見出し画像

【本】岩岡千景「セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語」感想・レビュー・解説

僕は、“ことば”と“ことばが生まれる場所”に、とても興味がある。他人に惹かれる時、もちろん様々な要素があるが、僕の中で一番ウェイトを占めているのが“ことば”だと思う。

僕がここで言う“ことば”というのは、情報伝達のためのことばではない。

人間は恐らく、他者に何かを伝えるためにことばを獲得し、進化させてきたはずだ。何らかの情報を伝える手段として、ことばが生まれた。そういう意味で、動物の鳴き声なども、情報伝達のことばと捉えてもいいかもしれない。

しかし人間は、そうやって獲得したことばを、思考のためにも使った。目では見えないもの、自分の内側にはない感情、自然を動かす原理。そうしたものを言葉で思考して捉えていった。

僕がここで言う“ことば”は、そういう思考のための“ことば”である。

『私が“言葉には人を殺す力すらある”と、言葉の力を信じるようになったのは、母の自殺には、この漫画の影響もあったと思うからです。言葉や音楽には、人を死なせるほどの力がある―でも私は、言葉で人を死なせるのではなく、生かしたい。そのためには、1回、死の淵へ行って、そこからもどってこないといけない。それで初めて、本当に人を生かす言葉がつむげるのではないか―そう思うようになったのは、母の自殺がきっかけです』

僕は、絶望が生む言葉に、どうしてか惹かれてしまう。僕自身も、絶望と名付けるほどの過去ではないのだけど、僕なりの絶望に囚われた時期があったからかもしれない。僕が人生で、最も意識的に言葉を使った時期だったかもしれない。自分のせいだとがいえ、社会との関わりがほぼ断ち切ってしまった状態にあった頃、僕に出来ることは、頭の中で、“ことば”を駆使して、頭の中がぐちゃぐちゃになるぐらい考え続けることぐらいしかなかった。

『でも、どれも全部自分でも考えていたことばかりで、「将来どうするか」をいちばん不安に思っているのも自分でした。
「将来どうするのか、仕事にも就けず、社会でもやっていけないのなら、死ぬしかないのかな」と考えたことも、何度もありました。
未来は真っ暗で、何の夢も希望もないように思えていました。
このため諭されるたびに、「心が引き裂かれるようでつらかった」といいます』

僕にも、程度はまったく違うが、ほとんど同じようなことを考えていた時期がある。たとえそれが“砂製の楼閣”であろうとも、“ことば”を駆使して自分自身の輪郭をどうにか保たないとどうにもならない時期というのがあった。たぶんその時、僕の内側にちゃんと“ことば”が宿ったのだろう、という気がする。

『「なぜ、生きなければいけないのか?」という問いへの答えとは?』
『「なんで生きないといけないのかの答えは、今もわからない」
と鳥居はいいます』

前の職場に、よく「死にたい」と言う女の子がいた。その子は、外側だけ見ていれば、「死にたい」なんていう言葉とは無縁の子に思えた。アイドルグループの中にいてもおかしくないぐらいの容姿で、誰とでも明るく喋れる。しかしその子と、時間を掛けて深く話をしてみると、奥底に常に「死にたい」という言葉が隠れているということを知った。

僕には結局、彼女がどうして「死にたい」と思うのか、理解できなかった。でもだからと言って、彼女の「死にたい」がリアルではないかというとそんなことはない。僕も「死にたい」と思ったことがある人間だが、その時の僕の内側を話しても、きっと理解されないだろう。だから彼女の「死にたい」も、僕は無条件で信じた。だから、冗談っぽく言いながら、ちょっとは真剣さが伝わるように、「最悪死んじゃってもしょうがないけど、死なれたら俺は哀しい」という話を時々していた。鳥居の話を読んで、彼女のことを強く思い出した。

『嫌がらせをつづけたりすれば、人は人を案外かんたんに、死にたい気持ちにさせることができるんだと思う。だけど”死ぬ”と決めてしまった人を、そこから連れもどすことは難しい。心が枯れ、疲れ果て、未来を描けない人を前に、物やお金がどこまで価値を持てるのか?ただ、「すてきな夏服をもらったから夏まで生きてみよう」とか、ふと見た夕焼けがじんわり心にしみたりして「この美しい、いとおしい世界を見られなくなるのなら死ぬのは惜しいな」とか思って、死を踏みとどまる人もいる。歌を詠んだり、絵を見たりするのは、そうしたささいな美しさやいとおしさに目をとめること。だからもっと、文学や芸術が愛される社会にしたい』

『そして、そうした「境界を越える力」を持つほかの多くの芸術のように、自分が作る歌にも、人を惹きつけて、異なる世界を行き来できるような力を宿したいといいます。
なぜなら、「亡くなった母や友達、またかつての自分のように“自殺したういと思ってしまった人”を踏みとどまらせるには、力づくで生の側へ引きもどそうとするのではなく、その人を取り巻いている「死の世界」とでもいうべき場所にまで潜って行って、一緒にもどってくるという手つづきを踏まえなければならないと思うから」です』

鳥居は、自らが経験してきた絶望が、自分がそれまで知らなかった世界で評価される“ことば”を生むものだということに気づく。短歌との出会いは彼女にとって僥倖だった。

『それらの短歌と出会って以来、鳥居にとって、短歌は“目の前の「生きづらい現実」を異なる視点でとらえ直すもの”になりました。
自分を否定しなくて済む「居場所」となったのです。
「人が生きていくには、現実以外の場所が必要。だからみんな、映画を見たり、ディズニーランドやユニバーサルスタジオに行ったりするんだと思うんです。私にとって生きていくのに必要な別の場所は、短歌や本の中にありました」』

『心動かされる“短歌”と出会ってから、鳥居はその世界や技法を学ぶことに、少しずつのめりこんでいくことになります。
そしてその“学びたいという欲求”こそが、次第に、長らく暗闇にいた鳥居を導くかすかな光、生き抜いていくためのよすがとなっていくのです』

『芸術は、私にとっては贅沢品でも嗜好品でもなく、生きるために必要なもので―食費を削っても…実際、3日に食で暮らしていた時でも、私は美術館や図書館に行くほうを選びました』

現代は、どんどん“ことば”から離れていっているように感じる。情報伝達の手段としてのことばは、人間という種が生きている限りなくなることはないだろう。しかし、YouTubeやマンガを取り入れ、LINEのスタンプやInstagramに写真をアップするような形で発信することがスタンダードになっている今、“ことば”はどんどん失われていると感じる。

そしてそういう、“ことば”を介しないでコミュニケーションが成立する世の中では、“ことば”を持つ人間はどんどんとマイノリティになっていく。これは、逆かもしれない。マイノリティになるからこそ、“ことば”を獲得するのかもしれない。鳥居はまさにそうだった。拾った新聞で覚えたことばから、“ことば”を生み出していったのだ。

だから、鳥居の言葉は強い。

『燃やされた戦地の人を知る刹那フライドチキンは肉の味する』
『これからも生きる予定のある人が三か月後の定期券買う』
『ご遺族に会わないように大雪を選んで向かう友だちの墓』
『揃えられ
主人の帰り待っている
飛び降りたこと知らぬ革靴』

『眠るとは死ぬことだから心臓を押さえて白い薬飲み干す』

『便箋に似ている手首
あたたかく燃やせば
誰かのかがり火になる』

(注 本作に掲載された鳥居の短歌は、敢えて推敲前のものを載せているそうです。それを作ったその時々の鳥居の内面をきちんと見せるために)

これらの“ことば”は、“ことば”を持たない者には響かないのだろうか?

『それでも、短歌に限らず、芸術がもっと広まったらいいのに、とその時も思ったんです。世界を美しく切り取った芸術に出会えて感動できたら、うつの人も、人生に面白みを感じて生きていけるんじゃないか。生きていると、つらいことばっかりだから…感動がなかったら、とてもやっていけない。そして、つらい思いが勝ったら、死のほうに心の針が振り切れてしまう。だから、人を感動させて、生かす、芸術家には尊敬の念と感謝の気持ちを抱いています。たった1枚の絵が、何十年、何百年にわたって人を生かすとしたら―すごいな、と思うんです。
短歌も、そうやって長く人を感動させられるものだ、と思いました。八方ふさがりで、死ぬしかないと思った時に、人を救うのが、芸術だと思うんです。その魅力を知らない人が多いのはもったいない。だから、私にできることはすごく小さいかもしれないけど、芸術を知ってもらうために何かできたら、という気持ちをいつも持っています』

鳥居にとって、創作とは、恐ろしいものだ。

『「複雑性PTSD」という障害がある鳥居にとって、人と接すことはただでさえ怖いのですが、短歌を発表するということは、心の奥底をさらし、無防備に人の批判にさらされる危険と隣り合わせです
このため、創作を始めてからは怖さとの戦いの連続でもありました』

それでも鳥居が創作を続けるのは、芸術を支えにしか生きられない、自分のような人が、この世の中で震えていると知っているからです。

『鳥居が生み出そうとしているものもまた、現代では忘れられがちな「弱い者の味方」としての芸術』ではないでしょうか。
鳥居はいいます。
「シンデレラのような『希望の人』にはなりたくないんです。私はずっと、絶望する人の側にいたい。同じ場所で、弱い人たちに寄りそえたら…」』

「絶望する人の側にいたい」と、そこまで強く僕は思えないのだけど、僕の気持ちも近い。僕も、絶望する人の近くにいる人でありたい。それは、哀れみとか同情とかではなく、そこが自分の居場所に近いと思えるからだ。僕も、誰かに向けているわけでもない文章を日々書いているけど、僕の文章が、誰かを救うとはいわないまでも、絶望を抱えた人間にとって、何かプラスになる存在であれたらいいなと思う。

『私は凡人だから、誰よりも努力しないとほんものになれない』

完璧主義で、うつ病でずっと臥せっているのに、家族の食事は栄養バランスを考えたものをはいつくばってでも作り続けたという鳥居の母。そんな母の一部を受け継いだかのような考え方が、僕は少し怖い。ここで「ほんもの」という言葉を使うのか、という衝撃もあった。本当は、「ほんもの」以外の言葉でも表現できたはずだ。でも、そうしなかった鳥居の、自然に染み付いてしまった絶望を実感させられた気がする。

“ことば”を生む場所としての鳥居。僕はその強さに惹かれる。鳥居の絶望は、それがあまりにも暗いものであるが故に、他の誰かの“明るさ”を際立たせる。ほんの僅かしか輝けない人でも、鳥居の絶望的なまでに暗さにホッとするかもしれない。あるいは、同じだけの暗さを持つ者に出会えて安心するかもしれない。いや、暗さだけを際立たされるのは、鳥居としても本意ではないだろう。何よりも、鳥居の短歌が芸術として、弱き者を救うためには、鳥居の作った短歌がそれ単体で自立している必要があるだろう。そして、鳥居にならそれが出来そうだと思う。それだけの強さを、鳥居は内包しているに違いない。

『同賞の選者である作家の星野智幸さんは、鳥居の作品の最後の一文を「凄絶な言葉」だとコメントしました。
また、「鳥居さんが生き延びているのは、この美しく強い言葉を持っているから」「言葉だけを命綱として生き、言葉だけを武器として独り、世界と対峙しようと腹をくくった、凄みのある作品」とも評しました』


本書の16ページに、鳥居の人生が短くまとまっている部分があるので、それを引用しよう。

『鳥居の良心は、彼女が2歳の時に離婚しました。鳥居に当時の父の記憶はありません。2人きりで暮らしていた母も、小学5年生の時に亡くなりました。自殺でした。
その後、親のいない子などが暮らす自動養護施設に預けられましたが、施設での暮らしは殺伐としていて、ひどい虐待やいじめもあったといいます。
高熱が出た時に「ほかの人にうつったらよくない」と倉庫に閉じ込められて何日間も食事ももらえずに忘れられたり、自分より大きい男の子からあざができるほどなぐられ、先輩の女の子からは熱湯をかけられたり。
「おまえなんか、ごみ以下だ」とののしられ、精神的な嫌がらせを受けたこともありました。
そうした生活から、心が枯れきって学校に行けなくなってしまい、不登校に。
このため鳥居は、いまだに義務教育をきちんと受けられていません。

大人になった今でもセーラー服を着ているのは、「小学校や中学校の勉強をやり直す場を確保したい」という気持ちを表現するためです。
いじめや貧困などさまざまな理由で、自分と同じように学校に生きたくても行けない子はほかにもいます。「そうした子たちがいることを知ってほしい」という願いも込めています
(中略)
不登校だった中学を形の上でだけ卒業すると、鳥居は、祖母とほんの短期間暮らした後、16歳からアルバイトをして働き、一人で暮らしてきました。
しかし、その後も、ある親類からひどい嫌がらせを受けてDVシェルター(家庭内暴力などにあっている人の避難所)に入ったり、里親(他人の子を預かって自分の家庭に迎え入れて育ててくれる人)から追い出されてホームレスとなったり…。
それは過酷な経験を繰り返してきました。

「鳥居」というペンネームを使い、本名も年齢も明かさず活動しているのは、性別や年齢の枠を越え、生と死、現実と異次元などの境界さえも越えて歌を届けたいという思いからです』

これだけ壮絶な人生を歩んできながら、鳥居という女性は、実にまっとうな感情・価値観を持って育ってきた。僕はこれは凄いことだなと感じる。

『私は自分が入っていた施設や、そこにいた先生、子供たちを誰ひとり恨んではいません。なぜなら、暴力やいじめをする子にも、そうした行動をとる何らかの理由があったんだろうと思うし、先生も朝の忙しい時間に一人で何十人もの子を世話しなきゃいけなかったりして、「虐待は子どもも大人も追いつめられていた結果」だと思うからです。人知れずそうした状況があり、今も苦しんでいる子がいるであろうことを、一人でも多くの人に知ってほしいと思います』

『メディアでは、私の過去のつらいエピソードばかりもとめられがちですが、そこで話すことはほんの一面にすぎなくて、私のお母さんはとてもいいお母さんでした。本を読んでくれたり、お菓子をたくさん買ってきてくれたり。よく「今までたいへんだったね、これからは幸せになるよ」といわれるのですが、私は自分の人生が不幸だったとは思わないんです。母や、祖父母から―たくさん、かけがえのない良い思い出を与えてもらいましたから』

鳥居はきっと本当にそう思っているのだろうな、と本書を読むと感じる。しかし、ちょっとそれは信じられないなという気もする。本書に描かれていることだけであっても、相当しんどいことをたくさん経験している。

『「救急車を呼んだら怒られる」
と思い、電話はできませんでした。
ほかにどうすればいいのかわからず、相談できる大人の顔も思い浮かばないまま―鳥居は目の前で血の気を失いながら死に向かっていく昏睡状態のお母さんと、何日かを過ごしたといいます。』

ここに書いていないことなど、山程あるだろう。
しかし鳥居は、「良いものに目を向けよう」と努力してきたのだろうと思う。普通にしていれば、絶望に引きずり込まれてしまう。死にたくなってしまう。自分を今につなぎ留めておくには、目の前の現実から、良い部分を見ようとするしかなかったのではないか。勝手な想像だけど、もしそうだとすれば、鳥居のこのポジティブさも、少し哀しいものに思えてくる。

『彼女と、自殺してしまった母との違いは、何なのでしょうか?
「それは、愛だと思います。周りの人からの愛を受けられたか、どうか。それが私と母との違いだと思うんです」
と、鳥居は私に話したことがあります』

だから鳥居も、短歌を通じて、愛を与えようとする。手をつなぐことで、愛を伝えようとする。

『また、幼くして悪夢にうなされたり、不眠症気味だった鳥居を安心させるために、眠る時にはいつも母が手をつないでくれたといいます。そのため、今でも鳥居にとって「手をつなぐ」ことは、相手を安心させる大切な愛情表現になっているのです』

強さとは、自分の弱さを知ることから生まれる。死と、ほとんど隣り合わせで生きてきた鳥居だからこそ見えるものがあり、感じられるものがある。いつ死んでもおかしくはなかった。生きていなきゃいけない理由も、まだ良くわかっていない。就業することが医者からドクターストップが掛かるほど、鳥居のPTSDは重症だ。それでも、それでも鳥居は生きる。生きて言葉を紡ぐ。紡いだ言葉を誰かに届ける。紡がれた言葉が誰かに届くように働きかける。

『そして、全国短歌大会で自作の短歌が入選した2012年の暮れ。鳥居は大阪・梅田の駅に立っていました。
手にしていたのは、ダンボール箱の切れはしに、「生きづらいなら短歌をよもう」と書いたプラカード。
それを掲げて「短歌、面白いですよ」と道ゆく人に話しかけました。引きこもりがちで人が苦手な鳥居にとって、それは「短歌を広めたい」一心でした必死の行動でした。
道行く人から見れば、突飛に思えたかもしれません。でも、それが鳥居が思いついた精一杯の行動でした。』

未だにスーパーの「2割引」「10%オフ」の意味が分からないという鳥居。義務教育を受け直したくても、小学校レベルからのやり直しをさせてくれる場所がないという現実。今でも、一日一食しか食事を摂らないのが日常。『お前がやってることは全部、むだなんだよ。稼いでいるやつのほうがえらいんだ』と、心ない言葉を浴びせる大人。

『理由なく殴られている龍なくトイレの床は硬く冷たい』

“ことば”が鳥居を支えている。そしてそんな鳥居から“ことば”が生み出されていく。『目の前の「生きづらい現実」を異なる視点でとらえ直すもの』である短歌と出会い、これまでの人生を振り絞るようにして“ことば”を、そして生きる気力を生み出している鳥居。絶望が生む“ことば”の強さに、美しさに僕は打たれる。そして、鳥居には、長く生きていて欲しいと、無責任にそう思う。

『その時の私はつらすぎる現実に耐え切れず、母が“さみしくて、心配してほしくて”死んだふりをしているんだろう、そうだったらいいな、と思うようにしていました。そして、お母さんは私が見ていなければのり弁を食べるんじゃないか、水を飲むんじゃないか、と思い、のり弁と水だけ置いて、他の部屋へ行って数時間後に見に来たりするのをくり返していました。
そして、眠る時には、“明日目が覚めたら何もかも元通りになっていて、お母さんが元気になっていますように”と祈りながら眠りました。眠りから覚めた吐息も、しばらく目を閉じたままでいて、“何事もない、すべてがいつも通りの日常にもどっていて、お母さんが「朝ごはん、できたよー」って呼びにきてくれる”よう祈っていました。目を開けて、昏睡状態の母と、その現実に向き合うのが怖かったんです』

『冷房をいちばん強くかけ母の体はすでに死体へ移る』


サポートいただけると励みになります!