなら僕を殺してから行けよ>(不協和音)

まあ、これはとても平手友梨奈らしい(笑)。他にも、こんな発言があって、彼女らしいなと思った。

【(欅共和国2018について)私的に今回の裏テーマは、「関係者席を濡らしたい」だったんです。
(中略)
私が打ち合わせの時に「関係者席をまず濡らしたい」って言ったら、最初は絶対嫌だってなったんですよ。でも、後からスタッフさんが秋元さんに確認してみたら、秋元さんは普通に「いいじゃん」って。「楽しみ。僕も濡れたいし」ってなってから、みんなでやる方向に進んでいったんです。だから、秋元さんも喜んでくださったと思います(笑)。】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

<偉い奴らに怯(ひる)むなよ!
闘うなら孤独になれ
群れてるだけじゃ始まらないよ>(ガラスを割れ!)

●●●●●「表現者・平手友梨奈」はいかにして生まれたのか?●●●●●

さてここまでで、「表現者」としての平手友梨奈について深く掘り下げてきた。では、そんな「表現者・平手友梨奈」はどのように生まれたのか、に踏み込んでいこう。

しかし、結論から言えば、はっきり言ってその理由は謎としか言いようがない。欅坂46以前の平手友梨奈と、欅坂46以降の平手友梨奈は、まったく繋がらない。彼女が、「欅坂に入ってから(人生が)スタートした、みたいな感覚が大きい」と発言しているのも頷けるほどだ。

まず、彼女のこんな認識を紹介しておこう。

【(子どもの頃は)ほんとに、普通の子でしたよ。今も別にわたしは普通って思ってるけど
―その「普通」っていうのは、どういう意味において普通なの?
ごはん食べるし、寝るし、人と喋るし、っていう(笑)。ごく普通な】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

まあ、まったく「普通」ではないがな。

<君は何を放棄したんだ そして何を諦めたんだ
でもそんなに不幸に見えないのはなぜ>(避雷針)

●●●●●「打ち込めるもの」が何もない●●●●●

子供時代を語るインタビューを読んで一番驚かされたことは、「努力が嫌いだった」ということだ。

【―それは自分がやりたかったんじゃなかったの?
じゃないですね。やらされてて、って感じです。
―何歳からやってたの?
5歳、6歳? からやってました
―やめたいなあって思ってたの?
うん。ピアノも、バスケも
―でも、やってると上達していくよね。それは楽しいものじゃなかったの?
上達していくこと? ああ、そんなに…感じないかな
―ピアノで、昨日弾けなかったものが今日弾けるようになるじゃない
でもそれも、あたしはほんとにひどくて。やめたくてやめたくて。練習も全然していかなかったし。だから先生に怒られてばっかりだった
―褒められたりする時もあると思うんだよね、「よくできたね」って。そういう時、どう思ってたの?
何も思ってなかった(笑)
―「あ、そうですか」って?
うん】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

欅坂46の平手友梨奈は、「圧倒的に努力をする人」に見える。もちろん、僕ら受け手に、努力している姿が直接的に見えているわけではない。とはいえ、主演映画や欅坂46のパフォーマンスなどを見ることで、平手友梨奈に限らず、欅坂46のメンバー陰でどれほどの努力をしているのかというのは理解できる。また、本記事で前述した通り、彼女の周りにいる人が彼女の努力を認めている。しかしそんな彼女は、子供の頃は努力出来なかったというのだ。

【―学校好きだった?
いや
―どうして?
勉強。勉強、ヤだった。ついていけなかった
―それはもう、最初からついていけないと思ったの?
いや。小4くらいからついていけなかったかな
―そういう時、小4の平手はどうするの?
え、たぶんもう諦めてたんじゃないかな(笑)。普通に授業受けてても、『ふーん』って感じだった。追いつこうとも思わなかった気がする(笑)。一応頑張ったは頑張ったけどできなかった、っていう感じです。
―努力する子だったんだね
努力――しないと、めっちゃ怒られるから、頑張ってしてました。でも、したけど無理だよっていうのはちゃんと伝えなきゃと思って。その姿は一応、見せてはいました。
―「やるべきことはやったけども、それでもダメなんだからダメなんですよ」っていう、そういう認識を持ってたの?
ああ…そうかもしれない
―なんか、冷めてるところあるよね。
あたしが?そうですか?
―そのぐらいの歳の子だと、やらないにしても、もっと幼稚な、「やりたくないからやんない!」みたいな。あるいは、「褒めてほしいから一生懸命頑張んなきゃ!」とかね。どっちにしても、わかりやすい熱がある感じがするんだけど、平手はだいぶフラットだよね。
確かに。そうですね。】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<噛みつきたい気持ちを殺して
聞き分けいいふりをするなよ
上目遣いで媚びるために
生まれて来たのか?>(ガラスを割れ!)

小4にして、「頑張ったけど無理でしたという姿を見せる」という意識を持っている。頑張っているように見せる必要があると思いつつ、頑張ることは出来ない。それは、今の平手友梨奈とはなかなか繋がらない姿だ。

●●●●●人生に対する「意志」がない●●●●●

また彼女は、やりたいことや将来の夢など、「意志」と呼べるものをほとんど持てずにいたという。

【―その頃は、将来何になろうと思ってたの?
ない。今もないけど。ない。ほんとうにない。
(中略)
―何を道しるべに生きてたの?
わかんない(笑)。なんだろう? 特にないかな。でもなんか常に干渉されないようにはしてたかもしれない、学校で。先生に当てられるのとかもほんとにイヤだったから、できるだけ目立たない方向にいた】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

【―何か熱中してたことはあるの?
ない…………ないです
―自分から、「これやりたい!」って思ってたことって何かあるの?
ないですね
―ないんだね(笑)。
ない!(笑)。ない。習い事も、自分からやりたいんじゃなかったから。ああ、今思うと不思議。ない!
―それはなんでなんだろうね?
なんでかな……わかんない】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<ねえ何をしたいの どこに行きたいの
私だから何もしたくない>(アンビバレント)

本記事でも、「自分自身で表現したいと思うことはない」という話を書いてきたから、今の平手友梨奈と印象はそこまでズレないかもしれないが、しかし、「表現欲」という捨てきれない強い感情を認め、「表現すること」については自分を追い詰めてでも徹底して突き進んでいくという今の平手友梨奈からはやはりあまりに遠い。

では彼女は、自分の人生が今後どうなると考えていたかと言うと、そこも実にぼんやりしている。

【―そのまま小学校が終わって、中学校に行くことになると思うんだけど、その時に、何かを変えたいとか何かが変わると思ったことはあったの?
ない。
―それもないんだ。
『ああ、中学生になるんだ』って感じ
―義務教育、早く終わんないかなって感じだったの?
うん。でも、早く終わっても、高校とか、大学が続くしなあ、っていうのは思ってた。ずーっとイヤだった】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<どうして学校へ行かなきゃいけないんだ
真実を教えないならネットで知るからいい>(月曜の朝、スカートを切られた)

【―将来どうなると思ってたの?
なんにも考えてないと思う。ただ時間が過ぎいくんだろうな、みたいな
―楽しみはなかったの? その時。
え、なんにも楽しみなかったと思いますよ。今でも見つかってないし、それは。なんですかね…】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<反抗したいほど
熱いものもなく
受け入れてしまうほど
従順でもなく
あと何年だろう
ここから出るには…>(月曜の朝、スカートを切られた)

これも、若い世代の感覚としては普通に理解できるが、しかし、欅坂46の平手友梨奈を知っている身としては、この無気力さみたいなものはやはり繋がらないなと感じられてしまう。

というか、正直平手友梨奈を誤解していた部分もある。

楽曲が自分に合ってきてしまう、という彼女の感覚を知った時から、僕は平手友梨奈に対して、「大人への怒り」みたいなものが強くある人なんだと思っていた。欅坂46の歌詞には、そういうものが多い印象がある。その「怒り」を表に出すかどうかはともかく、内側には「怒り」が渦巻いている。僕は平手友梨奈を、そういう人物だと捉えていた。実際に、そういう発言もインタビューの中でよく見かけた。

●●●●●「怒り」よりも「諦め」を内包していた●●●●●

しかし子ども時代の平手友梨奈は、どちらかと言えば「諦め」を内包していたようだ。

【―でも、周りには「将来はあれになりたいから今これやりたい」っていう人もいっぱいいたと思うんだよね。
うん。でも、そういうの聞くと、『絶対、大人になったら考え方変わる』って冷めた思いになっちゃって(笑)。だってほんとに、なった人見たことないから。ずーっと子どもの頃から。まあ、いるとは思うんですけど、あんまり見ないから。つまんない子どもですね
―子どもながらに感じてたんだ。「そう言ってても絶対なれないよ」みたいな。
うん(笑)
(中略)
―要するに希望は持っちゃダメだよと。持つだけ苦しいよと。たとえば、「人は話せばわかってくれるよ」とかさ。
ああ、それは思ってなかった。なんでそうなったんだろうって不思議
―冷めているし、世の中をフラットに見ている? それは、「たまたまそういう人でした」っていうには、あまりにも強い性格だと思うけどね。
そうなのかなあ…】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<努力は報われますよ 人間は平等ですよ
幸せじゃない大人に説得力あるものか>(月曜の朝、スカートを切られた)

この感覚も、個人的には理解できるし、理解できると感じる人は多いだろう。しかしやはり、MVで「僕は嫌だ」と叫んでいる、欅坂46の平手友梨奈とは重ならない。

もちろん彼女も、自分の考え方を変えようと思ったことはあるようだ。

【でも、どう思考を変えてもそれはもう絶対、自分の前に立ちはだかるから、もう無理なんだろうなって思う
―何度か変えてみようとしたことはあるの?
あります、あります。それこそ欅の楽曲でいうと“風に吹かれても”の主人公みたいだったら、絶対生きやすいだろうなあって思う。けど、やっぱり自分の思考に戻ってしまうから
―そういう時、どう思うの? 「ああ、やっぱりこの自分に向き合うことになっちゃうんだなあ」って?
うん
―欅に入ってからももちろんそうだと思うけど、それ以前もそうだったの?
以前はそんなこと、思いもしなかったし、客観視することもできなかったから。ひたすらずっと悩んでたんだと思います、いろんなことに
―「なんか変だな、周りの子たちは毎日楽しいことが細かくあるんだな、もっとすんなり一日が流れていくんだな」みたいなさ
でも、それはほんと、欅に入ってから、そうなんだって学びました。関わることが多いじゃないですか、いろんな人と。それを見て、『ああ、こういう人みたいに生きたら楽なんだろうなあ』とか思うけど、結局は無理だし
―そこはもう諦めてるの?
うん】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<死んでしまいたいほど
愚かにもなれず
生き永らえたいほど
楽しみでもない
もう持て余してる
残りの人生
目立たないように
息を止めろ!>(月曜の朝、スカートを切られた)

もちろん、平手友梨奈がこういう感情を内側に持っているということが、欅坂46の楽曲に深みを与えるのだろうし、彼女自身も歌詞の世界観をより切実なものとして届けられるのだろう。そして、そんな風に自分の気持ちが存分に乗っているからこそ、欅坂46の楽曲は多くの人の心を打つのだろうし、「表現」として高く評価されるのだろうと思う。

しかしやはり、平手友梨奈が子どもの頃に抱いていたこれらの感覚は、今の平手友梨奈と直結するとは思えないのだ。打ち込めるものがなく、やりたいこともなく、努力も出来ず、人生に対して諦めていたという子ども時代の平手友梨奈が、欅坂46の平手友梨奈になるまでに何があったのか。恐らく彼女自身、まだその理由を明確に捉えられていないのだろうし、だからこそ言語化も出来ないでいるのだろう。それで、「なんか、自分が生きてきたと思えない。思いたくない。だかもう、それこそ、欅坂に入ってからスタートした、みたいな感覚が大きいかな」というような発言に繋がるのだろうと思う。

●●●●●平手友梨奈の「孤独」●●●●●

子ども時代の平手友梨奈の感覚で、今でも連続していると感じられる唯一のものが、「孤独」ではないかと思う。しかし実は、彼女は「孤独」だったが「寂しくはない」と答えている。

【―「わたしって孤独だな」っていう感じじゃなかったの?
でも、どこかで孤独さは、絶対感じてましたね、うん。ただそれが何かって言われたら、答えられないけど。
―寂しいじゃん、単純に。寂しくならないんだ?
うん。寂しくならない。なんでだろう…でも、昔は思ったかもしれないですね、ちょっとは…】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<世間の声に耳を塞いで
生きたいように生きるしかない
だから僕は一人で
心閉ざして交わらないんだ>(エキセントリック)

一人でいるという意味で「孤独」ではあったが、しかしそれそのものを指して「寂しい」と言うわけではない、という感覚を、既に小学生の頃に持っていたという。凄いな。大体の人は、「孤独」=「寂しい」で悩むものじゃないか、子どもの頃って。僕は大人になって、その図式から逃れられたけど、子どもの頃は無理だったなぁ。

平手友梨奈にとって「孤独」=「寂しい」とならなかった理由は、ある種の「防御」であるようだ。

【―その当時、みんなは気づかずにいるし考えずにやれてることを、自分はどうも、気付いちゃうし考えちゃうんだなあ、みたいな感覚はあったの?
うん。人の感情をたぶん、読み取りやすいのか、読み取っちゃうのか、わかんないですけど、そういうのもあって。人間観察が好きってわけでもないけど、見られてる側だったらイヤだから。だけど、『ああ、この人、今きっとこう思ってるんだろうなあ』みたいなことはずーっと考えてたと思います
―小学校4年生でそこまで感じるセンサーがあると、ちょっときつくないか?学校行くの。
まあたぶん、人間関係は大変だったと思います】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<放課後の教室は苦手だ
その場にいるだけで分かり合えてるようで
話し合いにならないし
白けてしまった僕は無口になる
言いたいこと言い合って解決しよう
なんて楽天的すぎるよ>(黒い羊)

つまり平手友梨奈、他人に近づけば近づくほど、他人の感情が理解できてしまうから、近づきたくなかった、というのが正解なのだと思う。これなら、「孤独」=「寂しい」にならなかった理由が納得出来るだろう。彼女は、自分を守るために、意識的に「孤独」を選んだ、ということだ。ずっとそのまま生きてきて、その状態のまま欅坂46に加入したから、加入後、彼女は初めて【ああ、自分って…大変なのかもなあ】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」と思ったようだ。

だから平手友梨奈は、「友達」という感覚も、未だにちゃんと理解できないようだ。

【―周りとはうまくやれる子だった?
いや、どうだろう…そんなに、友達多いほうじゃないから。みんなの感覚がわかんないです。どれくらいをもってうまくやれたって言えるのか。何人友達がいたら、とか、どこからどこまでが友達って言えるのかもわからないし。今でもまだ、『友達って何?』くらいなところにいるから
―でも、友達って、気づけば友達になってたりするものじゃない?
ああ…何をもって友達って言えるんだろうなあっていうのは、すごく、ずーっと不思議に思ってます。今で言う、LINEを交換したら友達とか、電話をしたら友達とか、いろいろあるじゃないですか。だからそこは…どうなんだろうって思います
―小学校の時にもうなんとなく違和感があったんだね。そこまでの言葉にはなってなかったと思うけど。
うん、なってない。でも、そういうことは思ってたと思います。
―「みんな友達って言うけど、何をもって友達なのかな」って思ってたんだ?
うんうんうん】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<1人が楽なのは話さなくていいから
分かってもらおうなんて無力もういらないし
何も関わらず 存在知られたくない
投げ出したくなる>(避雷針)

子ども時代の平手友梨奈の話は、一つひとつを見れば、「あぁ分かる」と感じられるものであるし、特殊かと言われると決してそうではないだろう。平手友梨奈のこうした感覚が楽曲と組み合わさることで、欅坂46という表現の核が生まれているのだろうし、そういう意味では、子ども時代の平手友梨奈があってこその今、という捉え方は十分に出来る。しかしやはり、僕の感覚では、これほど無気力な子どもが、欅坂46の平手友梨奈になったことが不思議で仕方がない。

●●●●●欅坂46のオーディションを受けた理由●●●●●

さてそこから平手友梨奈は、欅坂46のオーディションを受けることになる。

初期の頃、平手友梨奈はオーディションを受けた理由を、ポジティブなものとして語っていた。

【欅坂46のオーディションを受けたのは、自分を変えたかったからです。人見知りで、自分から行動することができませんでした。だから「自分は将来何がやりたいんだろう?」とか「何をしているときが一番イキイキしているんだろう?」と思って、いろんな自分を見つけたくてオーディションを受けました】「BRODY 2016年10月号」

【とにかく”新しい世界に行ってみたい”という気持ちが一番強かったです。もしオーディションに合格できなかったら、海外留学も考えていました。自分の性格があまり好きではなかったんです。内気で、人見知りで、目立つことも苦手。授業中は先生に当てられないように身を潜めていました。そういう自分の性格を変えたかったのもあります。どこか別の場所へ行けば、人として変わることができるんじゃないか…そう思っていました】「BRODY 2016年12月号」

<どうでもいいけど どうでもよくないし どうにでもなればいい
毒にも薬にもならない毎日を チクタクとただ繰り返す無駄が僕たちの特権だけ主張して
もったいない生産性がないただ大人から見れば腹立たしい>(避雷針)

こういう発言からは、「自分を変えよう」という前向きな姿勢を感じ取ることが出来るだろう。しかし実際には、ニュアンスが少し違うようだ。最近のインタビューではこう答えている。

【―で、中学生になり、欅坂のオーディションに応募するわけじゃない。
はい
―「自分を変えたかったから」というコメントも残ってはいるんだれども。その時の気持ちを今、あらためて話してもらうと、どうなる?
自分を変えたかったというのは嘘ではないけど、そんなに、なんか、『だから受けました!』って感じじゃなくて。うん、本当は留学しようとしてたから。で、ほんとはもう、そっちの話が進み始めてたから。そんな中、受かっちゃたって感じです
―自分で受けようと思ったんだ?
いや、お兄ちゃんです、全部
―でも、よし頑張ってみよう、っていう感じでもなかったの?
ない(笑)そうでなきゃいけないとは思うんですけど】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

こちらの発言からは、消極的な印象しか受けない。以前の発言では、さも自分でオーディションに応募したような感じだったが、実際にはすべて兄がしたことだったようだ。恐らく、ほぼ本人の意志ではなかったのだろう。しかも、「受かっちゃった」と発言し、さらに「頑張ろう!」という感じでもなかった、とも言っている。まあ確かに、欅坂46の1期生なわけだから、どんなグループになるかも分からないし、今のような評価を受けるかどうかも分からない。そういう中で、無気力極まりない子ども時代の平手友梨奈が「頑張ろう!」という意志を持つとは考えにくいが、ともかく彼女の自覚では、ほとんど成り行きのような形でデビューした、ということのようだ。

しかし、平手友梨奈のオーディションでの様子を、今泉佑唯はこんな風に言っている。

【質疑応答のときも、しっかりとした意思の強い感じでした。『私はちやほやされたくてアイドルになりたいと思ったわけじゃありません』と言っていて、すごい!と思って震えちゃいました。だから、オーディションのあとの記者会見のときから『この子は絶対にセンターになる存在なんだろうな』と思っていました。オーラっていうか空気が違っていたんです。】「BRODY 2016年12月号」

<誰かと違うことに
何をためらうのだろう>(サイレントマジョリティー)

これもまた、平手友梨奈自身の捉え方とズレる印象だ。何か、強い意志を持ってオーディションに臨んだことを窺わせるような描写である。また、欅坂46運営委員会委員長の今野義雄氏のこんな発言もある。

【今野 抜きん出て違う雰囲気をまとまっている子が表れたな、という印象でした。14歳にしてこの子がまとっているものは一体何だろう…。言葉で説明するのは難しいですが、年齢を超越した存在感があったのは間違いないです】「BRODY 2016年12月号」

兄が応募した、自分としてはやる気が特にあったわけではないオーディション、という平手友梨奈自身の捉え方を信じるとすれば、彼女は、特別なやる気を内に秘めていなくても、「特別なオーラ」が出てしまう人間だった、ということだろうか。

いずれにしても平手友梨奈は、このオーディションを受けたことで人生が激変した…。

●●●●●平手友梨奈が捉える、加入後の「変化」●●●●●

と言っていいはずなのだが、彼女自身の認識としては、それは違うという。

【―どこかからがらっと変わった感じじゃないんだね、平手の人生というのは。
ああ、それはないですね
―周りの人はみんな言うよね。「やっぱり欅坂に入ってデビューして、がらっと変わったでしょう、人生が」って。
え、そうなの?
―どう考えたって変わったよね(笑)
ふーん
―でも本人は違うんだよね?
うん。あたしは、特に、思わないな。たぶん、身に起きてることを理解していないんです。だからだと思います。それこそ“サイレントマジョリティー”がすごくヒットしたって言われてもわからない、大きさが。どこどこでライブやりますって決まっても、あたしは大きさとか関係ないなあって思っちゃうし…みなさんに映ってるすごいことっていうのが、自分の中ではそういう認識じゃないです】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

【―これで何かが始まり、何かが変わるにとって、みたいな期待っていうのは―。
ない
―じゃあそこから始まる日々はその時の平手にとってどういうものだった?
そうですね、もう…いろんなことが起きすぎて、わかんない、って感じでしたね。なんかおっきい目標っていうのもほんとになくて。ただ、一日をどう生きるかみたいな感じでした。
― 一日が終わって家に帰るとほっとするっていう。
とりあえず終わった、っていう感覚。今でもそれは変わらない。明日のことは考えてない。とりあえず今日のこと、です】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

まあこれらの感覚については、「欅坂46の平手友梨奈」として生きたことがない僕にはなんとも言えない話ではあるが、しかし「ホントかよ」と言いたくなってしまう気持ちもある。「あまりに激動すぎて毎日をこなすのでやっと」というのは、まあ分かる。しかし、「欅坂46の平手友梨奈」としての評価は何らかの形で耳に入るだろうし、欅坂46自体の変化も何らかの形で感じてはいるはずだ。そういう中にあって、「浮足立たないように気を引き締めている」と言うのであればまだ理解しやすいが、「自分の人生が変化したとは思わない」とハッキリ断言する感覚は、僕にはちょっと遠すぎてうまく掴めない。

もちろん、まったく何もないと思っているわけではない。

【―欅坂に入った平手として生きていくのって、そんなに変わらないの?
いや、たぶん変わっているとは思うんですけど。明確にはまだわからない
―繰り返しになっちゃうけど、欅坂に出会ったことによって変わったものっていうものは、なんだったの?
うーん…前を見るようになった、あんまり、もう、過去を振り返らないようになったかな。歌詞にもそういう歌詞があるから、そこから受け取った言葉でもあるかなあ、それは
―教えられた?
うん、そんな感じです。あたし、ほんと、先生運がなかったから、いい先生にたくさん出会ったんだなと思ってます。秋元さんとか、TAKAHIRO先生とか、新宮(良平)監督とか、うん。学校の授業では習えないことをきっといっぱい学んでるんだろうなとすごく思います。だからそこはちょっと、みんなの10代と違うところかな。でも逆に、みんなが学んできたものを学べないから、そこの苦しみを共有できないのはすごく申し訳ないなって思いつつ、できるだけ、寄り添って共有したいっていう気持ちが大きいです】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<誰のせいでもないだろう
振り返る余裕ない
腹立たしさとか
悔しさは
思い上がりだよ>(語るなら未来を)

ここでも平手友梨奈は、自分を中心に据えない。自分が主人公ではない。欅坂46に入って、確かに何か変わったのかもしれない。しかしそれは、自分が凄いわけではない。周りにいた人が凄かったお陰だ。そういう感覚もあるからだろう、前述した通り、やはり彼女は自分を褒めてあげることができないらしい。

【―自分自身を責めることはあると思うんだけども、「今日はよくやったよ」とか、そういうのはないの?
ない。一回もない。そう思いたいけど、思えない。よく、『自分を褒めてあげて』っていう言葉を聞くけど、できない…
―しちゃいけないと思ってるの?
ああ、どこかで、しちゃいけないと思ってるかもしれないです
―それはストイックだから、っていうことでもない気がするんだよね、平手の場合は、褒められない? 自分を。
うん、褒められない
―褒め方がわからないし、自分で自分を褒める自分というのは何かが狂っている、っていう感覚なんじゃないの?
(笑)うん。それに近い】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

【―達成感みたいなものもなかったの?
ない…………うん
―でも、周りの人たちには、「すごいね、おめでとう!」って言われるよね。その時平手はどういう気持ちだったの?
え?  絶対思ってないだろうなって。それは、今でも変わらず、思う。なんか素直に喜べはしないかな。そんな日が来たらいいけど。満足いってないし、納得もしてないし
―それは向上心という意味なの?
わかんない。でも今のあれはダメだなっていうのはすごく思う。毎回思う
―それは、目指してるものとその時々の自分を重ねた時に、「ああ、全然ダメだな」って思うということなの?
うーん…なんて言うんだろう…もう1回、同じことが出来るとは限らないし。そうだなあ…難しい】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」

<もう 失った人生なんて語るな
ほんの一部でしかないんだ
手に入れたのは脆い現実と
飾られた嘘のレッテル
欠片を拾い集めるな
語るなら 未来を…>(語るなら未来を)

そんな平手友梨奈の発言を聞いて、インタビューアーは、【そりゃ孤独だよなと思う(笑)。「そりゃ孤独に生きるしかないよ」って。】「ロッキンオンジャパン 2019年6月号」と言っているが、本当にそうだなと思う。誰かから褒められても嘘だなと思い、自分で自分を褒めるのは狂っていると思う。どうなったら「友達」なのかと悩み、過去を振り返らなくなったとはいえ、目の前のことを必死で乗り越えていくのに精一杯で遠くを見る余裕もない。そりゃあ、孤独だよなぁ、と思う。

しかし、『響』という映画に出たことによって、少し感覚が変わった部分もあると言う。

【月川 響に関しては全然苦しんでなかったというか、むしろクランクイン前よりも楽しそうだったよね
平手 そうですね。現場に入ってからは心の持ちようが全然変わって、生きやすかったです
月川 初めて会った時は、本当に繊細で壊れそうな人だなと思ったもん
平手 そうだったかもしれないです。監督とお会いした頃は、ちょうどいろいろ考え込んでいた時期でした
月川 響でいることが救いだったのだとしたら、またそんな役と出会ってもらえたのだとしたら、映画を作っている人間としてはうれしいね
平手 北川景子さんにも言われました。何かにつまずいたりしたら、映画の世界に帰っておいでって。先のことはまだわからないですけど、響でいることが心地良かったのは本当ですし、今でも響でいたいと思うし…。響とこの映画のチームに出会ってなかったら、今の私はいなかったと思います】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

<あっちを立てる気もないし
こっちを立てる気だってまるでない
人間関係面倒で及び腰
話を聞けば巻き込まれる
いいことなんてあるわけないじゃない
これでも誰かいなけりゃダメなんだ>(アンビバレント)

この発言を聞いて、まったく関係ないながら、僕も「良かった」と感じた。

●●●●●「平手友梨奈」だけでは成立しない●●●●●

さて、「表現者」として圧倒的な存在感を放つ平手友梨奈ではあるが、当然のことながら、平手友梨奈だけでは何も成立しない。

【(TAKAHIRO氏は、平手友梨奈が存在する上で、他のメンバーが絶対に必要不可欠だと考えている。)
平手さんが欅坂46のなかで魅力的に映るのは、メンバーのみんなが一緒に走っているからだと思います。振り付けを考えるときも、欅坂46のメンバーだから信じてつくる動きが多くあります。(中略)また、平手さんはどこのアイドルグループのセンターよりも、センターポジションにいる時間が少ないのも特徴的です。(中略)欅坂46におけるセンターという考え方は、一番前の真ん中にいるという形式を指すのではなく、作品全体を見たときにこの人が物語の中心にいるのだと感じることを大切にしています】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

欅坂46は平手友梨奈を輝かせるための器であるのと同時に、平手友梨奈という表現者を成立させるための大前提でもある。平手友梨奈がいくら優れたパフォーマーであっても、彼女一人で生み出せるものは多くない。それに、何度も書いていることだが、平手友梨奈は自分自身を表現したいわけではない。だからこそ、「誰かのために」が常に必要だ。それは、「歌詞の中の“僕(私)”」であり、「欅坂46の楽曲のメッセージを必要としている誰か」であるのだが、しかし、彼女が力を発揮出来る最大の理由は、「メンバーのために」という感覚があるからだろう。

【センターばかりが注目されるのが怖いときもあって。私よりもいい表情だったり、すごいパフォーマンスをしているメンバーもいるので、全員を見てほしいっていう思いがあります】「BRODY 2016年10月号」

彼女はこういう発言を随所でしている。彼女自身は、目立ちたいわけではない。「伝えるべきもの」のために、必要があると思うからこそ前にいるだけであって、自分だけが注目される状況にずっと違和感を表明し続けてきた。自分が凄いわけじゃない、みんなで凄いものを生み出しているんだ、という感覚が、ずっと彼女の中にある。

それが端的に表現された、こんな発言もある。

【『欅』っていう漢字は全部で21画なんですよ。21人は誰一人、欠けちゃいけない存在なんです
(その運命のいたずらとしか思えない偶然を、平手はうれしそうに語った。これだけはどうしても伝えたい、自分にとっては何よりも大切なことなんだという表情で―。)】「BRODY 2016年12月号」

<すべて失っても手に入れたいものがある
がむしゃらになってどこまでも追い求めるだろう>(ガラスを割れ!)

そんな平手友梨奈に対し、TAKAHIRO氏はこんな発言をする。

【これからも、自分がやりたい、やるべきと思うことを深めて、そして広げていってくれたらうれしいです。平手さんは優しくて、いつも誰かのことを考えていますから。時には自分が本当の主人公になっていいと思います】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」(振付師・TAKAHIROのインタビュー)

この発言は、非常に示唆的だと感じる。僕からすれば、どう見ても平手友梨奈は「主人公」だと思う。主人公感満載だと言っていいだろう。しかし、平手友梨奈の近くにいる人物には、そうは見えていない。「時には自分が本当の主人公になっていいと思います」という発言は、今は主人公には見えない、ということだろう。そしてTAKAHIRO氏のこの発言は、「平手友梨奈が、自分が主人公になると決意した時の表現を見たい」という期待の表れでもあるはずだ。そうか、平手友梨奈には、まだそんな莫大な可能性が秘められているのか。彼女にとっては、これからもしんどい日々が続くということだろうが、外野からすれば楽しみでしかない。

●●●●●誕生直前の「欅坂46」のエピソード●●●●●

さて最後に、欅坂46誕生直前の印象的なエピソードを2つ紹介してこの記事を終わりにしよう。

まずは、「欅坂46」という名前についてだ。「坂道シリーズ」の最初である乃木坂46の「乃木坂」は、実際に地名として存在する。しかし実は「欅坂」は存在しない坂なのだ。東京にあるのは、平仮名の「けやき坂」だ。そもそも「欅坂46」は、募集段階では「鳥居坂46」だった。では、何故「欅坂」という名前になったのか?
そこにはこんなエピソードがある。

【今野 じつは、諸事情があって鳥居坂が使えないということになり、そこで、新たにいろいろな候補を並べいくなかで、六本木にある『けやき坂』が挙がったんです
(ここでちょっとした手違いが起きる。いや、それは運命のいたずらだったのかもしれない。運営スタッフは、事前に候補地がどんな運性を持っているのかを調べることになったのだが、「けやき坂」ではなく、漢字の「欅坂」で調べていたのだ。)
今野 さまざまな占いをやった結果、漢字の「欅」はすべてが最強の運勢を持っていることがわかりました。ですが、秋元先生は『けやき坂は実在するけど、漢字の欅坂は実在しない』というところですごく悩まれていました。ただ、やはり強運を持っているということに先生もピンきていて、『実在しない坂であるけど、そこまでの運を持っているなら欅坂という名前に賭けてみよう』とおっしゃったんです。だから『欅坂』というグループ名は、偶然の引き寄せだった。そして、のちに、けやき坂46(ひらがなけやき)というチームができるのは、そのときのいろんなやり取りが下地になっているんです】「BRODY 2016年12月号」

最初から平仮名の「けやき坂」で調べていたら、長濱ねるの「ひらがなけやき」もなかったかもしれないし、その後の「日向坂46」もなかったかもしれない。また、平手友梨奈の「『欅』っていう漢字は全部で21画なんですよ。21人は誰一人、欠けちゃいけない存在なんです」という発言もなかっただろう。「運勢」などというものを信じるわけではないが、「欅」という最強の運勢を持つ名前を使ったからこそ、ここまでの飛躍を遂げることが出来たのかもしれない。非常に印象的なエピソードだと思う。

もう一つは、『サイレントマジョリティー』のMV撮影のエピソードだ。

【(楽曲、衣装、振付けが完成し、いよいよデビューは曲のMV撮影準備に入った。ロケ地の候補として挙がったのは「渋谷」。だが、昨今は街の規制も厳しくなり、なかなか撮影許可が下りないエリアも多い。今野氏と池田(一真)氏は「よくぞここで撮れた」という場所で撮影ができれば、それで勝ちが決まるんじゃないか、という話をしたという。
そんな状況のなか、池田氏が撮影場所に選んだのは、旧東急東横線渋谷駅のホームと線路跡地だった。2018年に向けて高層複合施設が建設される予定で、日々工事が行われている再開発エリアだ。)
今野 じつは東急電鉄さんには安全面などを理由に一度断られているんです。それでも、我々としてはどうしてもここで撮影したく、ダメ元でもう一度、撮影スタッフがお願いに行ったら、そのときの担当者の方が、たまたま『欅って、書けない?』を見てくれていたらしく、その後、2日間だけ工事がストップする日があって、『そこのワンタイミングだったら撮影できます』というご提案をいただいたのですが、それが我々が撮影するならここしかないって日とピンポイントで重なったんです。すべての照準がそこに合った。それであのMVが撮れたんです。
(さまざまな奇跡が重なり生まれたこのMVについて、今野氏は「神の見えざる手に導かれて完成した」と表現した。これもまた漢字の“欅”が持っている最強の運勢によるものなのだろうか…)】「BRODY 2016年12月号」

「神の見えざる手に導かれて完成した」という表現も凄いが、しかしそういう表現が出来るということは、「欅坂46」が大いなる成功を収めたということでもある。成功していなければ、いくら素晴らしいMVが撮れたとしても、こういう表現にはならないだろう。そしてその成功は、「表現者集団」であるメンバーたちの努力によるものだ。

欅坂46のチーフマネージャーである茂木徹氏はこう語っている。

【(決して平坦な道ではなかったが、予想以上にトントン拍子で売れてしまったこと、グループとして大きな挫折を経験せずにここまできたことが逆に「彼女たちのコンプレックスになっているのでは」と茂木氏は指摘する。)
茂木 実際に『まだ実力がないのに大きなステージに出てしまうことが申し訳ない』というようなことをメンバーもよく言います。でも、自分たちで勝ち取ったわけじゃなくて、与えられた舞台かもしれないけど、それをちゃんと乗り越えてきたことに対しての自信は持っていいと思うんです。これだけデビュー前にお膳立てされていたとは言え、どこかでしくじっていたらおそらくこうはならなかった。それはやはり常に勝たなきゃいけない状況、ちょっとでもしくじれば叩かれる空気のなかで、メンバーが死にものぐるいで頑張った結果なんですよ。すべてにおいて勝てたかどうかはわかりませんが、負けないでここまできちんと繋いで来られた。だから今があるんだと思います】「BRODY 2016年12月号」

<邪魔するもの ぶち壊せ!
夢見るなら愚かになれ
傷つかなくちゃ本物じゃないよ>(ガラスを割れ!)

欅坂46は2期生の加入もあり、今まさに大きな変化を迎えている。とーやま校長が、

【とーやま 正直言うとね、ファンからしたら、漢字に新しいメンバーが入るのって、いまだに受け入れがたいわけよ。(中略)でも、欅に関してはまったく想像が出来なくて、ちょっとイヤだなって思ってる。新しく入ってくる方には申し訳ないけど。メンバーもまだ整理しきれてない人はいるんじゃないですかね】「別冊カドカワ 総力特集欅坂46 20180918」

<ああ 調和だけじゃ危険だ
ああ まさか自由はいけないことか?
人はそれぞれバラバラだ
何か乱すここでひとつもっと新しい世界>(不協和音)

と発言しているように、欅坂46にとって新たなメンバーが加入することは、他のアイドルグループ以上に大きな変化をもたらすことになる。この変化は、「表現者集団」としての欅坂46のあり方に、少なくない影響を及ぼすことだろう。しかし、変化を恐れていては前には進めない。平手友梨奈を始め、欅坂46のメンバーが、この変化をどう捉え、どう対処していくのか。そして、どのような形で新しい「表現」を見出すのか。これからも彼女たちに注目していきたい。

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